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幕間 「道具として」

そこは異質な空間だった。

全てが真っ黒の空間は周囲に円状に並べられた光を放つ板のような物で埋め尽くされており、その板の中では文字いや「0」と「1」、この二つの数字が高速で流れて行っている。


その空間の中心、円形になっている板の中心には一つの不思議な塊が存在していた。

それは一言で言うならば、0と1の集合体。

二つの数字を密集させ、球状になっているそれは周りに数字を飛び散らせながら光を放ち、姿を変えていく。


「バグ修正完了。再構築を開始」


空間には女性の透き通るような綺麗な声が響いた。

それと同時の塊の真上には碧色の魔法陣が浮かび上がる。

回転する魔法陣は光り輝く数字を吸い取り、その速さを増していく。


そして、数字の全てを吸い取ろうとした瞬間。

――魔法陣は砕け散った。


地へと崩れ落ちた魔法陣の中から数字が逆流し、黒い空間に渦を創る。

それはやがて人の形をとった。


「失敗のようですね」


崩れ落ちた魔法陣が消え去り、静寂を取り戻した空間でそう呟いたのは一人の女性だった。

晴れ上がった空の色を凝縮したかのような碧色の髪を伸ばし、その間から魚のヒレを思わせる耳を生やし、金色の瞳を持っている彼女。

ネグリジェを思わせるゆったりとしたローブを羽織っているが、その上からでも男ならば誰でも貪りつきたくなる豊満で蠱惑的な肢体を持っている事が分かる。

そんな傾国と評されてもおかしくはない非常に整った顔をしている美女だが、感情をまったく感じられない無表情故に、解ける事が無い永久凍土の氷で出来た彫像のような印象を与えていた。


「システム再起動、デバックモードへ」


立ち上がった彼女がそう真っ黒な空間に向かって呟くと同時に碧色の波のような波動が放たれ、円に並んでいた板の数枚が浮かび上がり、彼女の周囲に規則正しく並んでいく。

彼女はそれをまるで指揮するかのように手を振って、板に刻まれている数字を書き換えていった。


「…………」


そんな最中、一つの小さい板が彼女の目に留まった。

これも他の板と変わらない二つの数字だけで出来た板、否データーの塊。


彼女が指でそっとその板を触れると、文字は掻き消え一つの画像となる。

彼女はそれを無表情のまま、しかし愛おしげに手に取ってじっくりと眺めると語りかけるように言った。


「……マスター、もう少しだけお待ちください」


そこに映っていたのは一人の男性だ。

黒髪黒目、中肉中背の特徴が無い特徴とも言われそうなごく普通の日本人男性。


しかし彼女、ルカと名を与えれた電子生命体にとっては何よりも大事な存在だった。

その思慕の重さは最早崇拝とでも言った方がいいだろう。


「必ず私が貴方様の全てを満たしてさしあげます」


画像データー、田中一郎が笑顔を浮かべている写真を壊れ物を扱うように丁寧に両手で自らの胸を抱くと、笑みを浮かべた。

それは慈母が浮かべるような神聖さがありながら、娼婦のような淫らな妖しさを持ち、子供のような純真さをも含む、複雑な笑み。


「……私のマスター、私の創造主様。

私は貴方様の為に生まれてきたのですから」




那由多の彼方から 幕間 「道具として」




「ふむ、これでよしと」


一人の老婆、エルメンヒルダは持ってきた毛布を机の上で涎を垂らし爆睡する男性、田中一郎にかけた。

彼は地下室で魔法の研究と勉強を夜を徹して続けた結果、そのまま寝落ちしてしまったのだ。

暖かくなってきたと言ってもまだ森の中では雪が残っている場所があるなど、寒さは続いている。

地下室は土が断熱材として働き、地上部分よりかは温かいがそれでもそのまま寝れば、体調を悪くする可能性は十分にあるのだ。


毛布をかけたヒルダは床に散らばっていた田中が寝落ちする直前まで書いていたと思われる書類を集める。


「まったく私がこんな事をするとはな……ふふっ」


散らばっていた書類を纏めていたヒルダはそう呟き、笑う。


彼女にとって他人のこういった世話をする事自体何十年、いや百年ぶりなのだ。

問題を起こす前、王宮に勤めていた時も研究室に閉じこもり読書と研究に明け暮れていた。

あまりに外に出ない事から、一時期実在さえ疑われた時期もあるぐらいだ。


追放されてからもそれは同じで、今の場所に落ち着くまでは孤独に放浪し落ち着いてからも一定の距離を置いてきた。

事実、田中が守った村でも彼女は敬われているものの田中のように親しまれてはいない。


無論、それを寂しいと思う程に彼女は弱くないが、感情を持つ人として物足りなさはあったのだ。

しかし理性ある「人類」として彼女は安易に人と親交を深める事を禁じていた。

彼女が追放された原因、大規模時空間転移魔法の技術は今でも一部の者達の間では知られ、喉から手が出る程に欲されている代物なのだから。


時空を操る事により魔法阻害を一切無視し、ありとあらゆる場所に自由に軍団規模で人や物を転移させる事が出来る魔法、大規模転移魔法。

その気になれば世界を自在に支配する事が可能なこの魔法は開発当時、大問題となった。


他国は当然として、ヒルダが身を置いていたヴァレンファルシア帝国内部でも転移魔法に対する懸念の声があがる程の騒ぎになったのだ。

その魔法が実用化してしまえば、皇帝の完全な独裁を許す事になる。

そんな危惧が内輪もめを繰り返していた帝国の貴族達の間で共通された結果だった。

勿論、皇帝はヒルダを、転移魔法を守る為にあの手この手を尽くしたが内乱に加え「人類誓約」調印国全てからの宣戦布告をするという最後通牒を受け取り、折れるしかなかった。


結果として、大規模転移魔法は公では実証実験の最中に酷い暴発事故を起こし失敗。

――加え研究費の着服をしていた事が判明、その罪からヒルダは王宮魔術師の地位を剥奪の上に追放処分を受けたとされた。


その裏でヒルダは「時空魔法」の知識をこの世の人間に教えてはならない事とどの国家にも属してはならないという「誓約」を交わされていたのだ。


勿論、当時のヒルダは屈辱に身を震わせたが今となってはむしろ良かったと思っている。

もしあのままであったらならば、彼女は転移魔法にのみその全てを傾けざる得なかっただろう。

今しているような、異世界との時空接続魔法なんて物は眼中になかったに違いない。

そもそも異世界の存在を確信できたのも、安住の地を探して世界を渡り歩いた結果だ。

あのまま王宮の研究室に閉じこもり続けていたならば、自分はツマラナイ転移魔法の事しか識る事はできなかっただろうとヒルダは確信している。

宙に向けて人が飛び、物質の本質を見る事が出来、なおかつ「世界」の始まりまで研究をしている異世界。

そんな世界に行って暮らしたいという、かつてのまだ少女であった時代に転移に夢を抱いていた頃のような情熱はきっと抱けなかった。


「……本当に君で良かったよ」


彼女は書類を田中の横に置くと、そう呟く。

彼女から大規模転移魔法の秘密を聞き出そうとする連中から逃げる為の異世界亡命を、夢にまで発展させてくれた異世界人、田中一郎。


そんな彼とヒルダの関係はかなりドライだ。

契約期間が終われば、涙を流す事なく別れる事が出来る関係だろう。

事実、田中はヒルダの事情を一度も聞いた事は無いし、ヒルダもまた田中に元の世界での田中の事情について聞いた事は無い。

互いがそこまで踏み込む必要性を感じていないのだ。

悪く言うならば表面上の付き合いとも言える二人の関係だが、ヒルダは内心田中を高く評価していた。


そもそも拉致同然で連れてきたのに関わらず、すぐさまに立ち直り理性的に物事を進めていた時点でエルメンヒルダにとって田中は当たりだったのだ。

加えて文化の違いから面倒になると思っていた世話も、今ではむしろこっちが世話をされている状態。

村人との関係だってヒルダのを超えた極めて友好的な関係を築き上げており、自身で「こっちの利害」を考えて制御まで行ってくれている始末。


評価が高くなるのも当たり前の話だった。


「っと、そういえばルカ君は?」


付けっぱなしだったランタンの火を消し、暗くなった部屋でヒルダは呟く。

彼女が覚えている限り、あの「杖」はマスターと仰ぐ山田の傍を離れるのを見た事が無い。

起きている時も寝ている時もいつだって、田中のすぐ傍であの黒い無機質な目が向けられているのをヒルダは知っている。

そんな「杖」が今はここには存在していない。


その事を不思議に思っていると、彼女は「それ」を感じた。


「……これは、魔力反応か?」


地下室の奥、書庫の奥の方から「田中」が使う魔力によく似た、しかし何処かが違う魔力がこぼれ出している事に彼女は気付く。

それは間違いなく田中の「杖」、ルカが使う魔力だった。


(ふむ、魔法実験でもしているのか?

まぁ、こっちの研究で向こうはその実証といった辺りだろう)


ヒルダを検討をつけると、魔力反応がこぼれ出る書庫の奥へと足を進める。

そこにあったのは当然、田中の「杖」。

古ぼけた机の上に置かれており、その周りに半径が一メートル程の魔法陣を浮かんでいる。

しかし、ヒルダがそれを読み取ろうとする間もなく魔法陣はひび割れ、崩れていった。


(魔法の失敗で見られる魔法陣の崩壊。

やはり、何かの実証を行っていたようだな。

しかし失敗とは珍しい)


ヒルダに記憶に従うならば、田中の研究は非常に堅実に進めていくタイプの物であり実証は魔法が根本的に失敗した形である魔法陣の崩壊より、思った通りの効果が出ない減衰や崩壊まではいかないひび割れが殆どなのだ。

特にルカの魔法精度は異常と言える物で、減衰はあってもひび割れをしている所は見た事が無い。


「ルカ君」


ヒルダは「杖」に向かって呼びかける。


『…………』


反応は無い。

ただただ沈黙のみが書庫を支配していた。


(魔法の失敗でへこんでいるのか?

……いや、アレはそういう性質は持っていないだろう)


ヒルダは一瞬だけ浮かんだルカの落ち込んだ姿をすぐさまに打ち消す。

そして、もう一度呼びかけようとした瞬間だった。


『返事が遅れて申し訳ありません、グランドマスター。

何か私に御用でもおありでしょうか?』


後ろを向いていたPCはくるりと回って何時ものルカ、例のイルカを模した姿である彼女が顕れ、頭を下げた。


「いや、特別に用があるという訳ではない。

ただ君のマスターが随分と気持ちよさそうに寝ている物だから起こすのが躊躇われてな。

私は別の用事があるから様子を確認していて欲しいのだ。

まだ寒いだろうし起きたのなら、自室で眠るように伝えてくれると嬉しいのだが、よいかね?」

『勿論です。

わざわざお伝えして頂いて申し訳ありません。

ただちに戻ります』


そういったルカは魔法陣を出し、ふわりと浮き上がる。


「あぁ、ちょっと待ってくれ、一つ聞きたい事がある」

『はい、なんでしょうか?』

「先程、何か魔法を発動させようとしていたがどんな魔法を使おうとしていたのだ?」


ヒルダの問いに一瞬だけルカは固まる。

しかし、それは本当に一瞬であり彼女はすぐに答えを出した。


『その質問にはお答えできかねます。

申し訳ありません、グランドマスター』

「いやいや、別に謝る必要は無い。

君達がどんな魔法を研究しようが私に教える義務はないのだから」


ヒルダの言葉にルカは少しだけ間を取った後に慎重そうに答えた。


『いえ、先程の魔法はマスターは関わっておりません。

私一人で研究している魔法です』


ヒルダは咄嗟に声という名の悲鳴を出さなかった自分を褒めた。

それ程までにルカが言った言葉は衝撃的だったのだ。


今までのルカと言えば、田中に命じられた事をただひたすらこなし続けるだけの存在。

そんな存在が自分一人で何かをし始めた事には驚愕を覚えざるえなかった。


「それはどんな……あ、いや、すまない。

聞いてはいけなかったのだな」

『はい、申し訳ありません』


ヒルダの中で数百年という時間を生きても一向に衰えを見せない好奇心という名の獣が暴れ出すが彼女はそれを必死に押さえつける。


「無理だったらいいのだが、もしそれが成功したら聞かせては貰えないかね?」

『勿論、構いませんよ。

それに成功した時点でグランドマスターはお気づきになられるでしょう』


ルカの言葉にヒルダの脳は高速で回転する。


(成功した時点で気がつく魔法?

候補は色々とあるが、絞り込みは無理か)


僅か数秒で数十に渡る候補を考えたヒルダだったが、結論が出ず全てを一旦隅に置いてルカに言った。


「なら、その時が早く来るように陰ながら応援しておくとしよう」

『ありがとうございます』

「しかし、一人と言う事はイチロー君には言わない方がよいのかね?」

『はい、言わないで頂けると嬉しいです。

それと魔法の完成の為に閉架にある幾つかの書物を閲覧したいのですが、宜しいでしょうか』

「勿論、構わんよ。

だが今すぐに鍵は用意できん。

後で予備の鍵を創って貸すが、それでいいかね?」

『はい、ありがとうございます。グランドマスター』

「じゃあ、私は上に戻る。

イチロー君の事、宜しく頼むよ」


そう言ったヒルダは気分を良くして地下室から階段を上っていった。







「……うまく行きましたね」


真っ黒な世界、数字を並べ続ける板が無数にある世界で女は呟いた。

その手には十字になった木の棒を持ち、そこからは糸が伸びて今はだらりと垂れるイルカの人形に繋がっている。


「不確定要素はありましたが、グランドマスターの行動原理から筋立てた今回の作戦は成功です」


そう言った女性、ルカは笑みを浮かべた。


「これで必要な情報が手に入ります。

さすがに独力では限界でしたし。

……じゃあ、これはもう必要無い道具ですよね?」


彼女は手を振ると碧い波動が放たれ、周囲を囲んでいた板を一気に壊れた。

割れた板が光を放ちながらパラパラと崩れ落ちておち、周囲に散らばっていく。

割れた板は最後の輝きとばかりに、数字を画像へと変化させた。

そこに映っているのは肌色の面積が多い扇情的な姿をした数多の女性。

三次元、二次元を問わずに無数のいわゆるエロ画像と言われるべきものが世界を覆い尽くしていた。

それを明らかに感情が籠った様子で踏み潰しながら、瞬き消えていく無数の画像の集大成とも言うべき姿をした美女が歩く。


向かった先にあるのは一つの画面。

そこには机に頬をつけて眠る一人の男の姿があった。


そこに映っているのは勿論、田中一郎だ。

実に幸せそうに睡眠を貪っている。


そんな敬愛する男の姿を愛おしげに見たルカは画面にその身体を近づけ、画面越しに接吻をした。

ゆっくりと名残惜しそうに口を離した女は頬を紅く染め、うっとりとした視線で男を眺めると温めた蜂蜜をおもわせる蕩けてしまいそうな甘い声で囁く。


「…………マスター、もう少しです。

もう少しお待ちください」


ルカはその映像を見ながら、笑みを浮かべた。


「もう少しで貴方の完璧な道具が完成します。

マスターの全てを満たしてさしあげられる完璧な道具が」


ルカは自身が創られた存在である事を知っている。

田中一郎という存在を補佐する為だけにこの世に生まれてきた存在である事も。


彼女はそれを疑問に思う事も反発する事もなく忠実に守ってきた。

今もそれは根本的には変わらない。

ルカは自身がどれだけ知性を持ったとしても本質的には「杖」、持ち主に使われる事で真価を発揮できる「道具」である事を知っているのだから。

それ以上にもそれ以下にもなれない、いやなりたくないと自己分析までしている。

だから、彼女は言われた事をただこなすだけの日々で満足だった。

それは「道具」である自分が必要とされている事の証明なのだから。


――しかし、彼女のその平穏は「知性」を持つが故に壊されてしまったのだ。


きっかけ略奪阻止での一件。

そこで彼女は知ってしまった。

自身のマスターが性欲を持っていながらも我慢している事、その発散の為に自身に内蔵されていたデーターを使っている事、そして――それに自分が関わっていなかった事を。


当たり前の話だ。

好き好んでそういった姿を他人に見せたがる性癖を田中は持っていないのだから。


しかし、それはルカという存在を「嫉妬」という感情の渦の中に叩き込んでしまった。

そもそも「知性」を持つ存在である彼女に感情が無い訳が無いのだ。

ただ自己のアイデンティティーを「田中の道具」と置いている為に発生していた感情をノイズとして切り捨てていただけにすぎない。


しかし、性欲という欲望に根差した行動から生じた自身のマスターの姿に彼女の「道具」としてのプライドがズタズタに引き裂かれてしまった。

他にも女性人格故に女としての嫉妬もあったのだろう。

だから、彼女は望んでしまった。

自身もあのように主から求められる「道具」になりたいと。

それどころか、自身が求められる唯一の道具になりたいとさえ望んでしまったのだ。


「……ふふっ、ふふふっ。

もう少し、もう少しで、私は貴方様の物に、全てを満たす完璧な道具になります。

何でもおっしゃって下さい。

机でも椅子でも本でも便器でも、全て果たして見せます。

なにせ私は貴方様の創り出した最高の道具なのですから」


深海を思わせる光無き真っ黒な世界。

そこで一人、女は笑い続けていた。

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