さあ、話せ
国内に、神は三十柱ほどいる。
山に棲んでいたり、湖のほとりに棲んでいたり、人の多く集う街の近くに棲む神もいる。いずれも共通しているのは、天候を司り、疫病を払い、人の世の平和を保つことである。
神々は、好んで人の役に立とうと動く。人々が雨を望めば雨を降らせ、人々が病からの回復を望めば、可能な限りそれを促進する。そういう契約だから、というのもあるが、なにより、「お祈り」によって結ばれた人との信頼関係が、神をここまで親身にさせた。
これが、ブルーベル家が長年に渡って築いてきた、この国の平和の正体だった。
隠世は、鏡である。現世の風景をそのまま写して、全く同じ景色が広がっている。動物の姿は写さず、動くものは何もない。静寂である。
メリッサの目の前には、現世にあったのと同じ石製の台座がある。円の形に小石が置かれ、中央には小さな鈴。隠世に人が立ち入った時に現れる、神に呼びかけるための鈴である。
メリッサは鈴に付けられた紐をつまみ上げて、揺らした。リーンリーンと、高く澄んだ音が、しじまに響く。
やがて、神は木々の間からひょっこり姿を現した。
背は低く、赤子ほどの背丈しかない。真っ白く発光して、輪郭は人の形をしている。それが人と同じように地を踏んで歩いて、寄って来た。
【ようやく来た】
玉を転がすような声で言った。男とも女ともいえない声質は、どの神も皆同じである。
神はメリッサを見上げて拍手している。顔がないから表情は読めないが、長年の経験から、喜んでいるのだとメリッサには分かる。
【遅かったな。待ち侘びたぞ】
「申し訳ありません。ご容赦を…」
ひざまずいて頭を下げ、メリッサは謝罪する。
神は、けろりとしている。
【良い、良い。しかし、此度は人数が少ないな】
メリッサの隣の、本来ならほかに人がいるはずの辺りを指差して言う。
【いつもは三人来るではないか】
「それは……」
メリッサは言葉に詰まる。祈祷を行える者が今や自分ひとりしかいないことを悟られた場合、神がどう出るか分からない。事実を述べるべきか述べざるべきか、逡巡する。
【良い、良い。まあ、座れ】
と言いながら、神はすぐそばに複数ある切り株の方へ歩いていった。この切り株は、現世にも当然同じものがある。腰掛ける場所が欲しい、と神が言うから、わざわざ現世で木を切ったのだ。隠世で物を壊すのは「ばち当たり」だからといって、しない。そういう慣習である。
【さあ、話せ】
向かい合って座ったメリッサを見上げて、神は催促した。
人は神の恵みを受け取る見返りに、人との交流を望む神々に会話の機会を与える。この国の人と神は、そういう契約で結ばれている。
「見まくも畏き神命の大前に、ブルーベル第五王女メリッサ、恐み恐みも申さく…」
胸の前で手を組み、メリッサは長々と祝詞を読み上げる。神は黙って聞く。
「…立て栄えしめ給えと、恐み恐みも申さく」
祝詞を読み終えると、神は拍手して、
【さあ、話せ】
再度催促した。
(話した方がいいのかしら…)
メリッサはわずかに躊躇うようなそぶりを見せた。家のことを話すべきかまだ迷っている。
しかしすぐに取り繕って微笑して、
「では」
口を開いた。そこからは、雑談である。
神は、現世の話を聞きたがる。
現世と隠世は連結していて、現世で起こったことは隠世でも起こるが、これは風景に限る。先述した通り、隠世には動物の姿が写らない。神は人を好いており、人々の暮らしぶりを見たがるが、隠世に籠る身ではそれができない。そういう訳で、現世の話を聞きたがるのだ。
【それで、この前言っていた若人はどうなったんだ】
誰々が何処どこで何々をした、というようなたわいない話を、神は喜んで聞く。メリッサは、人づてに聞いた話とか、御忍びで歩いた下町の人間模様とか、どこにでもあるような話をした。神は頷いたり、時に質問したり、時に笑ったりして、楽しそうにしている。
【うむ、おもしろい話を聞けた。良かった、良かった】
と満足げに拍手したのは、空に橙色が差す頃だった。




