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第一章 24

 そんな時間が過ぎた後、利沙はしばらく大人しかった。

 なぜか気分が晴れなかった。

 利沙には、理由が何か分からなかったが、ずっと気になっている事がある。


 いつものように、午後のリハビリの時間に、その事について問われ、


「友延さん、この頃あまりやる気なさそうね。どうかした?」

「いいえ。そんな事ないですよ。いつもと変わらないと思います」


「そう見えないけど。……もう少し歩けるといいんだけどね」

「どうかしましたか? 私、なにか」


「そうじゃなくて、ここを出たらリハビリは難しくなるでしょう?

  それを考えると今のうちに、出来るだけ進めておきたくて」


「それって、どういう事ですか? もしかして?」

「まだ、はっきり決まったわけではないけど。出院日が近づいているらしいわ」

「そうなんですか」


「あまり嬉しそうではないわね」

「そんな事ありません。嬉しいです」

「そう。そのためにも、どんどん進めていくから、着いてきて」

「はい。分かりました」

 軽く微笑んだ。


 梅の蕾が膨らみ始める頃、時々明るい陽射しが差し込んでいた。

 しかし、利沙は気持ちが晴れないでいた。


 利沙は自覚していないが、刑務官達は、原因を突き止めており、その対策にカウンセリングの準備を整えていた。

 このまま外に、普通の生活に戻すわけにはいかなかった。


 なぜなら、今の気持ちのまま出ると、不満が募った時の対応が出来ないままに、罪を犯してしまう可能性があるからだ。


 利沙の問題は、自分の感情を素直に受けとめる事。

 そうする事で前向きに対処できるようになる。

 自分の感情に、蓋をしたままではなんの解決にもならない事に気づく事。


 これに気づかなければ、出院には程遠い


 利沙のカウンセリングが始まったのはすぐで、感情の処理の仕方を学ぶ事になった。


 少年院では、院生の中でだけ、ある噂が囁かれていた。


「カウンセリング受けるのは、再犯で捕まったか、再犯の恐れのある奴。

 だから、危ない奴が、カウンセリングを受ける」


 というもので、これにはなんの根拠もなかった。

 そんな噂を知っていた利沙は、カウンセリングに前向きになれなかったのも、ある意味、頷けるかもしれない。


 少年院では、毎日日記をつける事になっていて、利沙も例外なく日記をつけていた。

 その日記の内容は、ある日を境に変化していた。それは、小井野の面会があったその日だった。

 

 利沙の日記は、こんなふうに書かれていた。


「……人は、功績を挙げても、その人に見合った待遇はなかなか受けられずにいる。

 しかし、世に中を上手く渡っていく人は、何もしなくても、何も持っていなくても、いい待遇を受ける。

 しかも、才能がある人はそんなにいない。

 だから、ない人からのいわれのない恨みを買う。

 しかし、世の中は、才能ある人間が決め、ない人は動かされているに過ぎない。

 なのに、ない人の方が、楽をしていい評価を得ようと、才能ある人の足を引っ張る。

 引っ張った事で、ない人同士で喜び合う。

 このままでは、どうでもいい人だけは生き残り、そして後悔する。

 何も出来ない人だけでは、世の中は上手くいかない事に。

 その時初めて気づくのだろう。自分達が役立たずで、生かされていた事に……」


 その様な内容で、毎日繰り返されていた。

 これは、世の中の自分の評価が正当でないという不満が、日々蓄積されている事を現している。


 本人の自覚がない事が、恐ろしい。

 その為にも、カウンセリングではっきりさせる必要がある。


 刑務官、カウンセラー、医師など利沙に関係する人達が出した判断は、


「友延利沙の考え方は、自分に対する世間一般の、不当評価に対するもの。

 いわゆる、典型的な天才思考による、不満の蓄積。

 親からの愛情を受けられないための愛情不足。言い換えれば自己を過大評価している」


 と、して今後このままでは、何かきっかけがあれば、何かしらの動きを起こす可能性があり、監視(観察)する必要があるという、共通認識の確認がなされた。


「時間をかけても、友延は納得しないでしょう。

 かえって警戒し自分の事を憐れみ、余計に、不満を募らせるかもしれない。

 そうなった時のフォローアップは、徹底的に行いましょう」


 こういった中で始まった、利沙のカウンセリング、上手く進む事も無く、最初からつまずいた。

 利沙には、カウンセリングを受ける理由が分からず、もうすでに不満があった。


 始まってすぐから、カウンセリングは、一度必ず受けなければならない事だと、何度も説明して、やっと、利沙のカウンセリングに対する姿勢は変わっていった。


 カウンセリングの中で利沙は、いつも通り、理解のいい利沙がいた。

 何に対しても受容的で、かといって無理な事や嫌な事に対しては、嫌と言える。ごく普通の姿勢があった。

 しかし、反対にそれが気になった。


 普通すぎる。


 そう感じてしまうのだ。

 なぜか利沙は、勘がいい。


 自覚していない可能性が強いが、どう振舞ったらいいか、そういった事に勘が働くのだ。


 問題は、理解のいい利沙が本物ならいいのだが、そうともそうでないとも言えない。

 あれ以来、危険な印象がなくなった。


 まるで、図ったかのように……。


 桜の花は、散り際が美しいとも言われる。

 木にはまだ花が残り、緑の葉とのコンストラクションが目にまぶしい頃。

 利沙が入所して四ヶ月が経っていた。


 カウンセリングの結果、考え方や感情の表現などの問題が解決され、足のリハビリも杖を一本にしても、ゆっくりなら歩けるようになっていた。

 普段はまだ二本使用している。さすがにナイフにより、神経と筋肉の断裂された部分の回復が遅れていた。


 また、両親との和解など、出院後の行き先が検討されていたが、そのめどもたった。

 その為少年院からの出院が決定された。


 しかし、出院後もカウンセリングと、リハビリテーションの継続が必要であり、担当病院へ毎週一回、(必要に応じて増減される事あり)通院が義務付けられた。

 

 出院が決まってからも、特に変わる事無く日々が過ぎていき、その日を迎えた。

 前日には杉原の面会があり、激励された。利沙も笑顔で答えた。


「ありがとう」

 その顔には、自信が見えた。


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