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第一章 26

 実際に利沙は、びっくりはしたものの、普通に受け止めていた。


 ただ、利沙には何か引っかかるものがあり、それが何か分からず、どうしたらいいかを考えていた。

 利沙の中で母の言葉が、繰り返し流れていた。


「……荷物はそこにあるものだけ。……」


「……あっ。(そうか)」


 そう言ったかと思うと突然、利沙が靴を脱いで杖を投げ出し、二階への階段を上がって行った。

 手すりを上手く使って。


「えっ?」

 立石は虚を突かれて、


「ど、どうしたの?」

 と、言う事しか出来ず、戸惑いながらジダンダを踏んだ。


 何が起こったのだろうと実感するまでに、少し時間がかかった。


 それから暫くして、利沙はさっきとは全然違い、階段をゆっくりと降りてきた。

 そして、小さくこう言った。


「もういい。……行こう。立石さん」


 利沙は、一言一言確認するように言い、靴を履いたが、明らかに今までにない程の動揺が見て取れた。


「何かあったの? 友延さん」

 立石は、利沙に何が起こったのか、確認したくて靴を脱いで上がろうとすると、


「いい。もういいから、……早く行こう」


 利沙は、全く立石を見ずに、さっきより少し大きめの声で話した。

 そのやり取りを聞いていたのか、キッチンから母親の声が聞こえた。


「二階の部屋ですけど、片付けて夫の書斎にしています。

 前からずっと欲しがっていたので。ちょうど良くて助かりました。

 荷物も、そこにあるもの以外は全て処分しましたから。

 もし、足らない物があったら、そっちで買って下さい。

 もう、こちらに言われても、もう、何もありませんので」


 母親のその声はきわめて明るく、普通に、普通の事をさも当たり前の事のように話していた。


 立石は嫌な予感に襲われ、改めて靴を脱いで、二階への階段を上がって行った。


 場所は依然来た時に見た事があったので、迷う事無く利沙の部屋だった所を見た。


 するとそこには、以前の子ども部屋とは全く違い、そこには大人の書斎が広がっていた。

 家具もカーテンも、なんと、壁紙までご丁寧に変えられていた。


 それを見て、立石はなんとも言えない気持ちが込みあがってきて、慌てて階段を駆け下りてきた。

 あまりに慌てていたのか、階段の終わりかけのところで少し躓き、

 もう少しで転びかけたが、なんとかそれを回避すると、そのままキッチンに飛び込んでいき、

 母親と何やらもめていた。


 というより、一方的に母親に噛み付いていると言う感じだが。

 利沙にはそれを聞く気がなく、声は届いていたが、内容を理解するまでには至らなかった。


 立石は、半ば不満そうな顔をして、キッチンから出て来た。

 利沙は玄関に座って立石を待っていた。

 それから立石が乱暴に靴を履いて、


「さあ、行きましょう。友延さん」


 その言葉はそっけなく横柄な態度だった。

 それが余計に腹立たしさを無理やり押し込めている事を感じさせた。


 立石が荷物を両手で一つずつ持ち、玄関を出て行こうとし、利沙はその後に続いて出ようとすると、


「ご苦労様でした。もうここには来ないで下さい。もう関係ないので」


 この言葉に、すばやく反応したのは立石で、間髪いれずに、

「お邪魔しました。荷物ありがとうございました」

 そう言ってから、大きくため息をついた。


「友延さん。行きましょう」


 玄関を出て行く二人を送る事もなく、母親は、キッチンから出て来る事もなかった。


 利沙は、なんとなくキッチンに目をやったが、母親の気配だけで、姿を見る事は出来なかった。

 その後、立石に促されるまま、玄関のドアを閉めた。


 利沙にとっては、これがこの家に帰って来る最後になる。


「友延さん。ごめんなさい。ゆっくりしたかっただろうけど、……ちょっと早かったわね。

 でも、これからの事もあるし、早めに次の準備をしないとね」


 立石はどう見ても、動揺している。

 どんな言葉を飾っても、動揺は隠せない。いや、動揺というより、怒っている。


 怒りすぎて、我を忘れそうになっている。

 しかし、今そうならずにいられるのは、利沙の存在だろう。


 玄関を出た後、立石は利沙のため、車の後部座席のドアを開け、荷物をその利沙の座る隣の空いているシートに置いた。

 その様子は、イライラを隠そうとしても無理だと思ったのか、明らかにイラついていた。

 一つ一つの動きに荒さがあり、刺々しい印象を与えた。


 この状態を言い換えるなら、

 触らぬ神に祟りなし。

 といったところか。


 車は、まだ出発していない。

 立石は、落ち着こうと頑張っていた。


 立石は、今までこんなに感情を、子どもの前で見せた事がなかった。

 それほどまで立石の余裕を奪ったのは、利沙の母親の態度が、原因である事は明らかだった。


 立石は確かに他の職員に比べれば経験は少ないかもしれないが、これでも児童福祉の専門家だ。


 ある程度の覚悟はしているつもりだし、今までにも様々な経験も積んで来ている。

 たくさんの家族の形を見てきた。


 そう思っていたが、ここに来て今までで一番の強敵出現、となった。


 今まで三年間の中でも、こんなにすごい変貌をする親の存在はなかった。


 今回友延家族の担当になった時は、こんなに理想的な家族なのに。

 なんで犯罪に関わるような事になったのか、正直不思議に思っていた。


 が、今日改めて、母親が子ども部屋を書斎に変更するような事が出来るのか。

 いくら子どもとの縁を切る手続きが出来ているからといっても、

 子どもの更正を願い、信じるものではないのか。


 しかも、子どもの物を全て処分してしまうなんて。


 子どもが更正し、再び家族として迎えてあげようという、気持ちのかけらも感じる事がなかった事が、なんだか言い知れない悲しい気持ちにさせた。


 それもあからさまに、子どもに、

「もう来るな」

 と、言ってしまえるものだろうか。


 時間としても、十月末の保護、約一ヶ月の審理。

 その後、十二月の初めから四ヶ月間の少年院入所。


 今は、春の暖かい日差しが差し込んで、気持ちがいいはずなのに、

 心の中は、真冬の嵐が、これでもかという程、吹雪いていた。


 立石が車に乗るまでには少し時間がかかったが、車に乗り込んでからも、長い一呼吸あった。



 利沙が車に乗り込む前に、利沙に声をかけてきた人がいた。


「利沙ちゃん? 利沙ちゃんね。ずいぶん会ってないわよね。久しぶり」

 利沙はびっくりして振り向いた。


 そこには隣の家のおばさんが、買い物袋を持ったままで利沙の方に歩いてきた。


「こんにちは。お久しぶりです、おばさん。……おばさん、買い物行ってたの?」

 おばさんは、利沙を頭から足の方まで見てから、


「そう、お豆腐をね。でも、それって、けが、大丈夫? だから最近見かけなかったのね。

 お母さん何も言ってくれなくて、お見舞い行けなくてごめんなさいね」


 利沙の足を見ながら、食い入るように聞いてきた。


「いいえ。大丈夫です」


 利沙は、おばさんが余りにも勢い良く近づいてきたので、圧倒されてしまった。


「もう退院してきたの? これからはおうちにいるの? だったらお母さんも安心ね」

 早口で言い始めて、なかなか間を割って入っていけない。


「おばさん、心配してくれてありがとう。だけど、私また出て行くので」

「えっ。また。……ああ、そうか。リハビリね? そうよね、杖を使っているんですものね。

 練習が必要よね。そうよね? うちもね、ほら、利沙ちゃんも知ってるでしょう? 

 うちのお義母さん、脳梗塞の後、リハビリのために病院に入っていたの。

 利沙ちゃんもそれね。大変よ、頑張ってね。

 あっ。おばさんそろそろ帰るわね。お豆腐腐ると困るから。

 利沙ちゃん頑張ってね。おばさん応援するわ」


 一気に話し終えると、さっさと帰って行った。

 すごくご機嫌だった。


「誰? 今の人」

 立石が利沙に聞いてきた。

 利沙は半分呆れていたが、立石の言葉で我に返った。


「えっ、あ、あぁ。あの人は隣のおばさん。人はいいんだけど、噂好きな人。

 悪気は無いみたいだけど、あっちこっちで色々話して回る事が好きな人みたい。

 母もあまり関わらないようにしてたみたいです。

 きっと、今日の事、好き勝手に話してまわるかも、母に迷惑かからなければいいけど」


「そう。とても早口だったわね。でも、大丈夫でしょう。

 だけど、あなたの事色々言ってたけど、あれはあれでいいでしょう。

 ……リハビリね。間違いでもないしね」


 と、立石は利沙に向かって微笑んだ。

 利沙もつられて微笑んだ、しかし、利沙のはどちらかというと、苦笑いと言った方がいい。


「でも、お母さんの事は絶対気にしなくていいわ。何とでもするわよあの人は。

 友延さんには悪いけど、離れて正解だと思う。あの人と一緒にいるのは、あなたには合わないわ」


 言いながら、立石はさっきのイライラを思い出した。

 その後、車に乗りシートベルトを締めてから、


「友延さん、色々あったけど、行きましょうか」


 その時には、落ち着いた声になって利沙に声をかけた。


「はい」

 利沙も落ち着いた声で答え、車は走り出した。


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