表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/93

第一章 28

 小学校五年生の学校行事に、臨海学校がある。泊りがけの校外学習。


 多くの子ども達にとって、初めての校外学習。楽しみにしている、行事の一つに間違いない。


 もちろん持ち物は決まっているにもかかわらず、その準備から楽しくて仕方ない。

 出発の頃には、たった二泊しかないわりに、盛り上がり方は、最高潮に達していた。


 利沙も、荷造りの時から、ワクワクした気持ちを抑える事ができなかった。

 準備はとっくに終わったはずなのに、カバンを側に置いたまま落ち着かなかった。


 明日は出発の日となると尚の事、落ち着かず、いつまでも眠くならず、そわそわとしていた。

 ふとんに入ってからも、明日からの事が気になって、いつまでも眠れずにいたが、その事は特に苦痛になる事もなく、朝には普通に目が覚めた。


 いつ眠ったのかはさっぱり分からなかったが、すっきりと目覚める事ができた。

 しかもいつも起きるよりもずっと早く。


 母親はとっくに起きていて、兄の弁当を作っていた。

 利沙はその様子を見ていたが、そのうち持って行くカバンの方へ行くと、ファスナーを何度も開けては閉めて、開けては閉めてを、繰り返していた。

 その様子に気づいた母親が、


「何してるの、何回も開けたり閉めたり。そんなに繰り返してたら、ファスナー壊れるわよ」


「だって、気になるんだもん。初めてみんなと一緒に夜寝るんだよ。いろんな事するって言ってたし、楽しみだなぁ」


「何言ってるの。勉強しに行くんでしょ? ふざけてると怪我するわよ。

 ちゃんと先生の言う事聞いて、みんなに迷惑かけるような事しないようにね」


「分かってるよそんな事。ねぇ、それよりこのカバン、お兄ちゃんも使ってたんだよね? 私くらいの時」

「そうよ。お兄ちゃんも、そのカバンで臨海学校行ったわよ。

 そんな事より早く準備しなさい。昨日のうちに持ち物は準備終わってるでしょ。

 後は利沙の準備だけね。食べたらさっさと着替えてね」


 そう言いながら、利沙の朝食の準備を手早く整えた。


「はぁい。でも、嬉しいな」

 利沙は、食卓についても、カバンに目を移した。

 それを見て、再度母親が、

「早く」

 そう言われて、慌てて食事をした。


 それを見ていた兄が大笑いして、

「利沙。早くしないと、置いて行かれるぞ」

 と、冷やかした。利沙は、

「そんな事ないもん。ちゃんと間に合うよ。お兄ちゃんこそ、遅れちゃうよ。」

 お互いに食べながら話していると、


「ほら、二人とも早くしなさい。遅れるわよ」


 母親のその声に二人同時に、

「はぁい」

 ……そんなやり取りが、懐かしく利沙の目に映っていた。


 そんな事とは思いもよらない立石は、利沙がすっかり静かなのに対して、

 さっきの母親とのやり取りがショックだったのだろうと、勝手に解釈していた。


 そのためになんと声をかけようか迷っていた。

 利沙は、ずっと窓の外に視線を向けたままだった。


 立石は車を走らせながらも、ずっと利沙の様子を気にかけていた。

 時々ルームミラー越しに見ていたのだが、その雰囲気を利沙が察したのか、


「どうかしました? 立石さん」

 突然声をかけられて、一瞬驚いたが、


「そんな事ないけど、……。あっ、そうそう、おなかすかない?」

 慌てて話題を探って言ったが、ちょうど、もうすぐ十二時になろうとしていた。


「もうお昼だし、お昼ご飯済ませてから行ってもいいかもね。どう、いいアイデアでしょう?」

 我ながら満足した。

 内心ほっとしながら、改めて利沙の様子を伺おうとルームミラーを見ると、利沙と目が合った。

 利沙もルームミラーを見ていたからだ。


「そうですね。でも、遅くなりますよ。立石さんも忙しいでしょう。

 さっさと私を送って行ってから、ゆっくりお食事して下さい」


 立石は、利沙のその言葉に、強い抵抗を感じた。


「子どもがそんな事気にしないの。

 大人が一緒に食べようって言ってるんだから、素直にいただきますって言えばいいのよ」


 語気荒く言ってから、申し訳なさそうに、


「ごめん。怒っているわけではないの。ただ、あなたが気にしないでいい事なのよ。

 こういう時は、大人が決めた事に対して、意見する必要はないの。分かった?」


 こわごわと後ろの様子を伺うと、利沙はなんでもなかったかのように、


「すみません。では、ご馳走になります」


 と、頭を下げた。それを見て、立石は安心した。

 利沙が自分を警戒したのではないかと思ったからだ。

 しかし、今の利沙からはその様子は見えなかった。ほっとして、こう続けた。


「そう、それでいいの。ラーメンとかどう?

 私食べたいなと思ってるのよね、おいしい所知ってるのよ。いいでしょう?」


 後ろを見ると、利沙は笑顔で、

「いいですよ。おまかせします。私、そういうの良く分からないし、立石さんの行きたい所に連れて行って下さい」


 頭を下げながら言う利沙を見て、立石は気が大きくなっていた。

「任せなさい。美味しいって言わせて見せるから、期待してて」


 自信満々に言う立石は、正直ほっとしていた。

 利沙が笑顔を見せてくれたから。


 立石は、車を走らせながらもちょっと嬉しかった。

 利沙に子どもらしい表情を見る事ができたから、なんだか嬉しくなった。


 しばらく走ると、ラーメン屋ののぼりが見えてきた。

 車をそこの駐車場に止めると、


「さあ、着いたわよ。ここが美味しいラーメン屋さん。行きましょう」

 立石は、利沙のために、車のドアを開けた。


 利沙は、両手の杖を支えに車から降りると、少し驚いた。

 そこの駐車場に止まっていたのは、たった今、乗ってきた立石の車だけだったからだ。


 お昼時、飲食店なら一番混み合っていてもいいはずなのに、今一台しか止まっていない。

 ちょっと不安になった。立石はその疑惑を察した。


「大丈夫よ。味はいいから。でも、一つだけ言わせて。

 ここ、私の実家。父がしているお店なの、本当は定休日なんだけど、今だけ開けてもらったの。

 どうしてもあなたに食べて欲しかったから、ごめんなさい。でも、……本当に美味しいのよ」


 立石の必死とも思える言い様に、利沙は圧倒されながら、頷く事しかできなかった。

「……分かりました。でも、私なんかのために、そんな事までしてもらってもいいんですか?」


「私なんかなんて、言うものじゃないわよ。

 それにかまわないの、私が食べて欲しいんだから。気にしないで食べてちょうだい」


 これまた、自信満々に答え、店に入るように促した。

 利沙もそれに従い杖を使ってゆっくりと店に向かって歩いた。


 入り口に着いた時、声をかけてきた人があった。

 開店時には掛かっているはずの、暖簾がなかったにもかかわらず、


「今日、開いてますか?」

 と、聞いてきたのだ。

「いいえ。お休みです。ちょっと用事があって寄っただけですから」

 立石はそう答えると、その人はつまらなそうに歩いて行った。


 それを見て、とびきりの笑顔で、

「ね。有名でしょ?」

 利沙に耳うちしてきた。


 ちょっと自慢そうに。利沙は、それに笑顔で返した。


「さあ、入りましょ。父が待ってくれているはずよ」

 入り口のドアに鍵はかかっておらず、ガラスの引き戸を開けた。


 開けた途端。

「いらっしゃいませ」

 威勢のいい声が掛けられた。


 利沙は、その声に一瞬ひるんだ。というか、足が止まった。

「こんにちは。おじゃまします」

 そう言うのが精一杯だった。

「さあ、入って!」

 立石の明るい声に背中を押されるように、椅子に座った。


 杖を横に置き、利沙は改めて店の中を見回した。


 すると、とても整頓された、清潔な内装が目に飛び込んできた。

 とても居心地がよくて、いつまでもこの中にいたいと思わせてくれた。

 しかも、店の中いっぱいに、ラーメンのスープの匂いがつまっていた。


 ここは、とても居心地がいい。そう思っていると、


「ラーメンでいいよね? ここ、餃子も美味しいけど、食べられる」

 立石が聞いてきた。


「ラーメンはいただきます。でも、餃子はやめておきます。これから、人と会うから」

 利沙のその一言に、


「そうよね。そうね……じゃあ、シューマイにしよう。それなら大丈夫」

 そう言ったかと思うと注文しにカウンターに向かって行った。


 身軽だ。


 利沙はそんな印象を受けた。すると、


「友延さん、他に食べたいものある?」

 と、ふいをつくほどの声で、カウンターの前から聞いてきた。

「いいえ」

 利沙は、一言だけを返した。


 立石は、OKと手で合図してきた。思い切りの良い笑顔で。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ