第二章 7
夕食が済むと、入浴時間。
基本的に小さい子から順番に入って行くが、小学二年生の俊一は、いつも誰かと一緒に入っていた。
今日は、最初利沙と入ろうと思ったが、怪我した足の事もあり、仕方なく宏に入ってもらう事になった。
その経緯がおもしろい。
「ぼく、利沙おねえちゃんと、お風呂に入りたかったな?」
その言葉に、啓太と勇也がほぼ同時に、
「「なん、なんだって?」」
と、反応した。思春期そのものの反応の早さだった。
それを聞いた女の子達が、
「啓太、勇也。いやらしい? 何考えてんのよ」
と、これも早い反応だ。
しかも、啓太と勇也の顔がほんのり赤くなっていた。
「この二人、絶対、変。顔真っ赤だよ」
「な、なんの事だよ?」
「その動揺の仕方。すごくあやしい?」
女の子達から一斉にからかわれて、一層顔が赤くなった。
「どうせ、いやらしい事考えていたんでしょう?」
「ち、ちがうよ」
「な、なんだよ? いやらしいって!」
「いやらしいったら、いやらしい」
女の子は、からかいながら囃し立てた。
啓太と勇也の二人も、それに対して最初の勢いはどこへ行ったのか、
最後はしどろもどろになったので、早々に終わらせるために、
「俊、俺と入ろうか? もう、いいだろ、二人をからかうな」
と、宏が話を強引に終わらせた。
その後は、しぶしぶではあったが、自然解散になった。
お風呂を順番に入った後は、自由時間。
午後九時の就寝時間まで、各自が自分の時間を過ごしていた。
ただし、受験生などの自主学習は、十時まで認められていた。
なので、子ども達はどんなに遅くても十時には、自分のベッドに入っていた。
俊一は、時々香先生に寝かしつけてもらう事も多かった。
この日も、俊一は香先生と一緒に、ベッドに入っていった。
疲れていたのか、八時過ぎには眠っていた。
しばらくして、香先生は静かに一階に降りてきた。
九時を過ぎると、自習室には受験生の里美と勇也、宏の三人がいた。
それぞれが進学を希望していた。
ただ、宏に関しては、大学に本当にいけるかどうかには、様々な問題も抱えていた。
しかし、今は勉強する事しかないのも事実だった。
そんな三人を小立先生も香先生も温かく見守っていた。
利沙は、夜の九時にはベッドに入っていた。
今日は、本当に色々あった日だった。
少年院から出て、初めて会った人達の中で、疲れたのかもしれない。
集団生活で大変な事の一つに朝の支度があげられる。
なぜなら、みんな同じ位の時間に出発するため、朝食、洗面、トイレなど重なる事が多いからだが、
ここでは、出かけるのが早い人から順に済ませて行く。
トイレの数も一階と二階にそれぞれ二つずつあり、意外に込み合わなかった。
翌日は、水曜日。
子ども達は、出発の早い高校生が六時半に起き出し、次が小学生、中学生の順に身支度を整えていった。 次々と出かけて行く子ども達、それを利沙は見送っていた。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
これを、人数分繰り返し。
八時過ぎには、すっかり静かになった。
キッチンでは、香先生と利沙が、朝食の後片付けをしていた。
「ありがとう。利沙。今日は、とても助かったわ。でも、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。次、洗濯物干してきます」
「無理しないようにね」
「はい」
利沙は、二階に上がって行った。
その姿を見てから、香先生は一階の掃除を始めた。
洗濯物を干した利沙は、二階の女子部屋に掃除機をかけていた。
そこへ香先生が上がってきて、
「利沙。最初から飛ばす事ない。焦らなくていいから、少しずつゆっくりでいいから」
「はい。でも、無理はしてないです。ありがとうございます」
利沙は、香先生の思ったよりも早く馴染んでいくのを嬉しく思いながら、
反面あまりにも早い馴染み方に、少し違和感があった。
今ままで預かってきた子ども達は、なかなかこういった生活に馴染みにくいものだった。
それまで違う施設で育った子どもでさえ、なかなか自分の居場所を見つけるのに時間を要するものだ。
しかし、利沙はそういった事がなく、気づくと会話の中にすっと入っている。
関係がないと思われる事には、必要以上に関わらない。
その判断が、その辺にいる頼りない大人よりうまかった。
その片鱗を、香先生のみならず小立先生も、この後、目の当たりにした。
その日は、利沙がパソコンを使わせてもらっている、企業関係者との面会が行われる日だった。
その面会は、利沙の状況を考慮してもらえたので、小立ホームで実施される事になっていた。
そして、小立先生はその場に居合わせ、利沙の対応に、驚いた。
あまりにも落ち着いている上に、大人相手に、手馴れた対応に驚かされた。
そのやり取りは、かなり緊迫していた。
なのに、この年齢でその雰囲気に飲まれていなかったのが理由の一つ。
堂々とした態度が、印象的だった。
小立先生が気づいた時には、すべてのやり取りが終わった時だった。
「先生、ありがとうございました。場所を貸していただいて、助かりました」
そう言うと、立ち上がり、交渉に使っていた応接室を出て行った。
利沙は、何事もなかったように振る舞い、昼食も先生と一緒にとり、
その後は、自分のパソコンに向かって作業をしていた。
特に変わったところはなかった。
子ども達が帰ってくる時には、面会があった事すら忘れるほど自然だった。
そうして、昨日のようににぎやかな午後の時間が過ぎて、
消灯後は小立先生と、香先生が部屋の片付けをしながら話していた。
いくつかの内容が話されていた。
宏の卒業後の事は、ほぼ毎日の話題だった。
しかし、昨日からは利沙の事も話題にのぼっていた。
「……でも、今日の利沙には驚かされたな? まさか、あそこまで堂々とした対応が出来るとは」
「そうですね。慣れた感じでスムーズでしたね」
「ああ。以前から面識はあったらしい。
事件の後は、今日が始めて会ったそうだが、そんな感じがしなかった。
昨日からの短時間に、かなりの量の情報を収集をしていたとは。
本当にすごい。あれで、本当に少年院に、四ヶ月も入っていたんだろうか? 正直信じられない」
「少年院で、いくらかしていたんじゃないですか?」
「それはなさそうだ。利沙が言ってたのには、パソコンを使わなかったそうだから」
「そうですか? でも、それならなおさら、凄いものを持っている事になりますよ?」
「そうなんだ。だから、驚いているんだ」
「それにしても、利沙は、度胸はありますね?」
「その通りだ。明日はリハビリの日だから、朝、連れて行くよ」
「分かりました。本人には、朝起きたら伝えます」
「ああ。頼むよ」
と、そんな会話が交わされていた。
ただ、俊一が食堂のテーブルに置きっぱなしになっていた消しゴムを取りにきたのに、
先生達は気づかなかった。
翌朝、いつも通りの朝の支度が、先着順で始まった。
着替え、朝ごはん、トイレ、洗面。
とにかく慌しくほんの二時間ほどの時間が、本当にあっという間に過ぎていった。
そんな中で、香先生は、利沙を見つけると、
「おはよう。今日は、九時半くらいに出かけられるように、準備しておいてね」
と、声をかけた。それを聞いていた啓太が、
「先生。利沙ってどこかに行くの?」
不思議そうに聞いてきて、香先生は丁寧に答えた。
「うん。リハビリにね。週に一回。木曜日に行く事になっているの」
「へえ。学校ないのにどこ行くのかなって思ってさ。リハビリか?」
「そうよ。みんな色々する事があるの。……さあ。早く行かないと遅刻するわよ」
時計を見ながら言う香先生に急かされるようにして、高校生を始めとして、学校へと出かけて行った。




