烙印よ
街を出てしばらく行くと、徐々に足場が悪くなった。砂利道に、大小の石が転がっていて、メリッサは歩きづらそうにしている。時々よろけて転びそうになり、その度にリオンが支えた。
「両手が空いていて良かったわね」
メリッサは勝ち誇った顔で言う。
「まだ言いますか」
リオンは、あからさまに悔しそうな声音で返した。
両手が空いていて、というのは、リオンがドレスを詰め込んでいた鞄のことを言っている。これを手放して身軽になったから、よろけるメリッサの体を両手で支えられる、と言うのだ。
しかし、鞄とその中身を売るか否かで、二人はずいぶん揉めた。
メリッサとしては、リオンは当然売ってカネにする目的でドレスを持って来たのだと思っていたのだが、当のリオンは売るつもりなど微塵もなく、口論になりかけた。荷物になるから早く売ってカネにしてしまいたいメリッサに、「思い出の品だから」と言ってリオンは頑として反発する。小一時間言い合って、質に入れるという折衷案にどうにか落ち着いた。
質屋の店主は、鞄とドレスを手に取って、ひどく驚いていた。生地も装飾も一級品。庶民が間近で眺めるなど一生かかっても不可能、といっていい代物である。
「どこで、どうやって手に入れたんだ」
という店主の問いに、
「この前の暴動の混乱に乗じて、ブルーベルの屋敷から盗んできました」
ローブのフードで顔を隠したメリッサは、平然と嘘をついた。
「取り返したくなったら、いつでも来なさい。一年くらいは、特別に待ってあげるから」
質素な服に身を包んだ幼い子供二人が、こんな高価な衣服と鞄を持ってやって来るなど、訳アリであることは明白である。店主は気を遣って、預かりの期限を大幅に伸ばした。
無論、受け戻すつもりなどメリッサにはない。リオンもそれを察していて、店主とメリッサのやり取りを、終始不服そうに見ていた。
日は中天に昇る。
冬の名残りのあった朝の空気はゆるんで、日向ぼっこが心地良い。木々を見上げれば、小さな蕾をつけている枝がいくつもある。
「いい天気ね」
山の麓。
陽光を浴びて気持ちよさそうに目を細めているリオンに、メリッサが優しく言う。
メリッサは先刻からしゃがみこんで、石製の四角い台座の上に石を並べている。
「それはなんですか?」
リオンが不思議そうに覗き込む。
「祭壇よ。あなた、見たことないの?」
「私はいつも後列に居たものですから…」
祈祷を行う際、台座の前に王族が立つ。その後ろで近衛隊が列になるのだが、階級の高い者から順に並ぶため、下級のリオンはいつも後列で、大人たちの大きな背中に視界を遮られた。台座の前でメリッサが何をしているのか、見たくても見られなかったのである。
メリッサは、足元に転がっていた石のひとつを拾い上げて、台座に並べた。小さな台座の上に、石で輪が描かれた。
「こうやって台座に石を並べて、『隠世』への入り口を開くの」
隠世、というのは神の領域のことである。人の住む場所、『現世』の対となる。
立ち上がって、メリッサが辞儀をする。
間もなく、台座の向こう側で、空間が歪んだ。人ひとりが通れる程の広さ。水面のように波打って、木々が揺らいで見える。
この先のことはリオンも知っていた。王族が隠世の中に立ち入って、そこで『お祈り』をするのである。
「それから」
と言って、メリッサはおもむろにローブを脱ぎ捨てた。
シャツをめくりあげる。
布を巻いて潰した胸元が露わになり、リオンは慌てて顔を背けた。
「見て」
メリッサは言う。
「できません!そのような失礼なこと…」
珍しく声がうわずっている。
「いいから」
メリッサは強い口調で言う。
その語調に押されて、躊躇いながらメリッサの胸元に目をやる。
陶器のようになめらかな白い肌。そこに、円くて大きな、線状の傷があった。火傷の痕のようで、痛々しい。
「どうしたんです、その傷は…」
メリッサは傷を指先でなぞりながら、
「烙印よ」
「烙印?」
「これを押された者だけが隠世に入れるの。烙印のない者が隠世に立ち入ると、たちまち死んでしまう」
そう言って、困ったように微笑んだ。めくったシャツの裾を戻して、リオンを見据える。
「あなたはここから先には進めない。申し訳ないけど、ここで待っていて」
ここまで懸命に付き従って来てくれたリオンを一人置いていくのは忍びない。
(けど、だからといって隠世に連れていくことはできない)
「すぐ戻るから」
祈祷は、三人一組で行うのが慣習である。たった一人で神と対峙するなど前代未聞だった。リオンは心配そうな顔をした。が、素直に頷いた。
「待っています。どうかご無事で」
メリッサは、波打って揺らぐ空間の方へ向き直った。
「台座の石を下に落とさないでね。帰ってこられなくなるから」
言って、踏み込んだ。
その後ろ姿は水面に飛び込んだように大きく揺らいで、消えた。




