胡散臭い予備校講師風の創作論コース 第一期(一年目~二年目)
生成AI時代に「書くだけの作家」は生き残れるのか
■ はじめに
SNSで「システムエンジニアの募集が実質コンサル募集になっている、AIには既に仕事を奪われている」という趣旨の発言を見かけました。
ここから、ライターはどうか?小説家はどうか?と考えを掘り下げていったら、結構嫌な現実が見えてきます。
■ 某居酒屋のような、ワンオペが今後当たり前になる?
システムエンジニアの応募が実質コンサルになっている……。
これは、求められる仕事が変質しただけの話では、おそらくないでしょう。
求められる仕事が、単純に増えるのです。
しかも、給料はそのままで。
「生成AIがあるから、これくらいはできるでしょ?」という、人件費圧縮の圧力と見ています。
現実に、マトモなシステム設計をする上では、生成AIに任せきりというのはあり得ません。
求められるのは「生成AIの監督者」という能力、それらを統括し、場合によっては他の業務も兼任する「ワンオペエンジニア」の構造です。
これを小説家の今後に当てはめると、結構恐ろしい話になります。
誤字脱字は、作家が生成AIを使って潰すのは当たり前。
設定矛盾は、作家が生成AIを使って潰すのは当たり前。
SEO(検索エンジン最適化)は、作家が生成AIを使ってやるのは当たり前。
……事実としては、それが不可能であったとしても、それが「当たり前」という空気ができあがったら、当然のように求められます。
まさに「ワンオペ執筆者」ですね。
これは、実は編集にとっても……相当厳しい話だと思っています。
作家が実質「編集の仕事」を喰っていくのですから、生半可な編集は「AIの方がマシ」になり得るのです。
ある程度慣れた作家であれば、自分でマーケティングができてしまう。
自分でブランディングができてしまう。
ゆえに「出版社の意義」が、例えばレーベルブランドくらいになってしまうこともあり得ます。
作家に「ワンオペ執筆者」であれと言った出版社自身が、自分の首を絞めかねない、そういう話ですね。
■ 短期利益を追い求めて、人の育成をしなくなる世界
先ほどのシステムエンジニアの話もそうですし、小説家や編集者といった仕事でも当然ですが……「下積み」のような期間があります。
システムエンジニアであれば、そうですね……喩えるなら「部品作り」から始めて、徐々に業務を知っていく、そういう成長が欠かせません。
ですが、現実のIT業界では、若手エンジニアの雇用が既に減少傾向にあることを示す報告が複数あります。
短期的な利益としては、それもまたいいのでしょう。
しかし、十年先二十年先を見据えると、今雇用が増えている「ベテランエンジニア」層が、将来に向けて育たない構造になっています。
生成AIで執筆をしている方もいらっしゃるでしょう。
しかし、それが最終的に「アイデアだけあればいいです」と言われるような世界に、ならないと断言できますか?
誤字脱字チェックなど、AIの独壇場ですよ、それしかできない編集者もまた「それしかできないならもういいです」となりかねません。
……と嘆きましたが、時代の流れに逆らうのも、個人では無理ですよね。
AIは人の仕事を楽にはしません、ただ人件費圧縮のツールとして使い倒されるのです。
果たして「ツール」に当てはまるのが、AIなのか「あなた自身」なのか……。
■ AIとの関係性での危うさ
創作論には、生成AIに書かせるといった内容も一部あります。
さて、ここで問題です。
そのアイデアがあればAIが書ける内容を、あなたが書く理由は?
言い換えましょうか、あなたの価値が「アイデア」にしかなかったら?
そのうち「そのアイデア売ってください」なんて仕事が出てくるかもしれませんね。
正直ある程度は分かるんですよ、生成AIの文章は、今や恐ろしく整っています。
これは何度も繰り返しているのですが「整った文章」と「刺さる文章」は別物、そう思っています。
小説というものは、あなたの荒々しい描写もまた一つの武器になるはずだと。
同時に「整った文章」に寄せるだけなら、生成AIでチェックすれば良いのです。
出版社……そしてそこの編集は、その能力が小説家に可視化されうるのです。
この辺、AI執筆をしているライターは「ライター雇わなくていいじゃん」となる可能性もありうるなと。
逆に、ライター自ら編集や校閲の仕事をしなければならなくなるかもしれません。
その兆候もまた、既に出ているようです。
さらに加えると、心理学でいう「処理流暢性」を含めて考えると恐ろしい結論に行き着いてしまいます。
イラストや文体などは「AI生成物が大量に流通することで、それが見慣れたものになり、好まれやすくなる」という、トレンド自体がAIに支配されかねないという話です。
分かりやすく言うと、外国人の美人と言われる人より、見慣れた日本人の顔の方が好ましく見える、あれですね。
「美人は三日で飽きる」とかいう言葉もありますが、これも「長く接していれば、自然とそれが好ましく思える」という経験談なのかもしれません。
■ おわりに
私の創作論では、KDP出版の方法から、結構厳しめの創作論まで取り扱っています。
これは元々「アマチュアだから、他者の手を借りられない」という前提だったのですが……。
しかし、もう時代は「それが当たり前」に移行しつつある。
――そう思えてなりません。




