暗渠にひそむもの
「ここには昔、小さな水路があったんだ」
叔父さんはそう話した。
「こんな車の通行の多い国道に面したドブ川だったけど、水もほとんどないようなドブだったけど。そこにはウシガエルがいて、夜になると『も──ぅ、も──ぅ』と鳴きだしたものだ」
まだ小学生の子供には、その歩道の下に川があったなんて信じられないようだった。
「暗渠と言って、おおいをかぶせて地下に作った水路なんだ」
もう三十年も前の話さ、と叔父さんは言った。
なんでこんな話をしているかというと、甥っ子が歩道を歩いていたときに「牛の鳴き声が聴こえる」と言いだしたからだった。
「ウシガエルがまだすんでいるの?」
「ははは、まさか。もう三十年も経つんだぞ。──生きているはずがないさ」
暗渠にどんな生き物がひそんでいるか、そんなことは叔父さんにもわからなかっただろう。
「聴こえた牛の鳴き声は、道路を走る車の音が暗渠の中に反響した音じゃないかな」
叔父さんはもっともらしいことを言ったが、はじめから甥っ子の言葉を信じていなかった。
牛の鳴き声っぽく聴こえた何かがあったとしても、車道のすぐ近くにあるこの場所で聴こえるはずがない。そう考えたのだ
小学生の甥っ子は、すぐにこの鳴き声のことを忘れ、日常生活に戻っていった。
夏休みに入ると、子供たちが国道沿いにある幅広い歩道を歩きながら、この近くで行方不明になった人のことを話している。
「ねえ聞いた? まだニュースになってないけど、この近くで新聞配達の人がいなくなったんだって」
「なにそれ」
「朝早くに新聞配達をしている人が、急に姿を消したらしいよ。おとうさんが言うには、新聞をカゴにたくさんいれたバイクが道路に転がっていたんだって」
「交通事故じゃないの?」
「事故だったら、バイクがもっと傷ついているんじゃないかって。それに、新聞配達の人がいなくなったって言ってたよ」
小学生の少年少女にはそれ以上のことはわからない。
立ち止まっていた三人の少年少女。
道路を走る車がとぎれると、足下から何かが聴こえてきた。
「
もぅぉ────
もぉ────ぅ
」
そんな鳴き声だった。
「ねぇ、聴こえた?」
「聴こえた……けど、牛みたいだったよね」
「牛だよね」
「こんなところに? それに、足下から聴こえなかった?」
あっ、と少年が声をあげた。
「そういえばおじさんが、ここには『あんきょ』っていう水路があったって言ってた。何十年も前は、そこにウシガエルがすんでたんだって」
少年の話したことに、二人の少女が疑いの目を向ける。
「ええっ? そんな何十年も暗い水路の中で蛙が? うそだ──」
うそじゃないもん。と少年は言ったが、叔父さんもウシガエルがいるはずがないと言っていたと説明し、二人の少女は首をかしげた。
「なら、さっきの鳴き声はなんなの?」
「そんなの、ぼくにもわからないよ」
そんなことを言いあっている三人の足下から、ふたたび「もぉ──」という鳴き声らしき音が聴こえてきた。
「やだ、こわい!」
そう言うと少女たちは走りだした。
「あっ、まってよ!」
少年はそのあとを追いかける。
国道沿いの歩道から歩道橋のある場所まで走ってきた。
歩道橋のそばには大きなグレーチングがあり、そこから暗渠につながっているようだ。
どうしてだろうか、今日はその金属の蓋が開いていた。
そのことに気づいたのは、二人の少女。
どうもその地下につづく穴から、奇妙な音が聴こえたんだとか。
二人が顔を見合わせて少年にも確認しようと振り向いた。
──ところがそこには、さっきまでいたはずの少年の姿がない。
「あれ? どこに行ったのかな」
一人の少女が友だちを捜し、もう一人の少女は道の片隅にある、真っ暗な空洞のほうを見ていた。
歩道のすみっこに空いた穴。
その穴からずるずると、何か大きな物を引きずるような音とともに、だれかの声が聴こえた。
「
ぅあぁぁあァ──
たッ、たすヶてェぇ────
」
苦しげな男の子の声のようだった。
その声はどんどん遠くなり、やがて何も聴こえなくなったのだった。
* * * * *
翌日、少年の遺体が発見された。
グレーチングのはずれたあたりから数百メートル離れた暗渠の中で。
捜索していた警官は、暗闇の中に落ちていたそれを、はじめは空き缶か何かだと思ったらしい。
それはちぎれた少年の右足だった。
残りの部分は、まだ発見されていない。
イメージとしてはクトゥルフ神話に登場するような怪物のしわざ、といったもの。
だいぶ前に書いたもので、水に関わりのある場所での出来事なので夏のホラー2025企画に投稿しました。