第二章 1 進行中
第二章 進行中
春と言えば、寒い冬が終わり、色々な花が開く時、暖かい日差しが差して過ごしやすく、
何よりワクワクとした気持ちが湧き上がってくる。
多くの人にとって一年の中でも極めて楽しみな季節になっていると思われる。
何より、進学、就職など新しい旅立ちの季節は、
当人のみならず、周りにいる人達にとっても、楽しみの詰まった季節である事に変わりなく、
ただ、子どもの巣立ちに喜びながら、逆に、旅立つ事での寂しさも味わう事になる親がいるのも事実だろう。
しかし、どちらにしても将来を考えれば、明るい未来が待っているだろうという夢や、
思ったように進まずジレンマを味合うかもしれない、そんな経験に意味がある。
とにかく、人間としてまた一つ成長できる季節である事も間違いはない。
春は気持ちの切り替えができる、はっきりとしたチャンスの待つ季節と言う事だろう。
利沙にとっても、春はチャンスの季節となりそうだ。
1
いつの間にか目的地の近くまで来ていた。今まで縦長の市街地から横長の景色へと変わって行った。
緑の街路樹が整然と並ぶ穏やかな世界が窓の外にあった。
車は次第に山の方へ向かって行った。
やがて、目の前にまっすぐな長い上り坂が見えてきた。
坂の下には小学校があり横に中学校の門、向かい側には幼稚園があった。
通学時間には生徒や園児であふれるほどだが、今は授業中らしく、静かだった。
時折幼稚園の方から園児達の歌を歌う声が聞こえてきた。
その間の道を坂の上に向かって進んで行った。
お昼の日差しが背中から差していた。
中ほどまで上って行くと後ろに、街並みを一望できた。
そこからすぐに車は、坂道沿いの左側にある大きな家の敷地に入った。
そこは、坂道からのわき道にも接した角地にあった。
坂道側は広い庭になっていて、来客時には駐車場として使われているらしい。
車なら余裕で十台くらいは置けそうだ。
庭には簡単な木の柵はあるが、道との境目を示している程度で、ブロック塀のようにしっかりとしてはいなかった。
わき道側は、一メートルくらいの高さの生垣がある。
わき道は、下り坂になっているので道からは二メートルを越す高さの所もある。
わき道側の奥は建物との間が、物干し場になっていた。
その上を見ると建物の二階の一部がベランダになっていて、そこにも洗濯物が踊っていた。
脇道側が南向きになって日当たりがいいらしい。
建物は二階建ての和風建築で、敷地の奥に北側に沿ってL字型になっていた。
坂道と北側に接した建物の間に、一台の車が止めてあった。
この家の車らしい。
敷地への入り口は北側の建物に近い場所にあった。
その入り口の脇の表札には、「小立家」と書かれていた。
北側のL字ちょうど曲がり角の短い方に玄関がある。
利沙達の乗ってきた車は、その玄関の前に止められた。
杖を使う利沙のために。
利沙は車の中で、風景をただ流れていく景色として見ていた。
特に気にするつもりはなかったが、坂道に差し掛かった位から、風景の素晴らしい事に驚かされた。
なぜなら、街路樹には青々とした緑の葉っぱが付いていて、その葉っぱの間から光が零れ落ちてきたから。
駐車場に着いた時、利沙は少しだけワクワクした。
なんとなくいい事が起こりそうな気がしたから。
立石は先に車を降りて、玄関の呼び鈴を押した。
先方がそれに応じたらしく、二言三言交わした後もう一度車に近寄り、
「降りて。友延さん」
と、立石は、手を差し出してくれた。
利沙はその手を借りて車から降りた。
立石は利沙を降ろした後、車から利沙の荷物、といってもカバンを二個を降ろし玄関に入って行った。
それからすぐに出てくると、車を玄関前から、少し離れた所に置き直した。
玄関前に横付けされたままでは、来客があった時に迷惑になると考えたからだ。
車を降りた利沙は、杖を使って玄関に向かって歩き、立石によって開けてあった玄関に入って行った。
ちょうど玄関に入ったところで、車から戻った立石と一緒になった。
「大丈夫?」
立石は気遣うように利沙に聞いた。
「はい」
利沙は一言返した。
立石はそれを聞いて、軽く笑顔で頷いた。
二人が玄関に入ると、ここの職員というか、持ち主の夫婦がいた。
「いらっしゃい。よく来てくれたわね。さあ、上がって下さい」
婦人が上がるように促してくれた。
それに対して、まず立石が、
「こんにちは。今日からお世話になる子を連れて来ました。よろしくお願いします」
と、頭を下げた。
その後に利沙は、ゆっくり一礼してから、
「こんにちは。ありがとうございます。今日からお世話になる友延利沙と申します。よろしくお願いします」
それを聞いて、夫婦二人ともに顔を見合わせた。
そして、
「詳しい話は、中でしましょう。さ、上がって下さい」
婦人が改めて促して、立石も、
「では、上がらせてもらいましょう」
そう言って、靴を脱ぎ用意されたスリッパに履き替えた。
その時、
「すみません。お手数おかけしますが、杖の先を拭きたいので、何か雑巾でもいいのでお借りできませんか?」
と、利沙が婦人に向かって話しかけた。
言い様がひどく落ち着いていた。
その事に改めて驚いたようだった。
「……はい。そうね、今、持って来ますね」
奥に行くとしばらくして、雑巾を一枚持って来て、
「これを使って下さい」
「ありがとうございます。お借りします」
利沙は、そう言って玄関上がりに腰を掛けると、雑巾を受け取った。
丁寧に杖の先の土汚れなどを落とすと、利沙が座っている横に、一本また一本置いた。すると、
「では、これ(雑巾)預かりますね。これから一枚(雑巾を)置いておきましょう」
「ありがとうございます。でも、これからは自分でします」
利沙自身は腰掛けたまま、靴を脱ぎながら話した。
靴を脱ぎ終わると、杖を頼りに立ち上がった。
立石は、利沙の荷物を両手で持とうとした。すると、婦人に、
「後でお部屋に移しますので、今はここに置いておいて下さい」
そう言われて、貴重品だけ持って二人の後に従った。
二階建ての一階部分は、L字型の庭の面した内側が廊下になっていた。
そのうち短い方は持ち主である夫婦の私的な部屋になっているらしく、
玄関の右横、廊下の奥に当たる場所に扉があった。
そこには、「用がある時はノックをする事」と、書かれた札が掛けてあった。
玄関の左斜め前が階段で、その隣がトイレになり、ちょうど階段の下のスペースになる。
その左にキッチンと食堂。その奥の一番庭に面した所が自習室。
端には二階への幅六十センチ程の階段があり、廊下の突き当たりに外へ出るドアがあった。
二人が通されたのは、玄関のすぐ前の応接間だった。
向かい合わせに置かれたソファーの間にテーブルがあり、いくつか書類やら、筆記用具が準備してあった。




