第一章 21
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一日の生活リズムが規則的で、決まったカリキュラムが整然と進むなんて、日常にはなかなか存在しない。
でも、ここには、それしかない。
もし、そんな世界があるとすれば、刑務所くらいだろう。それが、子どもの世界なら少年院となるだろうか。
利沙が今いる世界も、まさしくそれだった。
ナンテンの赤い実が木に色を添える頃、利沙が少年院に入って、もうすぐ一ヶ月。
ここの生活にも慣れてきた頃だった。
利沙は、ここに入ってすぐ、学校に対して退学届を提出した。
利沙の両親が弁護士に依頼しての事だが、利沙も抵抗しなかった。
素直に従ったのではなく、言われるままに書類を書いた。
利沙は自分から、一度も自分自身の言葉を発していなかった。
そして、今、もう一つ書類が利沙の手に渡った。
それにはまだ、記入されていなかった。
ここは女子少年院。全国にいくつかある、そのうちの一つ。
ここでの生活は、先にも書いたように規則正しい。
ほとんど例外なく同じ一日が、一週間が続いていく。
利沙個人で見てみると、午前中は、授業。午後は、作業時間に当てられていて、作業と言っても、何か仕事をさせられるのではなく、今までの自分を振りかえらせたり、自分の犯した罪について考え自ら反省できるように、そして二度と同じ過ちを起こさせないようにする時間となっている。
が、利沙は週に二回は、リハビリテーションになっていた。
事件で負傷した右足のリハビリ。傷は縫い合わされ、見た目には治った様に見えるが、機能的には、まだ回復していなかった。
歩く事は足を引きずれば何とかできるが、長い時間立ったり歩いたり、走る事など到底無理だった。
そのため、リハビリがカリキュラムの中に組み込まれていた。
しかし、リハビリは順調に進んでいるようだが、やる気がないために思ったような成果が出ていなかった。
利沙は、四人部屋で団体生活をしていた。
基本的に自由時間以外は、私語は禁止されている。
その為、四人が部屋にいても静かなものだった。
たまに、もめる事はあっても仕方ない。
だって、そんなだからここにいる。
その中にあって、利沙は大人しい方だった。
この部屋に入ってきたのは一番遅く、他の三人は利沙が入ってくる前からいた。
利沙が一番新しい。って事だ。
しかも今の利沙は、足に障害がある。だから、目にもつきやすい。
何かというと、影でこそこそ嫌がらせをしてくる。
足をかけたり、物を隠したり。そんな事をして、相手がミスをするのを楽しんでいた。
いや、ミスした後の反応を楽しんでいた。
時には、ミスした事で刑務官に注意されるなんて、最高なのだ。
一般的にいう、集団いじめが行われているのだが、それしか楽しみがなかった、ともいえる。
いや、もう一つ、とっておきがある。
それは、面会。
身内や、関係者が面会に来てくれるのを、彼女達は一番楽しみにしていて、面会の回数が多い者は、気持ちにも余裕があり、やっかみまがいのいじめにも、意外に強かったりもする。
反対に面会の少ない者は、ひがんだりする事が多い。
それが、八つ当たり的にいじめに発展し、利沙みたいに入って間もない者を対象にしてしまうのだ。
仕方ない、ここにいる者は、多かれ少なかれ、その経験をして過ごしてきている。
刑務官が注意しても、繰り返しされているし、何よりその刑務官の目に付かないよう功名にされるので、注意どころか発見する事が難しい。
一人一人の刑務官が、他にもいくつも仕事を抱えていて、手がないのが実情だ。
利沙は、そんな中でも淡々と、一日一日を過ごしていた。
ある日、利沙に面会を求めてやってきた人物がいた。
今まで何度も面会を希望しながら、実現しなかったのだが、今日はどうしても会う必要があった。
杉原だった。藤川から、利沙が自分を避ける理由を聞き、考えた末どうしても会っておきたいと思いやって来た。
そう簡単には会えないだろうが、とにかく、動かずにはいられなかった。
非番のこの日、時間の許す限り待つつもりでいた。
「今日は、粘って、粘って、少しでも会いたい」
そうする事が、利沙のためにも、自分のためにもなると信じていた。
そうした思いとは裏腹に、今日もなかなか会えそうになかった。
すでに、今日一度目は断られ、今また、ここで待っている。
利沙は、面会の申し出になかなか応じなかった。
今まで面会に来てくれたのは、弁護士の他は、杉原しかいなかったが、弁護士としか話さなかった。
いつもは、断って終わっていたのに、今日は勝手が違っていた。
何度も言われると、伝えに来る刑務官も、
「会いなさい。今日は会うまで帰らない。と言っているの。何度も断るのはこちらも言いにくいでしょう? 会いなさい」
と、刑務官の方が、痺れを切らしていた。
利沙も、何度も言われるうち気持ちが動き、会うだけならと、引き受けた。
面会室には、少し緊張気味の杉原がいたが、落ち着きなく立ったり座ったりを繰り返していた。
そんな時、ドアが開いた。
杉原は急いで立ち上がり、ドアの方に目をやった。
そこには、久振りに見る、利沙の姿があった。
おそらく、ここにいる他の少女達とおそろいのジャージを着て、ここに入ってから少し伸びた髪はまとめてあった。
刑務官に連れられた利沙は、入り口で軽くお辞儀をしてから中に入った。
杉原もつられて頭を下げた。
そして、二人が椅子に座ると、刑務官も部屋の隅に置いてある椅子に座った。
「ごめんなさい」
先に口を開いたのは、利沙の方だった。
うつむいたまま一言だけだった。
それでもどう話そうか迷っていた杉原は、ほっとした。
「な、何を? 俺を待たせたと思っているなら、大丈夫。そんな事気にしてないから。
それよりありがとう。会ってくれて。俺にはそれが一番嬉しいよ。
……それに、謝らなければならないのは俺の方だ」
ここで、杉原は改めて座りなおし、利沙をもう一度見た。
利沙はまだ下を向いたままだった。
「利沙。……会ってくれてありがとう。俺な、なんで利沙に避けられてるのか分からなかったんだ。
だから、正直ショックだった。
……でも、違ってた。俺が原因だったんだろ?
俺がお前を、裏切ったって思ってるから、俺から離れてたんだよな。
藤川から聞いた。って言うか、無理やり言わせたんだけどな。
藤川、覚えてるか? 捜査の担当だった奴だよ」
利沙は、ずっとうつむいたまま聞いていた。杉原は続けた。
「すまん。ほんとに、すまん。俺が不用意だった。
俺が、お前が首謀者かもって言ったあの言葉、あれが原因なんだよな?
すまん、あれ、ぜんぜん本気なんかじゃない。
本当に本気で、お前がやったんじゃない事は分かってたんだ。
ただ、なんとなく、いや。本当にすまん。俺は信じてる。お前を、利沙を信じてる。
今でもだ。許してくれとはいわない。
一つだけこれだけは、言わせてくれ。
俺は、今までもこれからもずっと、誰がなんと言おうが、利沙の味方だ。
どんな事になっても、俺だけは利沙を信じる。信じるぞ。いいな。
利沙がやめてくれって言ったって、信じてやる。絶対だ」
これだけの事を一気に言って、ふうぅ。とため息をついて利沙を見ると、相変わらずうつむいていた
が、その目から大粒の涙が溢れていた。
次から次へと、溢れ出ていた。
利沙はそれを拭う事もせず、時々しゃくりながら、ずっと涙が流れていた。
それを見て、杉原の目からも涙が溢れ、頬を伝った。
「利沙。ごめんな。本当はもっと早くこの事は言うべきだった。
後悔してる。
最初の事件からずっと、利沙を見てきた。
利沙は、本当はいい子なんだ。
でも、それが上手くいかない時もある。
今がその時かもしれない。
一人で、ずっと戦ってきたんだろ? ごめんな。気づいてやれなくて。
これからは、俺も一緒に戦ってやる。
……ちょっとばかり、心もとないけど、それくらい我慢しろよ」
「……ごめんなさい。ごめんなさい。わたし……何言ったらいいのか」
「いいよ。何も。……これからも、よろしく」
「……ありがとう。でも、心もとないのは、ちょっとじゃないよ」
利沙が、涙を拭いながら明るい口調で言うと、杉原も頬に伝った涙を拭ってから、
「何だよ。すっげぇ、心強いか? そりゃうれしいなぁ」
「ちがうよ。すごく、不安なの」
笑顔の、いつも通りの利沙がそこにはいた。その顔を見てすごく安心した。
負けじと笑顔いっぱいで、
「それはないだろう。それは」
二人はどちらからという事なく、笑い出していた。
その時、同席していた、刑務官から、面会時間が終わる事を知らせてきた。
しかたなく、二人は次に会う事を約束し席を立った。
利沙が刑務官に連れられて、ドアのむこうに消えていこうとした時、刑務官が、杉原の方に向けて軽く一瞬頭を下げた。
杉原もほぼ同時に頭を下げた。
実は、杉原が面会を申し込んだ時、担当官にこう伝えた。
「友延利沙は、今一人ぼっちになっているはず。
気持ちの上でせめて一人ではない事を知らせたい。
どうしても今日は会わずに帰る事は出来ません。
会うだけでいい、話してくれなくていい、ただ、会ってくれればいい、とにかく会わせて下さい。
お願いします」
そう言って、刑務官に、利沙を面会室に向かわせるように頼んでいた。
あくまで、利沙本人が会うと言わなければ、面会は行なわれないが、利沙の気持ちを向かわせてくれたのは、杉原の気持ちに答えてくれた、刑務官の気持ちだった。
「友延利沙については、我々もどうにかしたかった。もしそれで、
前向きになってくれるなら協力しましょう」
そう言ってくれていた。
杉原は、もしかしたら利沙には、利沙も気づいていない味方がいるのではないかと思われた。
多分、いるに違いない。
それが分かっただけでも良かった。
しかも、利沙と分かり合えた。
そう思うと、幸せな気分になれた。
面会室を出た利沙は、刑務官と歩いていく途中で突然止まり、振り返った。
こんな事本当は許されない。当然注意をしようと口を開きかけると、
「ありがとうございました」
それだけ言うと、クルッと向きを変えて歩きだした。
その顔が満足そうで、普段めったに笑わない刑務官でさえ、つい微笑んでしまうほどだった。
利沙がここに入ってきて、こんな風に笑ったり、嬉しそうに話すところを見た事がなかったから。




