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名探偵佐々木小太郎

名探偵佐々木小太郎 倉山家失踪事件

作者:

 まだ肌寒い日の午前、一人の少年が軽やかな足取りで通りを走っている。

 少し伸びた髪の毛がさらさらと後ろに流れる。それは佐々木探偵事務所の助手である次郎少年だった。

 次郎少年が佐々木探偵事務所に入ると、ここの主である佐々木小太郎が応接室にある自分の机に座っているのが見えた。


「先生、おはようございます」

「あ……うん、おはよう」


 小太郎は両肘を机につき、手を顔の前にあわせてうつむいていたが、次郎少年に気付くと目の下にクマの出来た顔を上げた。


「先生、どうしたんですか? 元気が無いようですが」

「いや……この間頼んでおいた資料が昨日届いてね……読んでたら朝になってて」

「大丈夫ですか? コーヒーでも入れましょうか」

「いいね……お願いするよ」


 小次郎少年がキッチンの方に向かって歩き出した時、事務所のドアが開いた。

 次郎少年が振り返ると、その視線の先には長くまっすぐな髪が印象的な少女と、屈強な体をスーツに包み少女の後ろに控えている男性が見えた。

 次郎少年はキッチンに行こうとしていた足を止めて、来客の方に身体を向ける。


「あ、依頼ですか? 少々お待ちください」


 しかし少女と男は次郎少年を無視して応接室に入ってきた。

 少女はこの事務所の主人が座る机の前にやってきて、その端正な顔を小太郎に向けると高飛車に話し出す。


「あなたが佐々木小太郎? 探してもらいたい人がいるの」


 小太郎はうつむいたまま微動だにしない。少女はいらついたように整った眉を歪めた。


「聞いているの? 人を探して欲しいの」

「まずは名乗る事です……」


 小太郎はうつむいたまま返事をした。

 少女は眉間に皺を寄せて口篭もる。その様子を見た後の男が隙のない動作で名詞を取り出し机の上に置いた。


「こちらの方は倉山美代子様。倉山コンツェルン総帥の孫娘にあたる方だ。私はボディガードの三島と言う。話を聞いてもらえないか」

「……いいでしょう」


 三島の話が終わると、小太郎は顔の前で両手を合わせた姿勢でうつむいたまま返事をした。


「ふん、何よもったいぶって。最初から私の言うこと聞いときなさいよ」


 美代子が腕組みをして小太郎を見下ろす。


「いい? あなたが探すのはこの」

「……聞こえませんね」


 静かに言葉をさえぎられた美代子は、一瞬呆気にとられたあと小太郎を見た。


「なっ……あなたは私を誰だと思っているの? 私は倉山家の娘よ! あなたのような探偵風情がさからっていいと思っているの?」

「佐々木さん、少し自分の立場をわきまえた方がいい。個人が逆らっていい相手ではありませんよ」


 美代子に続いて三島が一歩前に出て小太郎を威嚇する。しかし小太郎は少しも動じる様子も無く座ったまま微動だにしない。

 次郎少年は慌てて小太郎に近づき小声で話し掛ける。


「先生、あの、話を聞くくらいは……」


 そんな次郎少年を無視して美代子は叫んだ。


「何かいいなさいよ!」

「僕は……そんなくだらない脅迫では動かない。君達こそわきまえた方がいい……」

「ふん、何を寝言をおっしゃっているのかしら? 倉山家の力を舐めないでいただきたいわ」

「つまり君達は僕をつかみ取りするわけだ……」

「?」

「そう、そこだ……ラリアットを右に……むにゃむにゃ」


 美代子は呆然とした。

 三島は唖然とした。

 次郎少年はごく自然に叫んだ。



「寝言かよっッッッッッ!!!」



 次郎少年の全力かつ的確な指摘がこだまして事務所の中に満ちていく。

 事件は混迷の度合いを深めつつ、事態は一ミリも進んでいない。

 依頼人達の目的とは、探して欲しい「人」とは一体何者か。

 謎が謎を呼びそうな気が、気が、気のせいか。




「いや、失礼しました。昨夜は徹夜してしまいまして」


 次郎少年がいれてくれたコーヒーを飲みながら、小太郎はにこやかに言い訳した。

 それを憮然とした顔で見る美代子と来た時と変わらない仏頂面の三島。

 物語はようやく始まろうとしていた。


「さて、お話を伺いましょうか」


 机に両肘を置いて顔の前で手を合わせた小太郎が薄ぼんやりとした視線を美代子に向ける。美代子は、毒気を抜かれたような顔をして、持っていた小さなバッグから封筒を取り出す。


「お嬢様、お待ちください」


 美代子が封筒を机に置こうとした時、三島がそれを止めた。


「なんです? 三島」

「それよりもまず、彼にきちんと謝罪させる方が先です」


 三島が小太郎を憎憎しげににらみつける。小太郎は薄目をあけて三島を見つめ、気の抜けた質問をした。


「謝罪と言いますと?」

「お嬢様に対する無礼な振る舞いを謝罪しろと言っているんだ!!」


 三島の右拳が振り下ろされ、ぶつかった机が派手な音を立てた。


「なるほど。倉山さん、先ほどは申し訳ありませんでした。それでその封筒はなんですか?」


 三島の顔色が変る。


「貴様! それが誠意ある謝罪か!」


 三島は足音を立てて小太郎に近寄り、両手で襟を掴んで持ち上げた。


「それで謝罪になると思っているのか! 土下座しろ! お嬢様に土下座して謝るんだ!!」


 小太郎を掴んだまま振り回す三島。次郎少年があわてて二人に近づこうとした時、三島が小太郎から手を離して後ろに飛び退った。


「貴様……何を持っている……?」


 見ると、三島は左手の手首のあたりを押さえている。小太郎は手に持っているボールペンをくるりと回して見せた。


「これは知り合いからもらった一見ボールペンに見える携帯の麻酔注射装置さ。一応僕も探偵の端くれでね、それなりに修羅場もくぐらせてもらっているよ」

「くそ……」


 三島は背後の壁にもたれかかったまま、ずるずるとずり落ちていった。


「さて、これで話がしやすくなったかな。それじゃお嬢さん、詳しい話を伺いましょう」


 美代子は背後の三島を振り返り、小太郎に話し掛けた。


「ちょっとあの、三島は大丈夫ですの?」

「別に毒ではありませんよ。ただの鎮静剤ですから10分もすれば意識も戻るでしょう」

「……」


 美代子はバッグに入れていた封筒を取り出し、小太郎の座る机に置いた。


「この封筒は?」

「あなたに探してもらう人の資料が入っているわ。その人は」

「ポポポポポぺぺぺぺぺー!!!」


 突然背後から響く奇声に、その場にいる全員がそちらの方を向いた。


「ポッポッポッポパパペエペペペペエエエ!!」


 そこには全裸の三島がにこやかな笑顔で立っていた。

 分厚い大胸筋、盛り上がった上腕二頭筋、綺麗に割れた腹筋、鋼のような大腿筋。さぞや優秀なボディガードであろうと思わせる筋肉の固まりは、意味不明な奇声を発しながらドアを開けて全裸で事務所の外に出て行った。

 誰もが唖然とする中、次郎少年がいち早く現実に戻ってきた。


「先生、本当に鎮静剤なんですか?」

「うーん、知り合いは鎮静作用があると言っていたけど」

「どう見ても、鎮でも静でも無いですよ」

「騙されたかな」


 それまで口をあけたまま固まっていた美代子が、突然スイッチが入ったかのようにわめきだした。


「え? 何よあれは! 何で裸なのよ! おまけに外に出ていったって、倉山のボディガードが裸で街を歩いて捕まったら名前が!」


 小太郎は立ち上がり、美代子の肩に手を置いて諭すように話し掛けた。


「まあ落ち着いてください」

「ちょっと! え? どうするのよ! 私明日から学校で裸でどうするの!!」

「まあまあ、興奮しすぎは身体に悪いですよ。これで落ち着いてください」


 小太郎は美代子を諭しながら、持っていたボールペンを美代子の肩に刺した。

 美代子は固まった。

 次郎少年は驚いた。


「先生、それ……さっきのですか?」

「そうだけど? あっ、そうか、さっきの人のことを失念していたよ」


 次郎少年が恐る恐る美代子の方を見ると、美代子は両手で顔を覆い、口を大きく開けている。


「あんなのは……いや……」


 次の瞬間、魂の奥底から搾り出されたような声が事務所を覆った。


「いやあああああああああ!!!」


 美代子は壁にかけ寄ると、頭を何度もぶつけ始めた。


「いやあああああああ!!」


 あまりの迫力に二人が動けずにいると、突然美代子は糸の切れた人形のように床に倒れた。

 壁に残る赤い跡、そして床に倒れた美代子の頭の付近から広がる赤い液体。

 “あー、掃除が大変だなあ”

 次郎少年はぼんやりとそんな事を考えていた。


「結果的に鎮静作用があったと言う事かな」


 斜め方向な小太郎の感想に次郎少年もようやく現実に戻された。


「先生、さすがにそれは違う……ってこの状況どうするんですか!」

「そうだね、とりあえずボディガードさんをほっとけないから連れ戻しに行こうかな」


 そう言うと小太郎はさっさとドアをあけて外へと出て行く。

 次郎少年も慌てて後を追っていった。

 そして美代子は血を流しっぱなし。


 事件もいよいよ核心に向かわない。事態もいっこうに進まない。

 探して欲しい人物とは。封筒に隠された秘密とは。はたして収拾はつくのか。




 裸のまま外へと出て行った倉山美代子のボディガード三島を連れ戻すため、探偵佐々木小太郎と助手の次郎少年は全ての始まりとなる予定だった事務所のドアを開き、ちょうど昼食時で人通りの多くなっている歩道に出た。

 すみやかに三島を回収し、事件に進展をもたらさなければならない。


「さて、三島さんはどこかな」

「先生! あそこに!」


 次郎少年が指差す方を見ると、生まれたままの姿の三島が電柱にその肉体をいやらしく絡みつけながら、ぽペーとかぷぷーと叫んでいた。そしてその周りには野次馬の方々がいて、動物園から逃げ出した珍獣を見るような視線を三島に浴びせている。

 危機的状況だった。


「……先生、どうします?」


 不安そうに小太郎を見上げる次郎少年。対称的に小太郎はいつもと変らぬぼんやりとした視線を次郎少年に向けた。


「こういう時に役立つ物を先日知り合いにもらっておいたんだ。先立つ物は不幸だね」


 何かを言いたそうな次郎少年を無視して、小太郎は袖をまくって腕時計を見せた。


「こいつは一見腕時計に見えるけど、実は携帯式の麻酔銃なんだ。ここをこう押すと照準器が出て、ここを押すと麻酔針が発射される。この間、知り合いにわがまま言って作ってもらったんだ。やっぱり探偵にはこれだよね」


 にこにこしながら説明を終えた小太郎は、照準を三島に向ける。


「警察が来る前にこいつで三島さんをおとなしくさせて、すばやく回収してしまおう。さて、ちゃんと当たるかな?」


 不安そうな次郎少年をよそに上機嫌の小太郎は、腕時計型麻酔銃に顔を寄せてじっくりと狙いをつけた後、発射スイッチを押した。

 プシュッ、と言う音とともに発射された麻酔針は小太郎の眉間に見事命中。小太郎はゆっくりと大地に向かって崩れ落ち、そのまま地面に横たわった。


「探偵ーーーーー!!!!!」


 思わず声を張り上げてしまった次郎少年。

 だがもともと冷静な性格の次郎少年。すぐさま自分を取り戻し、現在の状況を分析した。

 絶望的だった。

 自分ひとりで一体何ができるのか。このまま全部放り出して帰宅し、学校の宿題をしようかと言う考えが頭をよぎる。

 いやいやいけない、ここで自分が逃げてしまえば事務所の信用が地に落ちてしまう。自分はあんまり関係ないけど、それはそれで気分が良くない。

 もうこうなったら自分にできることだけを一生懸命やろう、絶望するのはそれからでも遅くないはずだ。


 どうにか自分を鼓舞し、立ち直った次郎少年。まずは三島を連れ戻すのを優先する事にした。小太郎はほっといても特に問題は無いはずだ。

 その場合、自分ひとりであの筋肉の塊をどうするか。少し考えたあと、次郎少年は小太郎の手から腕時計型麻酔銃を抜き取った。とりあえず効果は既に実証されている。方向に気をつけて使えば心強い武器だ。

 よし、自分ひとりで何とかしてみせる! 決意とともに次郎少年が三島の方を向くと、そこには警官二人と格闘する裸の男が見えた。

 小太郎が自滅している間に誰かが警察に連絡し、運悪く仕事熱心な警官がすばやくやってきてしまったらしい。

 また次郎少年は追いつめられた。このままでは三島が警察に連行されてしまう。そうなればめぐり巡って事務所の信用が……。

 何とかするしかない、覚悟を決めた次郎少年は警官に向かって麻酔針を発射。うまく命中したらしく、警官が両方とも地面に崩れ落ちた。

 よし、これで後は三島に麻酔を撃って事務所に連れ戻せば、まだ何とかなるはず。次郎少年は狙いを定め、ボタンを押した。

 反応しない。

 またボタンを押した。

 反応しない。

 連打した。

 無駄だった。

 弾切れか故障か、どちらにしても最悪な事に変わりは無い。自分ひとりであの筋肉ダルマをどうにかしなくてはいけないのか。

 このまま帰宅しておやつでも食べようかな、そんな考えが次郎少年の脳裏をよぎった。

 しかし生来の生真面目な性格が災いし、逃げられない次郎少年。

 打つ手も無いまま、踊りながら天下の往来を全裸で行進する三島の後をつける次郎少年。

 何かいい作戦は無いか必死に考えるが、無意味に追いつめられ、肉鎧の全裸ダンスを海馬に刻み付けられている頭脳は一向に働いてくれない。

 次郎少年が何か長くて硬い棒のような物を探し始めたその時、前方を歩いていた肉の塊こと全裸のボディガード三島が信号を無視して交差点に侵入。ごく自然の成り行きで乗用車にはねられ宙を舞った。


 「天の助け!!」


 後からかなり後悔する単語をつぶやきながら次郎少年は三島に駆け寄った。

 血だらけでぐったりした三島を何とか担ぎ、ハンドルを握る手がプルプル震えて真っ青な顔した運転手に満面の笑みで「ありがとうございます! 助かりました!」とおじぎしてしまう次郎少年。環境は人をここまで変えるのか。

 重たい三島を引きずりながらも、解決のめどが立ったことに次郎少年はほっとした。後は事務所に帰りさえすれば……。

 重い荷物を背負い、人々の好奇の目に晒されながらも歩きぬいた道のり。それもようやく終わる。あの角を曲がれば事務所はすぐだ。

 最後の力を振り絞り、次郎少年が角を曲がると、そこには額がぱっくり割れて顔中血だらけで全裸の美代子が、昏倒したままぐったりして動かない小太郎を引きずり、パパペー、ぽぺへーと言いながらソシアルダンスを踊っていた。

 “あー、先生の知り合いって人を金属バットで強く叩かなきゃ”

 次郎少年は情熱的なダンスを見ながら、そんな事をぼんやり考えるのだった。



 ついに事件は始まらなかった。

 依頼の内容とは、封筒の秘密とは。考えるだけ無駄。

 考えていたらこんな事にはならない。だから脊髄で文章を書くなと。

 とりあえずがんばれ次郎、明日はホームランだ。


『名探偵佐々木小太郎 倉山家失踪事件』 終

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― 新着の感想 ―
[一言] この作品の笑いセンスは最高でした! 連載して下さい〜
2007/08/18 06:15 退会済み
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