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神に祈る  作者: 花容
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逃げ切ってみせるさ


「税金を無駄に使うな」

というのが、民衆の言い分だった。

徴収された税金が「お祈り」などという得体の知れぬことに使われているのが納得いかなかったのである。

忍び続けて五十年。

蜂起は突如として起こった。



扉がガタガタと揺れる。

大勢の人間が押し寄せて、体当たりで扉を破ろうとしているのだろう。鉄製の閂が曲がりそうな勢いである。

怒号と、拳で扉を叩く音。殴られているかのような衝撃。鈍く響く音の圧力に、メリッサは足がすくんだ。

齢十七。

ゆるくウェーブのかかった焦茶のロングヘアを高い位置で二つに結んで、華奢な体躯。整った目鼻立ちに、瑠璃色の瞳。鮮やかな橙のドレスに身を包んだこの少女は、この国の人間には珍しい、目尻の上がった涼しげな顔立ちである。

メリッサは閂に手をかけて立って、その手は小さく震えている。外から叩かれる度に大きく揺れる閂。恐怖で顔がこわばる。

そのうちに、なにか硬い物を打ちつける音まで聞こえ出した。誰かが斧でも持ってきたのだろうか。王宮の扉は頑丈なつくりだが、そうは言っても木製である。メリッサはいよいよ追い詰められた。心臓が早鐘を打つ。

(このままではいずれ破られる)

たまらず振り向いて、

「リオン!」

部屋の奥でごそごそやっているひとりの近衛兵に叫んだ。

「どうしたらいい!?もうもたないわ!」

「逃げましょう」

近衛兵ーーリオンは落ち着いて言った。

「どこからどう逃げるの。あの扉からは出られない!」

早足でリオンに歩み寄る。非力なメリッサには、歳の近いこの近衛兵だけが心の支えだった。

リオンは、顎下のラインでざっくり切りっぱなしたトウヘッド。前髪は無造作にまんなかで分けて、形の良いアーモンドアイに、蜂蜜色の瞳。

薄い唇で、

「私が影武者を務めます」

平静に答えた。彼は近衛の制服から、メリッサのお気に入りのドレスに着替えている。小柄なリオンは不自然なくそれを着こなしていて、しかも妙に似合っていた。

「あの扉を開けます」

と、斧を突き立てられて今にも破られそうな扉を指さす。

「連中は私が引きつけますので、あなたは」

次いで窓を差して、

「そこから飛んでください」

「……」

メリッサは絶句した。

ふたりがいま居る部屋は、王宮の最上階である。窓を覗けば、目のくらむほどの高さである。飛び降りて無事でいられる筈がない。

「あなたも、王家の全滅を望むのね?」

メリッサは、嫌味っぽく言った。恐怖に支配されて余裕が無くなっている。眉根を寄せると、瑠璃色の瞳に影が落ちて、紫を帯びた。

「来てください」

リオンは手招きして、メリッサを窓辺に呼び寄せた。鍵をこじ開ける。大きく開けた窓から勢い良く風が吹き込んだ。夜気をはらんだ冬の風が、寄り添って立つ少女と少年の間を抜けてゆく。

「あそこにうまく飛び込めば、無傷で逃げ切れます。おそらく」

眼下。指さした先に、広く深い池がある。リオンはメリッサを横目に見ながら、いたずらっぽく微笑んだ。

「本気?」

メリッサは思わず吹き出した。まじめなリオンがいたずらっ子のような顔で無鉄砲な策を申し出たのが、可笑しかった。胸中に固く張り付いていた恐怖が嘘のように剥がれてゆく。

姫の緊張をほぐす為にわざとふざけたようにも見えたが、しかしリオンは本気であった。

「姫を生かすことが私たち近衛の使命ですから」

いつもの真面目な顔に戻っている。メリッサの肩を、触れるか触れないかの優しい手つきで、そっと抱いた。

「ご容赦ください。姫を高所から池に落とすなど……ましてや冬の池に」

私どもの力不足が招いた結果です、と、リオンは申し訳なそうに俯いて言った。

「いいのよ」

メリッサは吹っ切れていた。

ブーツを脱ぐと、両の靴紐を結び合わせて、窓から放った。池から上がったあとで回収するつもりである。ドレスとパニエは床に脱ぎ捨てた。目立つ衣服は逃走には向かない。

勇ましく窓枠に足をかけて、

「替えの服を持っていらっしゃいね」

「はい。すぐに」

「分かってる?私のと、あなたのよ。そのドレスは似合ってるけど、男の子が着る物じゃないわ」

リオンの胸を小突いて、破顔した。

身を乗り出して、いよいよ飛ぼうとした。

「申し訳ありません。必ず弁償します」

「いいのよ!」

飛んだ。

数秒の静けさのあと、水面にわずかに水しぶきが上がるのを、リオンは身を乗り出して確認した。うまく入水できたようで、メリッサは岸の方へ泳ぎ始めた。

「ここを開けろ!居るのは分かってるんだぞ!」

怒号が飛んだ。

振り向くと、扉の一部が割られ、床に木片が飛び散っている。破壊されるのも時間の問題である。

連中は、メリッサが外へ逃げたことを知らない。門前は人の群れで塞がれていたが、それ以外は全く手薄であった。

池の周囲にも人は居ないとリオンは確認したが、しかし、いつ誰かが気付いてメリッサを捕まえるか分からない。

(逃げ切ってみせるさ)

メリッサの替えの服を鞄に詰め込んで、リオンはローブのフードを深くかぶり顔を隠すと、靴音高く扉の前に進み出た。

閂に手をかける。

勢い良く引き抜いて、放り捨てた。

素早く後ろへ飛び退る。扉が開く。

怒声と共に人がなだれ込んできて、将棋倒しのように床に倒れ込んだ。

その隙間を縫うようして俊敏に廊下に躍り出る。

「メリッサだ!捕まえろ!」

リオンは目を疑った。王宮内は驚くほど人で溢れていた。国民全員が押しかけているのではないかと思うほどの人数である。

リオンは、いつもの習慣で、腰に打刀を差している。

メリッサ王女は剣を振るわない。ましてや異国の刀剣を得物にするなどあり得ない。が、連中は熱狂していて、それに気付かない。

「メリッサを殺せ!」

みな、リオンをメリッサと勘違いして捕まえようと追いかけ、手を伸ばしてくる。

数が多い。

しかし、鍛え抜かれた近衛の足が一般人に劣る訳がない。するすると滑るように躱して、非常時用の出口めがけて駆ける。

途中、倒れ伏した近衛兵を多数見た。多勢に無勢。なぶり殺されたのだろう。

王族は言わずもがなである。

無垢の民に手は出さない、という王家の信条は裏目に出た。もはや、生き残っているのはメリッサとリオンのただ二人だけだろう。


有事の際に王族のみ使用すべしとされた非常出口は、奥まった場所にある、目立たない小さな扉である。王族と一部の近衛兵を除いて、この扉の存在を知る者はいない。

追ってくる連中を撒くには都合が良い。背後に怒声と足音が迫ってくるのを確認してから、リオンは鍵を開け、そっと外へ出た。

扉を閉める。

外では、民衆の喚く声は聞こえない。皆、居もしないメリッサを探して王宮の中を走り回っている。

(急げ。姫が凍えて死んでしまう)

石造りの階段を一歩づつ降りるのももどかしく、駆け足の勢いのまま階下へ飛び降りる。メリッサが飛び込んだ池の方へ、風を切って駆けた。




その後、王女メリッサが殺害されたという話は国内に一度もあがらなかった。

メリッサとリオンは逃げ切った。

行方は知れない。国内に居るのか、あるいは国外まで逃げたのか。誰も知らなかった。


チラ裏の落書きのようなもの。

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