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第二話 後篇 「後始末」

黄昏の赤い陽に照らされ、真っ赤に染まった村の近くの草原。

そこに俺と村長が佇み、目の前に広がる光景をただ眺めていた。


――炎。

身長大程まである赤い色を放つ炎が目の前で燃えている。

その中ではパチパチという火花が散る音と共に身ぐるみを全て剥がされた八人の傭兵の死体が燃えていた。


炎によって全身を真っ黒に焦がした彼らはまるで助けを求めるかのように動かせない身体を起き上がらせ、炭化した手をこちらに向けて伸ばしている。

無論、これは身体が焼けた際に皮膚や筋肉が収縮した結果であり魚を焼いた時にその身を丸まらせるのと同じ「動物」としての反応だが、分かっていてもそう見えてしまう程に彼らは哀れだった。


特に収縮が始まった時の不気味さはとてつもなく、焼却の為の準備を手伝ってくれた村人達の殆どはむくりと生焼けになった死体が起き上がった時に悲鳴を上げて逃げてしまった程だ。

逃げなかった村人も気分を悪くして、吐いたりしてしまったので先に村に帰している。

まぁ、この近辺というかこの世界の常識的には土葬が中心なので、こういった光景を見慣れていないだろうし仕方が無いだろう。


「…………」


そんな死体を責任者として唯一残った村長と共に無言でただじっと眺めていると、こちら側に伸ばされていた手が炎に焼かれ、ボトリと地に落ちた。

落ちた手は火花を散らした後にゆっくりとその焦げた肉がボロボロと真っ黒な灰となって黄昏の紅く染まった空に昇っていく。

後に残されるのは彼らの白い骨。


ふんな彼らの「俺が行きつかせた」最後の姿を見て、ふと自分の手を見た。

そこには当然、見慣れた俺が手がある。

こっちの世界にきてから水仕事もやっているのでちょっと荒れてはいるものの何時も通りの俺の手。


その「一切変わらない姿」に俺は戦慄を覚えざる得なかった。


「……これは不味いな」

『どうかしましたか、マスター?』


隣で同じように眺めていたであろうルカが俺の思わず漏らしてしまった独り言に反応する。


「あぁしてる、こいつはかなり不味い。

ルカ、俺は今までの行動にまったく罪の意識が無いらしい」


そう、不味い事に八人という現代日本なら死刑確定の数の人間を殺したのに俺には罪悪感が一切ないのだ。

具体例を出すなら森で熊を狩った時と同程度の感覚。

嬉しさも悲しさもなく、ただただ「日常的」に淡々と目の前の出来事を処理してしまっている。


そんな俺の自分に対する焦燥を理解できないルカはその小首を傾げ、俺に問いてきた。


『それは何か問題でもあるのですか?

そもそも今回は向こうがこちらを害しようとしてきたのが始まりです。

マスターには責任も何もないと思いますが?』

「ルカ、これはそういう問題じゃない。

これは俺の常識に深刻な欠陥が生じている事を指しているんだよ」


現代に住む日本人の常識として、例えばの話だがDQNに絡まれてじゃあ殺そうと軽く決断をして実際に殺してしまう人間は普通の人間だろうか?

どう考えても普通じゃない。そいつは間違いなく黄色い救急車で運ばれるべき社会不適合者だ。

しかし、こっちの世界では俺の世界で、発展した先進国の間では非常識となっている事がまだ常識。

この一年、そういう世界の薄暗い部分を少しだけだが俺は見ている。

まぁ、奴隷商人とか食費切り詰めの方法とか掠奪の結末とか。

だからこそ「そっちの常識」でもって俺はこの案件を対処しなければならなかったし、したのだが、今の俺は感覚まで「こっちの常識」になってしまっている。


「こりゃ、とっとと元の世界に戻らないと不味いな。

ベトナムならぬ異世界帰りとか言っても誰も信じてくれそうにないだろうし。

師匠が常識を確認したがるのは当たり前か、畜生」


田中一郎、現在二十五歳。

人間の適応能力の凄さを体験している最中だった。




那由多の彼方から 第二話 後編 「後始末」




「あの、お弟子様、聞いても宜しいですか?」

「はい、なんですか?」


殺した傭兵達の死体を火葬に埋葬、ついでに簡単ながらも墓の設置としていたら太陽はいつの間にか地平線の彼方へと沈み、元の世界では考えられない程に澄んだ空に天頂を覆い尽くす程の無数の星が煌めいている。

そんな夜の世界を「杖」のライトで照らしながら最後まで責任者として残ってくれた村長と共に無言で進んでいると、突然彼は俺に話しかけてきた。


「お弟子様が傭兵達におしゃっていた地中に埋めた符ですが、いつの間にそんな事を賢者様はしていたのですか?

村人達、儂もですがそんな事をしていらっしゃる姿を見た覚えは無いのですが……」


あぁ、あれの事か。

そりゃ、勝手にそんな物を埋めていたら気になるだろう。

しかし……。


「勿論、嘘に決まっているじゃないですか。

符をいちいち一枚ずつ地面に埋めていくなんて面倒な事を師匠がする筈がありませんよ」


そもそも俺と違って師匠は小細工を必要としない絶対的な力を持っているのだ。

普通に魔法で倒せばいい。


「え?……えぇッ!?

で、では、なぜ彼らは!」

「普通に私が魔法で殺したんですよ」

「しかし、お弟子様には魔法陣が」


何を言いたいのかは分かる。

魔法陣とは魔法を使う際に足元に出る古代語が書かれている光を放つ円の事。

俺は紫、師匠は蒼と色が術者ごとに違っているこいつは魔法行使には不可欠なのだ。

どんな天才と言われる魔法使いでも魔法を発動させる場合はこいつに魔力を通さなければ発動が出来ない。

符魔術なんかは符に魔法陣を書いたりする事で出さなくてもいいのだが、詠唱形式で魔法行使をする場合は必ずこいつを出さなくてはいけないのだ。

しかし、俺はそれを何処にも出さずに魔法を行使した。

村長が疑問に思っているのはそういう辺りなのだろう。


「申し訳ないのですが、それは言えません。

実はこれは師匠が持つ技術の一つでして、私は誓約で師匠から習った事を人に教える事を禁じられているのです」

「あ、いえ、こちらこそ不躾な事を聞いてしまい、申し訳ありませんでした」


勿論、嘘。

魔法陣が出なかったのは魔法をルカ側で処理させていたからだ。

ルカが主導で魔法を使用する場合、「杖」の内部で魔法陣を出す事でこちら側で出さずに魔法を使用できる。

まぁ、そうする場合は普通よりかなり多くの魔力を無駄に消費するので普段から使うといった事は無いが。

しかし、この手法は初見の相手にはかなり有効なのでなるべく隠しておきたいのだ。

誓約書を用意するのなら別に教えても構わなかったがそこまでして教えないという気持ちがある訳でも無いので便利用語「師匠」を使ってごまかした。

この用語、元の世界での「宗教上の理由で」に匹敵する便利さを持っている。


「気になさらなくて結構ですよ。

代わりといってはなんですが、どういった魔法で彼らが殺したのかは教える事は出来ますが、聞きますか?」

「宜しいのですか?」

「えぇ、これは教えても問題なしですし。

知っておいた方がそちらも安心できるでしょうしね」

「……そのご厚情痛み入ります」


俺の言葉に少しだけ震えた後に、深く頭を下げてくる村長の姿に俺は苦笑いを浮かべた。

村長が不安になるのは当たり前の話だ。

俺だって何もせずにただ立っているだけで人を殺せる人物が目の前にいたら味方であったって不気味さを覚えるに決まっている。


「私が使ったのはですね、ある物を切断する魔法なんです」

「切断ですか?」

「はい、切断です。

小指一本あれば切断できる凄く脆い物を切断したんですよ」


基本的に生きている生物というのは小指一本の力で殺す事が出来るのだ。


「それは?」

「簡単な事です、村長。

私は魔法で彼らのここを通っている血管を数本、切断したのですよ」


そう言って、俺が指さしたのは自分の頭。

いや、正確にはその中にある脳だ。

脳内の血管を複数本切断する事で脳血管障害を意図的におこす生物内切断魔術こそが俺が最も得意とする物であり、彼らに使った魔法の正体だった。

本来なら、脳や血管を現す「古代語」が存在しない事から無理なのだがそこを「造古代語」の技術を応用する事で補完している。

まぁ、「造古代語」なので当然運用するには色々と問題があるのだが、チートというかルカの力で持って強引にねじ伏せているのだ。


「は、はぁ、それで彼らはあのように?」


え?あ、あれ?

なんか反応が薄くないか、これ?

俺的にはもっとそういう手があったのか!みたない反応を期待していたのだが……。


そんな感じでなんというか間抜けに互いが固まっていると耳につけたイヤホンからルカの声が響いた。


『マスター、彼には医学知識がありません。

脳の血管を破ったと言ってもそれが死ぬ事に繋がると理解できないのかと』

「……ぁ、そうか、そういえばそうだったな」


冷静になって考えてみれば脳卒中の原因自体がまだこの世界では発見されていなかった。

勿論、患者を解剖すれば分かるので一部の医療従事者は見当をつけているかもしれないが元の世界のウェッパーのように誰も本にしていないので世にはまだ知られていないのだ。

これにはこの世界の最大宗教であるエラザ教の教義の一つ、死者を冒涜してはならないというのが拡大解釈され、旧派の連中が解剖自体をタブー視しているのが原因。

そういった旧派による無数の拡大解釈を打破しようと生まれた改派も解剖については内部で割れており、解剖という行為自体が持つ不気味さから解剖というと改派信徒も旧派の解釈に賛同する事も多い。

そんな情報を小さい村の村長に言った所で分かる訳が無いだろう。


「えぇ、まぁそうです。

とはいってもそう簡単に出来る事ではないですからご安心下さい。

村長にあれだけの時間を稼いで貰ったからこそ出来た事ですから」


説明した通り、あの切断魔法は準備に時間が物凄くかかるのだ。

そもそも人体というか特定生物に直接作用する魔法はとんでもない時間がかかる上に魔力消費が尋常ではない。

どうにも魔力の反発というか、魔法自体が現象の書き換えみたいな代物なので、既に現象として存在している生物相手にすると物凄く効きにくいのだ。

まぁ、脳の血管は基本的にmm単位なので切断の使う魔力は百本切っても人を一人丸焼けにする火球を作るより少ないのでその点では特に問題は無いのだが、残ったもう一つの問題である時間がかなり不味い事になっている。


魔法というのは基本的に古代語を使った文章内容の具現化だ。

勿論、文章であるから文法の概念があり、それが整っていないととんでもない事になってしまったりする。

そして考えてほしいのは対象を絞る文章。

これには「固有名詞」が必要なのだ。

例えば対象が俺なら、俺の「真の名前」で使って詠唱しなければ効果は発揮されない。

さて、この「真の名前」知っていたとしても他人に簡単に教えられるだろうか?


ここまで説明をすれば分かるだろう。

対象を絞る魔法は「真の名前」制限がある為に色々と修飾語をつけて完全に対象者を特定してから詠唱しなければならないのだ。

これが治癒魔法ならば、今触れている相手とか使って短縮できるが敵となった場合はそうはいかない。

加えてこの特定が中途半端だと無限に対象が広がり指数関数的に消費魔力が増えた結果、ガス欠で術者がぶっ倒れた上に魔法不発という最悪の自体を招く事になる。

だからこそ、この世界で攻撃用の魔法といえば火やら風といった対象を絞らない現象を使った副次的な物が主流を占めているのだ。

俺とルカはそこら辺を卑怯だが、PCと一緒に「杖」になった携帯のカメラ機能による写真撮影という技術でもって個人の完全な特定し疑似固有名詞にして運用している。


まぁ、この技術も写真データー自体を古代語変換しなければならなかったりとかなりの時間を食う技術なので言うほどには便利な技術ではなかったりするが。


「そうだったのですか。

でしたら無茶をした甲斐があったというものです。

それと遅くなりましたがお弟子様、村を救って下さった事、全ての村民を代表してお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。

加えて、わざわざこんな老体の為に魔法の説明まで……本当にどんなお礼をすればご恩を返せるのやら」

「そんな、この件に恩などありませんよ。

そもそもこれは私達の共通の問題でしたし、私も村長の手助けがなければいささか、いえかなり厳しかったと思います。

おそらく私一人の力では、余計に事態の悪化する可能性が大でしたから」


先の言葉には嘘はまったく含まれていない。

事実、村長が時間を稼いでくれない、または出来なければ事態の悪化は十分に感がられる状態だった。

何せ俺は最初、雷撃魔法の同時起動で一網打尽を考えていたのだから。

しかし、この対処法は相手に魔法使いがいた場合、同時起動という性質上、必要不可欠な魔力を溜めこむ行為によって生じる魔力反応から何らかの魔法発動が察知され確実に行使前に防御をされてしまう。

そうなった場合、魔法自体の有効限界射程距離自体が大体80~100メートルなので冷静な相手なら防御魔法を展開し続ける事で数人を逃がす事が可能なのだ。

それは非常に不味い自体を引き起こす事になっただろう。


そもそも目標として彼らに報復する気が起こさせない、死ぬまで悪夢として見て魘されるぐらいまでにその心をへし折る必要があるのだ。

彼らの本質は簡単に言うと元の世界のDQNなので、撃退しても傭兵団に帰って大人数になれば気が大きくなり、追い払う程度では報復行動を目論む事は間違いない。

加えて、村人に追い返された傭兵団なんて知られたら雇ってくれる勢力はいなくなるだろうし、沽券にもかかわってくるのでおそらくその総力を挙げてまた来る。


だからこそ守られている立場の村人すら恐怖を覚えてしまう程のあのハッタリを敢行できた事は今後を見据えるなら最善手だったのだ。

あの後に賠償金で当然のようにゴネた傭兵共を神経切断で四肢を動かせなくした上でその神経をバイオリンの弦にしたコーラスを聴かせてやった成果もあり、何人かは幼児退行を起こしていたし俺を顔を見るだけで失禁していた奴が大半になっていたのでおそらくもう大丈夫だろう。

それに傭兵団に戻ったら、この村には来ないようにと他の知らない傭兵団の連中にも伝えるように「教育」もしたし、完全勝利と言っていい。

……まぁ、その代わりに俺の「常識」が完全に壊されているという置き土産も残してくれたが。



そんな事を話していると、村の明かりが見えてくる場所まで戻ってきていた。

煉瓦や石で造られたその村の明かりは温かい。

俺と話している間は隠していたが緊張と疲労を見せていた村長の表情も明かりが近づくにつれてゆっくりと解れていくのを感じられた。


「そうそうお弟子様、今日はもう遅いですし我が家でせめて夕餉だけでも頂いていかれませんか?

倉庫から取り出した甘味もありますし、孫もお弟子様の話を聞きたいと日ごろから言っておりまして、どうでしょうか?」


村の中央、道が分かれている所に来ると村長は立ち止まり、俺に向けてそう言う。


「その提案、大変うれしいのですが遠慮させて頂きます。

色々とありましたが私は元々師匠の命を受けて物資の調達の為に村に来ている訳でして、それをまずは持ち帰らなければならないのです。

ですから、そういった話は今度自由な時間が取れて村に来た時に誘って頂けた時になら喜んでお受けさせて貰います。

折角のご厚意、申し訳ありません」

「い、いえ、そんな、こちらの配慮不足です。

では今度、いらっしゃった時を楽しみに待っております。

この村はお弟子様と賢者様ならいつでも扉を開ける用意が出来ていますので」

「はい、私も楽しみにしていますね。

では、私はこちらなので今日はこれでもう失礼させて頂きます。

それでは良い夜を、オーラント村長」

「はい、良い夜を偉大なる魔術師イチロー」


互いにそう言うと、村の分かれ道で村長と分かれ雑貨屋の方に向かって歩きはじめる。

後ろを振り返れば、俺の姿が消えるまでじっと村長が頭を深く下げていた。





村長と分かれた後、スウェイソンの店の前に行くと、荷物をたんまり込めた荷車を用意しずっと外で待ち続けていたであろう彼から思いっきり抱きしめられた。

そのままおそらく感激で涙目になっていた彼から、幻聴で骨の軋む音が聞こえてしまった程に熱いハグを何度もされ、彼の太ましい奥さんからは頬に熱すぎて溶けてしまいそうな、というか痕跡を溶かしたい熱烈なキスを貰った後、村防衛の感謝の印としてこの世界では中々入手できない甘い菓子を頂いた。

その後、引き留められながらも村長にしたのと同じ言い訳を言って断った後、俺は荷車を曳いて完全に闇の帳が落ちた森の中を進んでいた。


浮かばせている「杖」から放たれる光が時折、獣の鳴き声や蠢く音が響く森を鋭く照らしている。

そんな中、紫色に光る魔法陣が俺の足元に浮かび上がり、文字列が回転すると小粒の粒子となって森の散っていった。


『……術式終了。

マスター。半径百メートル以内に敵対的生物は存在しません』

「了解。後はいつも通りに……いや、すまんな。

アクティブは五分単位で続けてくれ。

パッシブに引っ掛かった相手は気絶で頼む」

『了解しました。

……それとマスター、一つ質問をしたい事があるのですが宜しいでしょうか?』

「ん?

それは別に構わないが、何を聴きたいんだ?」

『休まなかった理由です。

あれだけの魔力行使をした後ですし、村長の家で一晩休んでもよかったのではないですか?

効率面から考慮しても夜に無理に森を抜けるより、日が昇ってからの方が安全かつ労力も少ない筈です。

私にはマスターがどうしてあのような嘘をついてまで断ったのか理解できかねます。

宜しければ、あの行動にはどういう意図があったのかご教授して頂けると幸いです』


こちらに向けられた「杖」の中ではルカの無機質で感情の無い真っ黒い目が俺を見つめていた。


「やっぱり、そういう部分は相変わらず鈍いか。

あのな、ルカ。

村長の家に泊ったらちょっと不味い選択肢を突きつけられる事になるんだよ。

どっちの選択をとっても、互いに不幸になるだけのそんな選択肢をな。」

『意味がよくわかりません。

具体的な説明をお願いします』


俺が説明をしようと口を開くが、隣からそれを遮るようにしわがれた声が森に響く。


「あの村長は村を救ってくれたお礼として君のマスターに自分の孫を宛がわせるつもりだったのだよ。

君のマスターはそれが嫌だったのだ」

「し、師匠ッ!!」

『ッ!!』


俺の隣にはいつの間にか師匠が歩いていた。


「そこをどきたまえ、私が運ぼう」


驚愕する俺とルカを無視して師匠は足元に魔法陣を展開させるとブツブツと呟き、手に持っていた杖を一振りすると顕れた極彩色の捻じれている空間をだし、荷車を浮かばせて入れた。

あれは師匠得意の空間魔術だ。

捻じれた空間の先は家の地下室にある物置と繋がっていて、届くのにかかる時間が一日から三日と不安定だがどんな場所からでも師匠の家に物を持ちかえる事が出来る。

まぁ、生きている生物は放り込むと「壊れる」らしいので持ち帰りにしか活用できない物だが、かなり便利な魔法だ。


……というか、なんで師匠がいるんだ?


「え、い、いや、なんで師匠はここに?」

「私はここに居ては不味いのかね?」

「い、いえ不味くはないですが、一体、何時から居たんです?」

「君と村長が話している所にあの怪我をした若者が来た時ぐらいか?

随分と前の話だが、念のためにと思ってしかけた警戒網に命知らずが引っ掛かったと思って様子を見に行ってみたら、君が面白そうな事を計画してたので静観させて貰ったのだよ」


えっ?マジで何か仕掛けていたの?この人。

というか、それなら俺って何もしなくてもよかったんじゃ。


「しかし、相変わらずだな君は」

「は、はは、すいません、師匠。勝手に名前を使ってしまって」

「別に構わんよ。

あの程度の事が出来ると思われた所で、過去の私を知っている奴らからの評価は変わらないだろう。

むしろ、聞いたら安堵するかもしれん。

防御用に術式を仕掛けた自体が外と関わりたくないという態度の現れだからな」


……本当にこの師匠は過去に何をやったんだろう?

確かに合理性からくる冷酷で冷たい部分はあるだろう。

暇な時間を見つけては俺から聞いた電気やら何やらの検証実験やらノート作成という研究馬鹿気質もある。

だけど、血ではなくオイルが流れているような機械の心の持ち主でもないし、マッドでもない。

師匠は実利から来る部分もあるだろうが魔女と恐れられるただの強者ではなく、賢者と慕われる程の高い知性の持ち主なのだ。

そんな人物が世界を捨て去りたいと願う程までの「しでかした事」が俺には分からなかった。


「まぁ、そんな事はどうでもいい。

で、どうしてなんだね?」

「どうして言われましても。

既に答えをさっき師匠はおしゃっているじゃないですか」


結局、泊らなかったので推測にしかすぎないがおそらくあのまま寝ていたら夜に俺の部屋には村長の孫が来た筈だ。

自意識過剰とかではなく、これはあの村特有の風習から来る事実。

実は村では結婚する意思を表す行為が花嫁の家に婿が連続二日間泊る事なのだ。

どこの平安時代かと突っ込みたくなったが、まぁ、そういう風習がある。


それで村長は結構前から俺の事を狙っていたのだ。

そりゃ、俺の表向きの身分は賢者の養子であり弟子、加えて獣鬼を軽く捻りつぶせる程度には強い。

そんな人物が自分の孫の夫となったら、安泰だろうと思ったのだろう。

息子夫婦を流行病で亡くしている村長夫妻にとって、老い先短い自分の代わりに安心して面倒を任せられる人物が欲しいのは当たり前の話だ。


露骨な誘いは無かった物の、以前からそれとなくそういった事は示唆及び提案されていた。孫である子も地味で素朴ながらも良くみてみれば可愛いと言える顔立ちで、ちょっと話した事がある程度だが一緒に居て落ち着く良い子なので「俺側」に問題が無ければOKを出したかも知れない。


まぁ、そんな村長の頑張りを知らない純粋な彼女は現在進行形で村人の少年に恋しており、俺の事はそういう対象として眼中にない事は喜劇としか言いようが無かったが。

そもそも俺の事をおじさんと呼んでアプローチの方法を聞きに来るぐらいだし。

まだ俺二十五なんだけどなぁ。


「あれはあくまで状況確認だよ。

私が聞きたいのは原因だ。

なぜ、わざわざこんな苦労をしてまであの誘いを断ったのだ?」

『マスター、私も気になります。

差支えなければ教えて頂けませんか?』


いや、マジで何なんなのこの状況。

色々と困惑していると師匠は俺に向けて生暖かい視線を浴びせ、諭すように言ってきた。


「まぁ、無理に言えとは言わんよ。

私も君に言わずにしている事はあるからな。

ただ、誓約として私は君に衣食住全てを提供する義務があるのだ。

それは男としての本能を満たす事も含んでいると私は思っている。

無論、私では満たせないので村人の連中に口利きをするつもりだったのだが、君がそういった我慢している素振りを見せなかったので最近まですっかり忘れていたのだよ。

だから今回の村長の提案で私はほっとした部分もあるのだ。

しかし、それを断るとなると色々と困るな。

おそらくだが、君の趣向に合うサービスを提供してくれる店はそれなりの街じゃないと」


師匠は俺の方を叩きながら、とんでもない事を言い続ける。

いやいやいやいや、待て待て待て待て!


「ストップ、ストップ!誤解です、師匠!

俺は普通でノーマルです、特殊な性癖なんて物は持っていません!!」


頼むからちょっと待てくれ、何か俺凄い勘違いをされているよな、これ!


「大丈夫だ、私はその程度で人を区別するような安い人間ではない。

東公の公都は色々とあると聞いている。

君が満足する店はきっとあるはずだ」

『……』

「おい、ルカ、黙り込むな、検索しようとするな!

というか師匠、違いますって!

そういう特殊な性癖を俺は持っていません!

あぁ、もう!

言いますよ、言えばいいのでしょう!

絆されたくなかったからです!」


深夜の森にエコーが掛る程の大声で言った俺の言葉に一人と一匹は一瞬だけ固まると心底驚いたような表情と声色で言った。


「はっ?嘘だろう、それは」

『えっ?』

「……なんか、もう俺は泣いていいですよね、これ」

「あ、いや、すまない。少し言い過ぎてしまった」


どう考えても少しじゃないと思うのだが。


「別にいいですよ。で、納得はして頂けましたか?」

「……あ、あぁ。

しかし絆されるのが嫌だからとは。

私との付き合いを見る限り、君はそういうのを気にするタイプではないと思っていたのだが」


ルカといい、そんなに俺は薄情に見えるのかね?

まぁ、実際薄情な部分はあるので否定出来ないが。


「えぇ、その事については否定しません。

しかし最悪の場合、あと四年は帰還するのにかかるのでしょう?

一年ぐらいなら問題無いと思いますがそこまでかかった場合だと、さすがに俺でも情ぐらいはわきますよ」


抱く以上、男女の関係になる訳だ。

そんなのを四年も続けた上で、ポイッと捨てる事が出来る程には俺はまだ人間性を捨ててはいない。

勿論、その場合は当然どうするのかという問題が出てくる。

前の世界を捨ててこの世界に残るという選択肢は論外だし、連れて行くにしても師匠とは違って最後まで俺が責任を取らなければならない。

そういう関係で連れてくる以上、問題は多発するに決まっているのだ。


という訳で優先順位として前の世界への帰還を一番に上げている現状として不確定要素が混ざる事はなるべく避けなければならないとい結論に達し、深い関係を俺は持たないようにしている。


「ふむ、なるほど。

……しかし、本当に君と話をしていると君の年齢を忘れそうになるな」

「別に老人を気取ってはいませんよ。

ただ臆病で面倒くさがりやなだけです」


俺みたいなチキンの為に娼婦という存在がいるのだが、ぶっちゃけ文明レベル的に普通に怖い。

現代とは違って近藤さんが大量生産されていないので歩く病原菌の可能性が十分にある。

勿論、そういう対処方法として魔法がある訳だがわざわざ安全で満足できる相手を探す程に飢えている訳でもない。

結果として、面倒くさがりで臆病な俺は帰ったらあの金で現代の可愛くて安全な子で遊ぼうと自分を誤魔化し続ける生活に慣れてしまった訳だ。


「まぁ、師匠の年齢が四十五歳程若返ってくれるならこんな苦労はしないで済んだと思うんですけどね」


俺は笑ってそう言った。

ぶっちゃけ、師匠は今でこそヨボヨボでそういう対象として見ると吐け気を覚えるが、良く見てみると若い頃は美人だった形跡が見られる。

外見的に三十代なら、普通に高嶺の花クラスの美貌は確実に維持しているだろう。

それに師匠なら互いに分かっている為、感情が入り込む事は無い。


「残念ながらそれは無理だな。

それに私の場合、その倍九十若返ってもこの姿のままだ」


俺の言葉に師匠は笑って返した。


「そうでしょうね。

……さてと、ルカ、これで満足か?」

『え?あ、はい、ありがとうございますマスター』


俺たちの会話を聞きながら貝殻パソコンで何か打ち込んでいたルカは唐突に自分に向けられた言葉に慌てた様子でパソコンをしまうと、頭を下げた。


その姿に何時もと違う不思議な印象を受けたが、師匠がこちらに話かけたきた事ですぐにその事は脳裏から消え去る。


「とりあえずご苦労だった。

物資に菓子も手に入った事だし倉庫で冬の間、加速させていた酒でも飲もうか」

「そいつはいいですね。

甘い菓子ですし、この前に作った俺が作った酒、日本酒が合うと思いますよ」

「君が作っていた米とやらを原材料に作った酒か。

うむ、いいな。

あれの味は気になっていたし……よしさっさと帰ろう」


そういった師匠は身体を浮かばせ森の中を突き進んでいった。


「じゃあ、ルカ。とっとと俺たちも帰るとするか」

『はい、帰りましょう、マスター』


頷きあった俺たちは闇の濃い森の中を早歩きで突き進んでいった。


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