第二章 3
階段は、ちょうど建物の中ほどの、ちょうどL字型の曲がり角に当たる所にあった。
階段の横幅はちょうど一メートル程で、踏み板の幅も二十五センチメートルくらいで角度もゆったりしていた。
杖を使っても、ゆっくりなら自分一人で上がれた。
二階も庭に面した方が廊下で、階段を境にL字の短い方が女子の部屋。
階段の反対側がトイレ、隣が洗面所と洗濯室、その隣が男子の部屋。
その向こうに階段の降り口があった。
廊下の突き当たりはドアがあり、ドアを開けると広めのベランダになっている。
香先生が利沙を連れて入ったのは、女子の部屋で、引き戸になったドアを開けると、二十畳ほどの和室だった。
左の壁に沿って二段ベッドが二台、入り口の向かい側の壁に沿って、
もう一台の二段ベッドがあり、合計三台置いてあった。
立石は荷物を部屋に置くと、用事があると下に降りて行った。
「この部屋を使ってね。二段ベッドの下の段、その方がいいと思って」
利沙に用意されていたのは、入り口正面のベッドの下段だった。
「服なんかは、このたんすに入れて、机は端の使って。荷物を片付けたら下に降りてきて。
ここでは、自分の事は自分でする決まりだから」
香先生は、たんすや机を指差しながら説明すると、下に降りて行った。
入り口に立ったままだった利沙は、その言葉に一言返した。
「分かりました。ありがとうございました」
一人残った利沙は、一つ大きくため息をつくと、
杖を置いて座り込み荷物の入ったカバンを、後ろから押すようにして、たんすまで動かした。
カバンのファスナーを開けると、見慣れた服や下着などが整理されていた。
それを見た時、一瞬熱い気持ちがこみ上げてきた。
が、その感情を押さえ込んで、カバンの中身を片付け、次にもう一つの荷物の中身を机の中や周りに片付けた。
意外に手早く片付ける事ができ、与えられたベッドに座り込んだ。
ベッドはきれいにシーツが掛けられており、清潔感が伝わってきた。
よく見ると、この部屋はきちんと片付けられていて、気持ちよかった。
そこで杖が入り口に置きっぱなしになっている事に気づき、取りに行こうと思い立ち上がろうとして、
「イッターッ」
思い切りベッドの上の段に、頭をぶつけてしまった。
頭を抱えて痛がったら、なんだかおかしくなってきた。
「何してんだろ。私って。変なの」
そう声に出してみて、改めて今の自分に気づいた。
淡々と小立先生達と話した自分が、
今は、この状況に戸惑っている。
その事に、今になって気づいた。
それと同時に、助けてもらわなければ、自分では何もできない、少年院から出る事もできなかった。
無力とはこういう事かと、改めて自覚して、悔しいと思った。
悔しくて悔しくて泣きたくなった。でも、涙は出てこなかった。
そんな気持ちと同時に、
「誰かのせいで今の自分があるわけではなく、自分のした事に対する対価として今がある」
少年院に入った時、監督官の先生に言われた言葉だった。
この言葉が、利沙の頭の中を駆け巡っていた。
そして、反発も……。
現実が目の前にある。
……対価としての現実が。
荷物が片付いたら、降りて来いと言われた事を、入り口に転がっていた杖を見て、思い出した。
「あっ、行かないと」
今度は頭を打たないように、気をつけてベッドから降りた。
幼児がはいはいするように杖の所まで行って、杖を拾うと立ち上がった。
二階の廊下は、日差しがまぶしいくらいに注ぎ込み、キラキラと輝いた。
廊下には、腰の高さから一面窓になっていて、カーテンが開いていると、光が差し込んできていた。
その中を階段に向かって進んで行き、階段まで来たものの、上がってきた時よりも高く感じた。
言葉にはしないが、少し不安がよぎった。香先生の言葉を借りると、
「慣らしていくしか……か」
まだ慣れていない今は、降りる事だけ考えようと、杖を二本まとめて持ち、
小さい子どもがするように、お尻を着いてゆっくり降りるしかなさそうだった。
そんな風にして下まで行き、応接間までは杖を使った。
ドアは開いており、
「遅くなりました。すみません」
「いいえ。荷物片付いた?」
香先生が聞いてくれた。
「はい」
「後で、この中を改めて案内するから、今はここに座って」
香先生の指示に従い、利沙が最初に座った場所に座った。
すると立石が、
「どうだった? いい所でしょ」
「はい。景色がすごく良かったです。廊下の窓から街が一望できて」
「良かった。あの景色に気づいてくれて。気持ちいいでしょ。
ここは少し上から見下ろす、あの景色がお勧めなのよ」
と、香先生があとを引き継いだ。小立先生がそこへ、
「そろそろ、続きいいかな」
痺れを切らしたように話し出した。
「女が話し出すと、いつまで経っても話が進まん。そろそろいいか?」
「何です。その言い方? まるで無駄話しているみたいな言い方。
コミュニケーションを図ってたのに、自分が入ってこれないものだからって」
「いいから、書類だって残ってるだろう?」
「分かりました。続きはあとで、ね」
後半部分は利沙に向かって話したものだ。
利沙も黙って頷いた。
それから、机にあった手続きに必要な書類の記入などを済ませると、立石は、
「では、そろそろ行きます。お願いします」
小立先生達にあいさつをして、利沙には、
「友延さん。こちらのホームは私達の管轄ではないので、これからは会う事はないと思うけど。
何か困った事などあったら先生に相談して、きっと力になってなって下さるから。じゃあね」
そう言うと、靴を履くと一礼して、
「失礼しました」
と、帰って行った。
来た時よりも身軽なせいか、さっさと行った。という印象が残った。
その後、香先生から建物やホームの決まりについての説明を受けた。
「……基本的に、自分の事は自分でしてもらうけど。
できない事は手伝ってもらったり、助け合ってする事になってる。
掃除、洗濯、食事の手伝いは当番制。あなたにもできる事は入ってもらうから。
その事は少しずつ考えていきましょう。
平日は学校に行っている子には、遅刻しないように出発してもらう。
帰ってきたら、当番の仕事をしてもらってる。今日は見ててくれたらいいから。
夕食の時にちゃんと紹介するわね、たぶんそれまではそろわないから。
でも、……今日は早く帰ってくるかも?」
そう言って、利沙を見た。
「新しい子が来るって言ってあるから。」
香先生は、ニコッと微笑んだ。
「今、ここには利沙さんを入れて、十人の子ども達がいる。
男の子が五人、女の子も五人。
みんな、いろいろな事情があって、ここにいる。
それでも新しい仲間を、それなりに歓迎できると思う。
素直に感情を出さない子もいるけど」
利沙はどう言っていいのか分からず、
「大丈夫。これから始まるの。これから、友延利沙という生き方が始まるの。
だから、いい事も悪い事もあるかもしれない。これから、一緒に作って行きましょう」
利沙にとって、どう表現しても、こんな風に声をかけてもらったのは、久しぶりだった。
だからかもしれない、
その後の香先生の言葉に、反発した感情が沸いてきた。
「あなただけじゃない。みんなそうなの。
ここにいる、みんなが同じなのよ。
私はみんなの力になりたいと思っているから。……何かあったら相談にのるから」
利沙は、なんとなく寂しくなった。
後になって気づいた事だが、利沙は失望していた。
誰でもない香先生だけは、自分を一番に見てくれていると思った。
自分一人が特別ではなく、その他大勢の一人だったと気づいたから。
それは仕方のない事だと分かってはいても、やはり自覚するのは、悔しかった。
それを、利沙は寂しいと感じていた。




