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穏やかさのノイズ

作者: てんぷ
掲載日:2026/01/01

都市の朝は、いつも同じ色をしていた。壁面の大型スクリーンが淡い青を流し、呼吸を数えるように「鎮静化」の文言を繰り返す。通勤者は目を合わせず、互いの端末に浮かぶ数値だけを確認する。E-Index――感情スコア。生活の通行証。


市役所の窓口で、ミナト・カガミは淡々と番号を呼んだ。

「次の方、申請番号を。……E-Index、42。医療補助は基準未達です。規定ですので」


窓口の向こうの老人は、胸元を押さえたまま、声を削るように言った。

「息が、苦しいんだ。数字が低いと、薬も出ないのかい」


ミナトは規定集のページを指でなぞり、声の温度を一定に保つ。

「緊急外来の一次受付は可能です。ただ、継続的な補助は……。生活指導プログラムへの参加でスコア改善が見込めます」


老人は笑ったのか、咳き込んだのか、判別できない音を漏らした。

「指導? 息をするのも指導がいるのか。……もういい」


背中が小さくなるのを見送った瞬間、ミナトの胸に、ひびのようなものが走った。規定を説明しただけだ。そう言い聞かせようとすると、隣のカウンターから同僚のシオリ・タチバナが身を寄せてきた。

「ミナト、顔、固いよ。窓口って、こっちのスコアも削るからさ。深呼吸、深呼吸」

「大丈夫。規定を説明しただけだ。感情を入れると誤差が増える」


シオリは苦笑し、目だけでスクリーンを示した。

「誤差って言い方、ほんと整合課。……でもさ、誤差にも、痛みってあるよね」


ミナトは返事をせず、端末の画面に視線を戻した。データ整合課。発言ログと生体データの揺らぎを「正しい形」に整える部署。CALMが算出するE-Indexが、都市の秩序を支える。その秩序のために、誤差は消される。消されるべきものは、最初から存在しなかったことになる。


午後、定例の整合チェックを回していたとき、画面の隅で小さな警告が瞬いた。

死亡扱いIDの監視網検知。


ミナトは手を止め、ログの行を拡大した。

「定例チェック……死亡扱いIDが、監視網に断続的に出る? 位置は都市縁部、死角区画。生体反応は……ノイズみたいだ」


誤検知として閉じれば終わる。そういう手続きは用意されている。だが、揺らぎの形が妙に整っていた。偶然の誤差ではなく、偶然に見せかけた規則。

「誤検知で閉じれば終わる。けど、この揺らぎは……作ってる。誰かが」


ログ末尾に残った古い顔写真が表示された瞬間、喉が乾いた。

「……顔写真。氏名、ユイ・サエグサ。死亡記録があるはずだ」


背後から、シオリの声が少し高くなった。

「ミナト? 今、誰の名前、見たの」

「ただの整合対象だ。気にするな」


シオリは笑顔を保ったまま、指先で机を二度叩いた。合図のように。

「気にするな、って言い方がもう気にしてる。……ねえ、お願い。業務の範囲で終わらせて」

「業務の範囲、か。死者がログインしてるのに?」

「その言い方、危ない。……深入りしない方がいい。ほんとに」


ユイ・サエグサ。幼なじみ。数年前、事故で死んだと聞いた。葬儀も火葬も、仕事の忙しさを理由に、ミナトはどこか遠い出来事として処理してしまった。都市が用意した「穏やかな喪失」に乗った。


その夜、ミナトは内部アーカイブを掘った。事故死。迅速な火葬。遺族手続きの簡略化。関係者聴取ログの欠落。整いすぎた書類には、生活の匂いがない。

「内部アーカイブ……事故死。火葬、迅速。遺族手続き、簡略化。聴取ログ、欠落。整いすぎてる」


画面の片隅に、一瞬だけ別のフラグが浮かび、すぐに黒塗りになった。

「情動矯正プログラム……フラグが一瞬出た。権限不足。隠したい項目がある」


背後で椅子が軋む。シオリが、誰もいないはずの時間に席に戻ってきていた。

「ミナト、どこまで見たの? ねえ、冗談じゃなく、監査に引っかかるよ」

「監査が怖いから見ない、で済む問題じゃない」

「怖いんじゃない。……終わるの。あなたの生活が」


その言葉が、脅しではなく祈りに聞こえたのが、いちばん恐ろしかった。


翌日、ミナトはログに残る位置情報を辿って都市の縁へ向かった。監視の密度が薄い区画。整備されていない歩道。公式案内のない地下入口。そこに、不自然に新しい誘導サインが貼られていた。

「都市縁部の死角……誘導サインが公式導線じゃない。誰が置いた」


地下通路に足を踏み入れた瞬間、複数の声が同じ名前を呼んだ。だが声紋が違う。まるで別々の人間が同じ台本を読んでいる。

「カガミ・ミナト。止まれ」

「誰だ。声紋が違う……同じ呼び止めを複数人?」


闇の中から現れた人物は、顔の輪郭が曖昧だった。光を吸う布で、肌の反射を消している。

「声紋で人を数える癖、職業病だな。安心しろ、ここは監視の外」


低い声。名乗りは短かった。

「カナメ」


ミナトは周囲を見回した。監視の外など、都市に存在するはずがない。

「監視の外なんて、都市にあるはずがない」

「ある。薄いところ、破れたところ、わざと空けたところ。君が見つけたのは“都市が最も隠したい種類の例外”だ。死亡者のログイン」


ミナトは反射的に身構えた。

「俺は整合課だ。例外は誤差として処理する」


カナメは笑わない。ただ、言葉だけが刺さる。

「君の仕事は整合じゃない。切り落としだ。数字からはみ出たものを、なかったことにする」


ミナトは否定しようとした。秩序のためだ。社会不安を防ぐためだ。だが、窓口の老人の息苦しさが、言葉の前に立ちはだかった。

「……違う。俺は秩序を保ってる」

「秩序が誰を守ってる? まあいい。拒むなら拒め。これは一回限りの鍵だ。使うかどうかは君が決めろ」


カナメは小さなデバイスを投げて寄こした。受け取った瞬間、冷たさが掌に残った。

「ノイズ……反体制ネットワーク? 俺を巻き込む気か」

「巻き込まれてるのは最初からだ。君が気づいただけ」


鍵の示す座標は、公式地図に存在しない。廃棄された配管の隙間を抜けた先に、臨時拠点があった。そこには、配線と端末と、街の裏側の匂いが詰まっていた。


迎えたのは、軽口の似合う男だった。

「よう、整合課。手、洗った? ここ、衛生基準ゼロだからさ」

「ふざけるな。俺は証拠もない話に乗る気はない」


男――リツ・マシロは肩をすくめ、端末を回転させた。

「証拠なら、ほら。矯正プログラムの仕様断片。感情を抑えるんじゃない。記憶連鎖と関係性を切る編集。再結束の可能性を減らす」


ミナトは画面を睨んだ。

「治療だろ。危険情動を抑えて社会を安定させる」


カナメが背後から、紙の束のようにログを差し出した。監査ログの断面。矯正対象、死亡扱い、遺族手続き簡略化、聴取ログ欠落。

「治療の名で、死亡処理と戸籍改竄が常態化してる。これが監査ログの断面。整いすぎる書類。君なら読めるだろ」


ミナトは、喉の奥で名前を転がした。

「……ユイが、その対象だと言いたいのか」

「可能性が高い、ってやつ」リツが言って、指を鳴らした。「断言はしない。断言した瞬間、こっちの頭が軽くなる」


ミナトは自分の仕事を思い出す。数字を正しくする。誤差を減らす。

「俺の仕事は、数字を正しくすることだ」

「正しく“見える”ようにすることだろ」カナメの声は平坦だった。「で、君は今、見えないものを見た。さて、どうする」


答えはまだ出なかった。ただ、帰宅して母の顔を見たとき、別の痛みが形を持った。


古いラジオを棚から引き出し、周波数を合わせた瞬間、母のミサキが手で耳を塞いだ。

「やめて。……その音、いや。消して。お願い」

「ごめん」ミナトは電源を切り、息を整える。「……父さんの話、してもいいか」


ミサキは一瞬、空を見た。そこに答えがあるかのように。

「……お父さん? ミナト、あなた、疲れてるのよ。最初から……いなかったでしょう」


言葉が、部屋の空気を凍らせた。

「いなかった? そんなはず——」


ミサキは笑おうとして失敗し、代わりに制度の安心を繰り返した。

「スコアがあるから大丈夫。落ち着いて暮らせるの。ね、余計なこと考えないで」


その夜、家庭用端末の古いバックアップを掘ると、通院記録の欠落と家族構成データの改訂痕が見つかった。空白は、偶然ではなかった。

「……バックアップに欠落がある。通院記録も、家族構成データも改訂痕。ユイだけじゃない。うちも、切られてる」


翌週、職場に監督官が現れた。オオトモ・レンジ。柔らかな物腰。優しい声。だが、その優しさは手続きの刃だった。

「カガミさん。お時間、よろしいですか。最近のアクセス傾向に、少し“揺らぎ”が見えました。心配でして」

「業務上必要な参照です。規定の範囲内だ」


オオトモは頷き、まるで相談役のように言った。

「ええ、ええ。罰したいわけではありません。戻れる道を、いつでも用意しておきたいだけです。相談窓口や鎮静プログラムも——」


ミナトの口から、思ってもいなかった言葉が滑った。

「鎮静が必要なのは俺じゃなく、この制度の方だ」


オオトモの目が、ほんの少しだけ細くなる。

「その言い方は、不安を増やします。……死者の記録に触れるのは危険です。あなたのために言っています」

「俺のため、か」


その日から、ミナトのE-Indexは落ち始めた。公共交通が弾く。職場端末の機能が削られる。住宅ゲートが一拍遅れて開く。隣人の挨拶が薄くなる。会議で、誰もミナトの意見を拾わなくなる。


シオリは距離を取りながらも、帰り際に小さく囁いた。

「ミナト、会議で発言、控えた方がいいよ。みんな、あなたのスコア見てる」

「見てるのはスコアで、俺じゃない」


シオリは目を伏せ、決心したように言う。

「……帰り際に一つだけ。整合課の旧サーバ室、監査ログの写しが残ることがある。たまに、消し忘れ」

「どうして教える。危ないだろ」

「危ないのは、最初から。……でも、全部が嘘になるのも、嫌」


ミナトは旧サーバ室に潜り、職務権限を限界まで使ってCALMの学習データに触れた。そこにあったのは、表向きの「危険情動」ではない。重く評価されている特徴量は、他者との連帯可能性だった。

会話の相互参照。集団行動の芽。同じ怒りの語彙の共有。


ミナトは息を吐いた。

「CALM学習データ、評価特徴量……“危険情動”より重いのは、連帯可能性。会話の相互参照、集団行動の芽、怒りの語彙共有」


自分の仕事が、何を整えてきたのかが、やっと輪郭を持つ。

「個人の危険じゃない。結束の確率を刈り取ってる」


ノイズの拠点に戻ると、カナメが短く言った。

「やっと言語化したな。君の内部の言葉で。スクショじゃなく監査ログで抜け。改竄されない形で」

「……渡す。俺が読める形で整える。誰が見ても“手続きの異常”として残るように」


作戦は決まった。都市中枢の放送インフラを使い、全市一斉スコア更新の瞬間に証拠を流す。


リツが配線図を広げた。

「放送計画、いくよ。全市一斉スコア更新の瞬間に差し替え。差し替え可能なのは、最大で七秒。冗長系が生きてると三秒」


カナメは冷たいほど落ち着いていた。

「英雄譚は要らない。誰の手柄にもならない形で、事実だけを残す。視聴者の感情を煽る文言は削れ」

「煽らない」ミナトは言った。「監査ログの形式で出す。改竄死亡記録、矯正フラグ、評価ロジックの重み。読む人間が読めば終わりだ」

「読む人間が読む前に、上書きが来るけどね」リツが笑う。「だから、秒数の勝負」


その頃、ユイの生存ログは濃くなっていた。廃駅の奥、使われなくなったホームの暗がりで、ミナトは彼女と再会した。


「ミナト……久しぶり」


穏やかに笑う癖は変わらないのに、距離の取り方だけが別人だった。

「ユイ。……本当に、生きてたのか」

「“生きてる”って、言い方が変だね。うん、生きてる。たぶん」

「たぶん、って何だ」


ユイは言葉を探すたびに、途中で糸が切れるように黙った。

「思い出そうとすると、途中で途切れるの。あなたのことも、全部は繋がらない。……でも、あなたを巻き込みたくなくて、私から切った」


胸の奥が熱くなった。

「守るために? 俺は守られたんじゃない。制度の都合で“残された”だけだ」

「ごめん。あの時、選べる言葉が少なかった」

「謝るな。怒ってるのは、君じゃない。……いや、怒りの向きが分からない」


ユイは小さく頷いた。

「分からないままでいい。分からないって言えるの、ここでは強いよ」


放送計画が進むほど、ミナトのスコアは臨界へ近づいた。行動範囲は削られ、端末は常に警告を出し、街は彼を避けた。正しさを証明するほど孤立する、という構造が骨に染みていく。


そんな中でユイは、別の目的を口にした。

「中核に、矯正対象者の未消去バックアップが残ってる。解放するには、中枢サーバを物理的に切り離すしかない」


リツが即座に反発した。

「待って。スコア配信を止めたら、医療配給も交通も就労ゲートも止まる。社会的コスト、洒落にならない」

「止めない限り、誰も戻れない」ユイは揺れなかった。「切られた関係は、ずっと“なかったこと”のまま」


ミナトは二人の間で、初めて秩序と生の優先順位を問われた。

「秩序が先か、生が先か……。俺はずっと、秩序の側に立ってた」


そして、自分の家の空白を思い出す。

「でも、秩序が人を切るなら、俺はその外の責任を引き受ける。放送も、切り離しも、やる」


決行前夜、カナメは作戦を最小単位に分割した。

「決行前夜。作戦は最小単位に分割。誰かが捕まっても全体は出ない。連絡は一回、確認は三回。感情で動くな」


リツが肩をすくめる。

「感情で動くな、って言いながら、感情がないとここまで来ないの、皮肉だよね」

「皮肉は余裕の証拠だ。余裕があるなら手を動かせ」


その夜、ミナトの端末に匿名のメッセージが届いた。入退室記録の穴と鍵更新タイミング。シオリの癖のある言い回し。

「……シオリから、入退室記録の穴と鍵更新タイミング。匿名だが、彼女だ」

「善意は信じるな」カナメは即答した。「情報だけ信じろ。使える」


ミナトは寝室の母を見た。穏やかな寝顔。そこに父の不在が自然として固定されている恐ろしさ。証拠媒体を胸ポケットに入れ、家を出た。


更新時刻。中枢の感情スコア配信局。


リツが配線盤に潜り込み、指先だけで世界を変える作業を始めた。

「一系統、落とした。二系統、遅延入った。今だ、整合課。秒で流し込め」


ミナトは端末に監査ログを叩き込む。改竄された死亡記録。矯正フラグ。CALMの評価ロジック。

「改竄死亡記録、矯正フラグ、評価ロジック……出ろ。穏やかさの皮を剥がせ」


都市中のスクリーンに、数秒だけ別の世界が映った。穏やかさの下で行われている編集の痕跡が、手続きの形式そのままで露出する。


だが、カナメの声が通信に割り込む。

「外部撹乱、限界。治安側、非常事態宣言の準備に入った。上書き来るぞ」


直後、画面が白くなり、柔らかな声が全市に流れた。

「市民の皆さま。不安は扇動です。深呼吸してください。正しい手続きが、あなたを守ります」


オオトモ・レンジの声だった。事実はノイズとして塗り潰され、鎮静化メッセージが上書きされた。


ミナトは歯を噛み、呟いた。

「上書き……消される」


ユイが、迷いなく次の手を選んだ。

「なら、次。バックアップを解放する。サーバを切り離す」


リツが一歩下がる。

「本気か……。止めたら、街が止まる」

「止まらないと、ずっと止められたまま」


リツは配線を握り直した。軽口の消えた目で。

「……短い混乱で、長い支配を割る。言ったの、俺だっけ。分かった。やる」


切り離し。瞬間、配信局のランプが沈黙し、都市のあちこちでゲートが止まった。


「切り離し完了……ゲートが沈黙した」


遠くから叫びが上がる。

「開かない! 通れない! どうして!」

「スコア、消えた? 嘘でしょ……私、どうすればいいの」


混乱は確かに始まった。だが同時に、誰もが初めて、スコアなしで互いを見て決めることを強いられる。助けるか、見捨てるか。譲るか、奪うか。手続きを待たずに、自分の感情で。


治安部隊の足音が近づく。ユイは端末に指を走らせ、最後の工程へ入った。

「ミナト、退いて。最終工程、私がやる。あなたは逃げて」

「一緒に行く。置いていけない」


ユイは穏やかに笑い、その笑顔だけが昔のままだった。

「置いていくんじゃない。残すの。あなたに、関係を。今度は切らないために」


ミナトは言い返せなかった。言葉が追いつく前に、ユイは扉の向こうへ消えた。


逃走経路で、ミナトはオオトモと鉢合わせた。彼は怒鳴らない。拳も振るわない。救いの形をした檻を差し出す。

「カガミさん。ここにいましたか。戻りましょう。あなたなら救えます。手続きの中で」


ミナトは息を吸い、はっきり言った。

「その救いは、関係を切る救いだ。母から父を、俺からユイを。……もう要らない」


オオトモは悲しむように眉を寄せた。

「混乱は人を壊します。あなたが見た“痛み”は、今から増える」

「痛みを消すために人を消すのが、あなたの秩序だ。俺は、痛みがあっても人を残す」


その後、ミナトは街の影に紛れた。ユイが捕らえられたのか、消えたのかは分からない。ただ、監視網の片隅に“生存”の断片が、ノイズのように残り続けた。


事件の後、都市はすぐには変わらなかった。スコア制度は残り、鎮静化広告も続いた。だが、あの停止の短い時間が、唯一の物差しに亀裂を入れた。


職場では臨時の対面承認が復活し、自治体では相互署名が使われ、商店街では信用が手渡しされるようになった。誰もが、スコアが絶対ではない瞬間を体験してしまったからだ。


ミナトは公職を追われ、身分は不安定になった。それでも、ノイズの一員として動き続けた。派手な革命ではなく、改竄されない「関係の記録」を手作りで残すために。矯正から戻りかけた人々の証言を集め、誰と誰が、どんな声で呼び合っていたかを、消せない形にする。


ある夜、匿名回線が鳴った。シオリの声だった。

「ミナト、生きてる? ……返事しなくていい。もう、追跡が荒い」


ミナトは暗がりで短く答えた。

「生きてる。ありがとう、シオリ」


家に戻ると、母ミサキは机の前で手を握りしめていた。

「ミナト……最近、眠れないの。変な夢を見る。誰かが、私を呼ぶ声」

「どんな呼び方だった?」


ミサキは戸惑いながら、唇を震わせた。

「……ミサキ、って。昔みたいに。ああ、変ね。泣きたくなる」


ミナトはその言葉を、胸の奥で大切に受け取った。

「変じゃない。切られたはずの関係が、残ってる」


ミサキは不安そうに尋ねた。

「あなた、何をしてるの。危ないこと?」


ミナトは頷いた。

「危ない。でも、必要だ。統治より先に、感情とつながりがあるって、証明する」


後日、路地裏の小さな拠点でカナメが言った。

「記録網、次の路地に広げる。証言は“改竄されない関係の記録”として残す。派手にやるな。消えない形でやれ」


ミナトは頷き、息を吸う。ユイの行方は確定しない。けれど、可能性は残った。数字が切り落とせなかったものが、確かにある。


「分かった。……ユイの生存は確定しない。けど、可能性は残った。俺は、その可能性の側に立つ」


都市は今日も穏やかな色を流す。だが、その穏やかさの下で、ノイズは生きている。呼び合う声が、記録の外側で繋がっていく。ミナトは路地へ歩き出し、誰かの名前を、今度は切られないように書き留める。

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