第一章 20
一人になった利沙は、呆然としていた。
刑事とのやり取りに疲れていたのもあるが、藤川の最後に言った言葉が、ショックだった。
「杉原さんも言ってた。首謀者かもって」
この言葉が利沙の頭の中を駆け巡った。
「杉原さんも、私を疑っていた?」
この事実が、今の利沙には一番ショックだった。
誰に疑われても、捜査員にどんなに責められても耐えられると思っていた。
でも、それも自分を信じていてくれる人がいるからで、唯一信じてくれていると思っていた人でさえ、自分を疑っていた。
この事で、利沙の居場所、心の居場所さえどこにもない事がはっきりした。
両親の心にはすでに利沙はいなかった。
それを何かと支えてくれたのが、杉原だった。今は、その杉原さえ信じてはくれない。
利沙は、もう誰も頼れない、信じられないと思った。
完全に、孤立した。
利沙が入院して一週間がたつと、足の傷の抜糸も終わり少し早めの退院が許可された。
この入院中、何度となく捜査員が利沙から話を聞いていたが、利沙には何も抵抗する事なく言われた事をそのまま受け入れた。
もう、どうなってもいい。
そんな気持ちでいた。
だから、いったい今、自分の立場がどうなっているのか分からなかった。
でも、そんな事どうでもいいのだ。もう。何もかも終わりにしたかった。
何度か杉原が面会に来たが、一度も会わなかった。
会いたくなかった。
悲しい気持ちになりたくなかったし、本当は疑っているのに、信じてますという顔を見たくなかった。
ところで、退院しても利沙が家に帰られる事はなく、そのまま捜査員に連れられて、警察署へと向かった。
警察署まで来た利沙は、両脇を捜査員にかかえられ入っていった。
途中出迎えていた杉原と顔を合わせそうになったが、無視した。
杉原は声をかけたが、それにも返事はしなかった。
杉原は、何で利沙が自分を避けるのか分からなかった。
ただ、何かあっただろうという事はわかった。
だから、捜査一課の捜査員に探りをいれたが、これといったものはなく分からずにいた。
利沙には、覇気は全くなかった。
ただ、自分を哀れんでいるだけで、人の言う事に流されていた。
状況は、たいして変わりないが、利沙の供述で現場の結論が出ていた。
現場の血痕が、車の中にもあった事で、負傷したのは強盗に入る前である事が判明し、そこから、三人の男達が口裏を合わせていた事に落ち着き、利沙は、強盗に巻き込まれたという事が判明。
しかし、警備会社のコンピューターへの侵入による被害も相当なもので、外部から侵入された事実は、信用問題に発展、契約数の減少など様々な、影響が出ていた。
ただ、建物に関しては、無理やりにこじ開けたりしたものはないので、建物や備品の損壊などはほとんどなかった。
利沙は一度警察署に連れて来られたが、少年鑑別所に入る事になり、そこで今後どうするかの判断を仰ぐ事になる。
ここでは、弁護士による聞き取り調査、本人の身辺を含めた周辺調査が行われ、本人の反省の度合いなど、総合的に加味される。
その上で、どうしてあげるのがその子にとって最良かの判断が下される。
以前、利沙がハッキングで補導された時もここで、保護観察処分の決定がなされ、家に帰る事ができた。
しかし、今回は、以前と状況があまりにも違う上、保護観察中の事件であるため、より慎重な審議の必要があった。
両親の聞き取り調査では、実際社会へ出る最初の場所であるため、家庭環境が重要視されている。
しかし、今回の事件で両親には、利沙を受け入れるだけの余裕はないと判断され、利沙本人も家に帰る事を拒否、事件性も考慮され、最終的に少年院に収監される事になった。
期間は三ヶ月以上六ヶ月未満となった。
利沙には、これといった味方がなかった。
その為にこれからの試練にどこまで立ち向かえるのか。
不安要素は挙げるとキリがない。
そんな頃に警察署では、偶然杉原と藤川が顔を合わす機会があった。
「お久しぶりです。杉原さん。この前はどうも」
「久しぶり。こんな風に会う事なんて滅多にないのにな」
杉原は、無愛想に答え、藤川はご機嫌な感じだった。
「そうですね。前に会ったのは、宝石店強盗の時ですよね?」
「そうだな。ところで、聞きたい事があるんだが、いいか?」
「いいですよ。何でも聞いて下さい。答えられる事には答えますから」
「ああ。あの宝石店事件の容疑者に挙がった友延利沙の事だが、覚えてるか?」
杉原は、探るように聞いてみた。
「ええ、覚えています。主に私が聴取の担当でしたから」
「それなら、都合がいい。俺は、あいつが中学の時から知っている。
いろいろ相談とかにも乗っていたんだ。
今回の事も捜査の担当じゃないが、その分話し相手になってやろうと思っていたんだ。
なのにどうしてか、会おうとしてくれなかった。面会に行っても会えなかった。
署に連行された時にも会いに来たが、無視されたように思う。何でか分からないんだ。
俺は避けられてると思っている。
いろんな奴に聞いても誰も「分からん」と言う答えしかない。
もし、心当たりがあったら、なんでもいい、教えてくれないか?」
杉原は、切実に欲していた。
「なんでそんな事気にしてるんですか?
相手が避けてるんなら、こっちも相手にしなければいいでしょう。
必要なら相手の方から、声をかけてくるんじゃないですか?」
「そんな事出来るか。今あいつは一人で戦っている。
家族からも離れて少年院だぞ。
なんとか力になってやりたい。
あいつ、強がってみても弱い奴なんだ。
こっちからひつこい程手を出して、やっと握り返す事が出来るような奴なんだよ」
「一つ聞いていいですか? そこまで思い入れるって、なにかあるんですか? 友延に」
「思い入れって? そうだな、あえて言うなら、妹みたいな感じかな? ほっとけないんだ。
あいつも俺を慕ってくれてたんだよ。あの時までは」
「もしかしたら、それが原因とかだったらどうします。妹は嫌だ。なんて……」
藤川はからかうように言った。
「ふざけるな。こっちはまじめに相談してるのに、話して損した。もういい、ありがとよ」
杉原は、そう言って行きかけると、
「でも、もしかしたら、あれかなぁ?」
藤川の意味ありげな言い方に歩きかけた杉原の足が止まった。
「何だよ。その言い方、何か思い当たる事があるのか?」
杉原は、藤川に迫った。
それには藤川も驚き、杉原の体を両手で押しのけながら、
「ちょっと、びっくりしたぁ。何なんですか? その……近いんです。少し離れて下さい」
杉原は、今にも藤川に食らいつきそうになっていた。
「すまん。つい、なっ。で、何かあるのか?」
「待ってください。話しますから、少し落ち着いて下さい」
「……悪いな。もう、大丈夫だ」
そう言って、杉原は少し離れた。それを見てから、藤川は話し始めた。
「私が、友延の担当になって初めて会ったのは、病院の前で杉原さんにお会いした日です。
その日は、顔合わせも兼ねて、かなり突っ込んだ話をしました。
その時の彼女は、かなりつっかかって来ました。
でも、二回目の時には、人が変わったみたいに、静かになっているというか、心ここにあらず。
という感じになってて、肩透かしを受けた気がしました。
二回目といっても、次の日ではなくその日の夕方で、時間にして三時間くらいしか経っていなかったんですが、それからは、ずっとあの調子でした」
「……と、いう事は、その間に何かあった可能性が高いんだな。ありがとう。
何とかそこから探してみるよ」
「……でも、もう一つ思いあたるんですが、いいですか?」
「何だ? 改まって」
「実は、あの日、俺言ったんです」
「何を?」
杉原は覗き込むように聞き入った。
「杉原さんにお会いした時に、言ってましたよね?
確か「あいつが首謀者かも」って。
あれ、そのまま伝えたんです。杉原さんがそう言っていたって」
「…………」
杉原は、一瞬言葉に詰まった。
「なんだって、そんな事言ったのか? っていうか、あれを聞いていたのか?」
「ええ。聞こえていたので。それにあの時点では、そこまで親しいとは思っていなかったので。
……そう言えば、あの後から様子が変わったかも」
「なんて事。……なんて事してくれたんだ。俺は、あんな事本気でなんて言ってない。
それを、そんな言い方。・・・・・・ひどすぎるだろう?・・・・・・あぁ。もう」
「すみません。でも、おかげ様で聴取もうまく運んだので、助かりました」
そう言って藤川は、立ち去って行った。
その後一人残された杉原は、近くにあった椅子に座ってうなだれた。
その表情は、困惑と後悔とが交じり合ったものだった。




