* 旅館 其の一 * 1
旅館のチェックインの時間は、午後の2時。
少し早めではあったけれど、その土地を車で走り回って時間をつぶすことは、3人が暗黙の了解のように避けていた。
道路を歩いて渡り、旅館へと向かった。
午後1時半くらいだった。
「この時間だったら、誰もいないってことはないよね」
「いるでしょ、もう」
「……いなかったら!?」
「やだ、やめようよ」
そのような会話をしながら旅館へ向かっていた。
「……にしても、どうして気付かなかったのかしら」
森田先輩が小さく呟いた声が聞こえたけれど、聞こえない振りをしていた私がいた。
何故だか判らなかったけれど。
ガラガラ……
最初に旅館へ入った時と同じ音をたてて玄関の扉が開いた。
中へ入ると、その音に気付いたのか、今度は、黒いスーツを着た男性がニコやかに微笑みながら出てきた。
スーツといっても、制服みたいな……。
どちらかというと、ホテルのフロントマンのようなスーツを着た中年の男性だった。
「いらっしゃいませ」と深々と頭を下げてくれたその姿に安堵を覚えた。
普通に見る光景だったから。
昼食をとる前に入った時と同じ空気の感じがした。
重たくもなく、どちらかといえば軽い。
また森田先輩と目が合い、お互いに軽く頷いた。
それまで、キャンセルしようかと思っていた私たちもいた。
しかし、旅館の男性の笑顔につられ、更には私たちをフロントへ通してくれたその丁寧な対応につられ、キャンセルし損なってしまった感じで、チェックインしてしまっていた。
「森田先輩も大丈夫そうだし……大丈夫か」
そんな独り言を言った私に、森田先輩が笑顔を向けてくれていた。
チェックインの手続きの後、部屋へ案内してくれたのは、ピンク色の着物を着た仲居さんだった。
薄いピンク色の無地の着物に紺色の長いエプロン(というか前掛けみたいな)をした、正に、“温泉旅館の仲居さん!”といった感じだった。
フロントから部屋へ向かうとき、反対側へ行くと幾つかの温泉があるという廊下を通った。
歩くたび、ギシッギシッとした鈍い音。
これには、笑えなかった。
気味悪い音にも聞こえていた。
外観よりも大きな旅館らしく、部屋まではけっこう時間がかかった。
人ひとりが通れるくらいの狭い階段を上り、部屋は3階。
その時、一番うしろからついて行った私。
何となくだけれど、階段を上っている時、後ろから誰かがついて来る気配を感じていた。
旅館に入った時の空気とは違い、私たちが泊まる部屋へ近づくほど、空気もどこか重たく感じられていた。
もし、後ろを振り向いて、“何か”が見えてしまったら、とんでもない!
一生懸命、後ろを見ないようにしていた私がいたのも事実。
先輩たちには敢えては言わなかったけれど、「やっぱりやめた方がいいかも」と、ひとり思っている私もいた。
「早く、お部屋へ着いて!」とだけ心の中で言いながら、“必死”という言葉に近いくらいの気持ちで階段を上っていたことを覚えている。
その狭い階段は私たちを右往左往させるかのように入り組んでいた。
まるで戦国時代に建てられた“からくりのお城”の中のよう。
“必死”という気持ちを伴って、何処をどう通って宿泊する部屋へ着いたのか判らないうちに、ようやく部屋へ着いた。
フロントへ預けた荷物は、何故か、既に部屋に届けられていた。
部屋は、これまた広く、3人で泊まるには広すぎるくらいの和室。
ちょっとした宴会なら出来そう。
何畳か……までは判らずにいたけれど。
人間の心理とはこれまた不思議なもので、広すぎる空間というのも、何気に不安になるもの。
部屋までの階段で感じた、ちょっとした気味悪い感覚がまだ残っていた私は、一瞬、何かしらの恐さは感じてはいた。
しかし、その感情とは逆に、外へ面した広く大きな窓から燦々と入ってくる太陽の光に、その恐怖にも似た感覚も消された感もあった。