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第一章  25

           5


 出院の迎えには、本当なら家族が付き添うものだが、利沙にはなかった。

 そこにいるのは、弁護士と福祉関係の職員だった。


 一通り説明があり最後に、

「二度とここに来る事がないように、友延君が頑張れる事を、職員みんな願っています」

 と締めくくった。


 施設の建物を出た利沙は、改めて見上げた。そこには、青い空が限りなく広がっていた。


「空って、こんなに青かったっけ?」


 つい、口にした。

 しかし、誰もそれが聞こえず聞き流された。

「えっ。何か言った?」


「……いいえ。何でもありません」

「そう。では、行きましょうか?」


 用意された車に案内され、運転は福祉施設職員の立石(たていし)がした。

 後部座席に利沙だけが乗り込んだ。弁護士はここまでしか同行しないとの事、車の所で別れた。


「それでは、立石さんお願いします。友延さん。頑張ってね」

 弁護士は立ち去った。


 車は走り出し、立石は利沙に対して、


「これからは、今までのようにはいきません。

 児童福祉に大変貢献してくれて、子ども達からも信頼されている方の家で、他の子ども達と共同生活をしてもらわないといけない。それは分かってる?」


「分かってます」


「それは良かった。でも、その前に寄る所があるの。……つきあってね」

「はい。分かりました」


「どこかって聞かないの? 興味ない?」

「別に、どこでもいいですよ」


 利沙はそれほど興味を示していなかった。

 自分には関係ない。そう思った。

 だから車がどこを走っているのかさえ、あまり気にしていなかった。



 利沙が、何気なく車の外に目をやった。

 すると、見た事のある、懐かしい風景が流れていった。

 最初はピンとこなかった。

 でも、何度か見直すうち、この今走っている道の向こうに何があるかは、聞かなくても分かった。


 いや、知っていた。他の誰でもない利沙自身が既に、諦めていた。

 でも諦められずにいる、その場所へ向かっていた。


 立石は、利沙の表情の変化に気づいたが、あえてそれには触れられなかった。

 余りにも、利沙が、困った顔を、それも、とても悲しそうな顔をしていたし、事情を知っているので、どう触れようか迷ってしまったのだ。

 立石の思っていた反応とは、全く反対の反応だった。


 立石は、利沙が、久しぶりに見る岐路を、楽しみにするのではないかと思っていたため、何も言えずただ車を、利沙の家に向って、走らせるだけだった。

 ただ、黙々と。車には、エンジンの音と、車内で流れる洋楽の音だけだった。


 そのうち商店街を抜け、明らかに住宅街に入って行った。

 そこからしばらくして、小さな公園を中心に、放射状に五本の道が出ている。

 そのうちの一本から、公園のほぼ反対側の道に抜けると、上り坂になっていた。

 坂の半分位に来て車が止まった。


 立石は、

「ここでいい? あなたのお家よね」

 利沙にたずねるが、頷いただけで、言葉はなかった。

 心なしか緊張しているように見えた。

 騒ぎ出したりはしないものの、落ち着きはない。


「友延さん。お家ここでいいのよね?」

 利沙は返事をしなかった。


「……何か用があるんですか?」


「荷物、作ってくれているはずよ。

 これからあなたが使う物だったり、着替えとかその他にも色々必要なもの。

 今日取りに伺いますって伝えてあるので、それを受け取るの。分かった?」


 利沙は、半ば不思議に思った。


「友延さん、聞いてる? 取りに行って来てくれるかしら、ゆっくりしてきていいわよ。

 それとも、一緒に行きましょうか?」


 それに対して、利沙は立石にとって意外な事を言った。


「……取って来てもらえませんか? 立石さん」

「どうして?……あなたの家でしょう? ゆっくりしてきていいわよ」

 

 立石には不思議だった。

 立石の知る限り、自宅に帰ったら皆喜んで、呼びに行くまで母親に甘えたり、ゆっくりした時間を過ごしている事が多かった。

 たまには反対もあるが。明らかに戸惑っていると言うか、困った顔をしている利沙の反応は、意外だった。

 立石自身の経験は、他の職員に比べても確かに少なかった。


 しかし、利沙の様に、家族と長い時間会えなかった子どもにとっての再会は、貴重な時間になるため、出来るだけ家族だけの時間を作ってあげたかった。

 戸惑っているのは、余りにも会えなかった時間が長すぎて、どういう顔をしたらいいのか迷っているのかと、立石は考え、利沙にアドバイスのつもりで、


「大丈夫。お母さんに甘えておいで。しばらく会ってなかたんでしょう? 長い間会ってなくても、親子なんだから、一度会っておいで」


「…………」


「不安なら、やっぱり一緒に行こうか?」

「行ってきてもらえませんか? 私ここで待ってますから」


 利沙は、車から降りようとしなかった。

 それでも立石とのやり取りを散々繰り返し、十分後、車からしぶしぶ降りた。


 利沙には余裕はなく、杖を持つ手が震えていた。

 足取りも杖を使用している分を差し引いても、ゆっくりと頼りなげだった。


 車は、玄関から少しずらして止められた。

 その距離二メートル程だった。

 でも、その二メートル程が、とても遠く感じられた。

 利沙は、そこを五分位かけて歩いた。表情はなかった。


 玄関まで先に着いていた立石は、

 利沙が到着するのを待ってから、インターフォンに手をかけようとして、


「友延さん、あなた押す?」

 利沙は、答える代わりに首を左右に小刻みに振った。


 それを見た立石は、

「私、押すわね?」


 と、インターフォンを押した。

 それから、しばらく応答がなく、


「もしかしたら、聞こえなかったかしら?

  お出かけではないと思うのよ。この時間に伺いますって、連絡しておいたから」


 もう一度、インターフォンに手を伸ばした時、

「はい?」

 と、まさしく、利沙の母親の声だった。


 利沙は身震いがして、隣に立つ立石の肘の辺りに手をやった。

 立石は、大丈夫とでもいう様に、肘を握ってきた手を軽く二度叩いて、ニコッと微笑んだ。

 利沙はそれで安心したのか手を放した。


「福祉課の立石です。今日は、……」

 続けて話そうとしたが、いきなり荒々しい声で、


「そんな事、大声で叫ばないで下さい。さっさと入って下さい。鍵は開いてますから」

 と、乱暴にインターフォンを切られた。


 立石は、唖然とした。

 児童相談所に来た時の態度と、全く違った声と対応に驚いた。

 しかし、利沙の手前そういう態度には出せず、


「きっと忙しかったのよ。……ほら、あなたに持たせるものとか、食べて欲しいものとか作っていたのかもしれないし、……さっ、言われた通り早く行きましょう」


 自分の出来る、最大限の明るい声と笑顔を作って、利沙の方を向いたが、立石の顔はぎこちなかった。


 利沙は、特に違和感を覚えておらず、多分こんなだろうと思っていた。

 だから、立石が慌てている理由が、ピンとこなかった。


 普通に受け止めていた。母親の反応に対して疑問はなかった。


 普通でも役所の人がやって来ればさすがに、多かれ少なかれ慌てるだろうし、

 しかも、それが、少年院を出院してきた子どもと一緒なら尚のこと……。


 立石と利沙は、玄関のドアを開けて中に入っていた。


 二人が入ってきた玄関は、右手にキッチン。

 正面やや左に二階への階段があり、玄関自体は、一畳ほどの広さがあり、三方に上がり口があった。


 普通の家にしてはゆったりとした作りになっていて、二人が立っていても、窮屈な感じはしなかった。


 今はその左側の上がり口に荷物があり、紙袋が一つと、利沙には見覚えのあるかばんが一つ、置いてあった。


「お邪魔します」


 立石は声をかけたが、なんの返事もなく、しかも利沙は何も言わず、その場に立っていた。


 そんな状況だが、母親が出迎える気配がない。

 二人はどうしたものかと思いながら、しばらくそこに立ち尽くした。

 利沙も上がってもいいものの、動けずにいた。二人が顔を見合わせていると、


「そこに置いてある荷物、持って行って下さい」


 母親の声だけが聞こえてきたが、出てくる様子もなく、


「今、手が放せないので、そこの荷物持って行って下さい」


 その声に、立石は始めからのまれていた。

 そして、ある事に思い当たった。


「お忙しいところすみません。わざわざ、荷物も作っていただいて。

 あの、今日は利沙さんをお連れしてます。一度、顔を見せてもらっても構いませんか?」


「……言いましたよね? 今、忙しいって。とにかく、荷物はそこに置いてあるものだけです。

 他には何もありません。それ持って早く行って下さい」


 語気荒く言い返されて、立石は言葉をのんだ。

 今までの印象からは考えられない対応に、圧倒されていた。


 利沙は、そんな母の対応にある種の感銘を受けた。


 今までの母は、人と接する時は、相手に合わせ、きちんとした対応をする人だった。

 なのに、今はそんな余裕を感じない。


 そんな母は初めてで、利沙もとまどいを隠せなかった。

 そんな利沙に、立石が声をかけようとして、こちらも驚いた。


 利沙は思っていたより動揺していない。


 立石には、そう見えた。


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