第一章 27
少年院を出た利沙は、そのまま実家に帰る事はできなかった。
実家からは、帰ってくる事のみならず、家族としての縁を切るように申し出があり、利沙もそれに従い、必要な書類に署名していた。
その為、出院したと同時に行き場所が無くなった。
その場合は、一時的にその後の生活環境が整うまでは、児童福祉施設に入所して、行き先を専門的に探してから、そこに住まう事になる。
期限としては十八歳になった後の年度末、三月までとなる。利沙は少年院に入る前に、十六歳になったばかりだった。
利沙の場合は、引き受け先が偶然にもスムーズに見つかっていたため、引き受け先となる施設へ行く事になっていた。
今は、その施設への移動途中の車の中、窓の外には、桜の花びらがひらひらと舞っていた。
利沙は、それを、見るとはなしに見ていた。
「友延さん。これから行く所は、十人くらいの子ども達が、一緒に暮らしているの。
民間のグループホームのような所と考えてくれていいわ。
そこは、小立さんという方の家なのよ。
自宅を、子ども達のために使わせていただいていて、子ども達の面倒を、お二人と数人のスタッフで引き受けて下さっているの。
色々な理由があって、一緒に暮らす事になっているけど、少年院に入っていたのは、友延さんあなただけ。
ただ、他の子の中にも、補導された事がある子もいるけど、全員がそうではないから。
でも、あなたが一番悪いって意味でもないから、勘違いしないでね。
あと、学校に通っていないのはあなただけ。
みんなは、小学校から高校まで普通に通っているから。一日の過ごし方は、小立さんに相談してね」
立石は、かいつまんで話した。
利沙は、頷いただけだった。
「友延さん聞いてた? 友延さん」
利沙は返事をしなかった。
利沙は、違う事を考えていた。
「友延さん、聞いてた?
これから小立さんという人の家で、十人くらいの子ども達と、共同生活をする事になるのよ。
学校に通っていないのはあなただけだから、小立さんの言う通りにしてね。分かった?」
利沙は、今度は返事をした。
「はい。分かりました。小立さんですね」
「そう。
小立さんは、今は十人くらいだけど、今までにもたくさんの子ども達を預かってくださっているの。
何でも気軽に相談できるやさしい方たち、でも、してはいけない事には、厳しい方でもあるわ。
とても頼もしい方だから、安心できるはず、友延さんも頑張ってね」
立石はルームミラー越しに、利沙を見た。利沙は、それに気づき、ルームミラーに向かって軽く頷いた。
立石もそれで安心した。すると利沙の方から、
「ここから遠いですか? 小立さんの所まで」
「そうねえ、大体二時間くらいかしら。どうかした?」
「いいえ、ちょっと聞いてみたかっただけです。ありがとうごさいました」
「聞きたい事があったら、言ってね。知ってる事は、教えてあげるから、何でも聞いて」
「はい。でも、思いつかないです。何を聞いたらいいのか。
……あっ、そうだ。小立さんは、私の事について、どんな事を知ってるんですか?」
利沙は、何気なく聞いた。
「そうね、名前や年齢今までの生活環境、あと事件に関係する事は、書類で渡されてます。
直接口で伝えられている事もあると思うけど、少年院での事や、親子関係について今後気をつける事。 特に、屋外で一人にはならないような、配慮をしてもらう事。
同じような事件が、あなたに起こらないようにしなくてはならないから」
「そうですか、一つだけ確認していいですか?」
「いいわよ。何?」
立石は、時々ルームミラーで、利沙を見ながら話していた。
利沙は、それを確認してから、
「パソコンの使用に関しては、何か言われていますか? それとも、確認されていませんか。
これからも使用に関しては、許可をもらっていますが、それはいいですか?」
「どうだったかな? そこまで確認できてないのよね。
……話はされていないと思う、そういった話は聞いた事ないわね。
でも、裁判所からの許可はあるし、問題ないと思うけど、急ぐの?」
「できれば、すぐにでも使いたいと思います。
他の人との共同での使用はしたくないので、個人的に、使えるようにしてもらいたいから」
「でも、パソコンを購入してもらうわけにはいかないわよ。それは無理ね」
「購入に関しては、問題ありません。それは私の方でなんとでもなります。
ただ、使用できるようにしてくれたらいいのですが」
「そう、よくわからないけど、パソコンについて、詳しい話は何もしてないと思うわ。
何も聞いてないもの。一応、話してみるけど、その後は、自分で話してね。
どうなるか分からないから」
「分かりました。そうします。ありがとうございます」
「ありがとうって言われても、どうなるかは分からないからね。他にある? 伝えて欲しい事」
「いいえ。ありません」
「あっ、そうだ。杖を使っている事は話してあるけど、確か、二階に上がらなければならなかったと思ったんだけど、大丈夫かな?」
返事がなかったので、ミラー越しに見た利沙は、車の外を向いたまま何か考えているようだった。
「友延さん?」
「はいっ。……何か言われました?」
「何か考えてたみたいね。杖について聞いたの、二階には上がれる? 確か、ベットのある部屋が二階だったのよ」
「大丈夫ですよ。それに、なんとかしたらいいだけでしょ。なんとかなりますよ。
心配してくれて、ありがとうございます」
「さっきから、ありがとうばかりね。私、そんなに大した事はしてないけど」
「十分してくれてますよ。私の相手、というか、面倒見てくれてるもの。
お仕事で、っていうのを考えなくても、私は嬉しいです。
自分のために、何かしてくれる人がいるのが、こんなに心強いなんて、知らなかったもの。
……違うか、忘れてたように思います。本当に嬉しいです。ありがとうございます。立石さん」
ルームミラーの中の立石に向かって、利沙は頭を下げた。それを見た立石は、
「そ、そんな事ない。もちろん、仕事っていうのもあるけど、こうしてあなたと出会えて良かったと思っているの。
あなたは、ちゃんと人との付き合い方を知っている。それは、とてもすばらしい事よ」
と、少し照れながら話す立石は、その後ルームミラーの中の利沙を、見る事ができないでいたが、利沙も話しかけなかった。
利沙はずっと窓の外を見ていた。
その右手は、荷物の入ったカバンに置かれていた。
立石もそれに気づいていたが、特に触れなかった。
なんとなく、触れてはいけないような雰囲気があったからだ。
そのカバンは、利沙のために母が荷造りしたもの。
利沙にとって、母や家族の思い出の詰まったものだった。
カバンに何が入っているのかは、まだ分からない。
利沙はカバンを大事そうに触っていた。
顔は窓の外に向けられらたまま、視線は遠くを見ているようだった。
窓の外を見る利沙の目に写っていたのは、今流れている風景ではなかった。




