第4話
不思議な時間だった。
私は祖父に未来の話をし、代わりに祖父は祖母のなんと魅力的なことかと弁を振るった。私の想像する祖母は皺だらけの年老いた姿なので美醜の判断は出来なかったが、若き日の彼女はそれはそれは麗しい女性だそうだ。祖父は私の顔をまじまじと見つめて、よく見れば祖母の面影があるかもしれないと一人悦に浸っていた。
気味が悪かったので無理にでも話題を変えようとしたとき、祖父が突然訊いてきた。
「そういえばお前はどうして押し入れでなんか眠っていたんだ」
後になって思えば彼の死後の未来のことなど何とでも言い訳がつくのだが、いやだからこそだろう、私は素直に話した。
「小説を書いていた…押し入れの中で?」
「そこはまぁ、気にしないで下さい。家族にもバレたくないんでコソコソやってたんです」
「俺にはバレたな」
「信用しているので、おじいちゃんを」
祖父は苦い顔をして、おじいちゃん…と呟いた。
「変な感覚だな」
「そう呼ばれる日がいつか来ますよ」
私は嘘をついた。きっと彼が直接そう呼ばれたのはこれが最初で最後に違いない。苦い顔をしたいのはこちらだった。
「それで、どんな小説を書いたんだ」
「えっ」
「俺は本は読まんが未来の物語となっちゃ興味は湧くさ、どうなんだ」
祖父は生前本の虫と聞いていたので私は訝しんだ。しかし言われてみれば今この部屋に本が置いてある気配はない。
「いえ、まだ途中ですし拙いものなので。人に見せたこともないし」
「お前が生まれて大人になるのを待っていたらこっちが老いて本なんて読めなくなるかもしれないからな。後生だと思って、な?」
私は自作小説は一切知人に見せずネットでのみ公開しようと思っていたのだが、彼の熱意と理論に根負けした。いや違う、有り体に言えば若気の至りだったのだろう。当時の私には、自分の作品が何者よりも優れているという正に拙い自負があったのだ。
だがまさか親族に見せることになろうとは、裸で外出する方がマシだとさえ今では思う。
とにかく当時の私は渋々半分期待半分にスマホのメモを開いて、祖父に手渡した。簡単な操作説明を受けた彼はぎこちない手つきで画面をスクロールしながら読み進めた。
時折、顔を顰めながらスマホの操作法を尋ねてくる彼を見て、現代でも祖父が生きていたら、きっとこういうやり取りをすることもあったのだろうと段々と沁みてくるような悲しみに想いを馳せた。
結局、それが私と祖父との最後の思い出になった。
祖父が黙々とスマホを眺めている間、私は突然眠気を感じ、瞼を擦っているうちに気を失った。まるで抗いようのない大いなる力で以て、無理矢理眠らされたようだった。
目が覚めたら、そこはやはり押し入れの中で、調度品を見るなり私は無事帰還できたことをすぐに悟った。というよりも、今経験したことなどただの夢だったと片付けた方がやはり自然に思えて止まなかった。
取り敢えず腹が減っていたので何かつまめる物を探そうとしたら、母親が帰ってきていた。母は私を指さしてこう叫んだのだ。
「あんた、どこにいたの」
母によると私は一日ぽっかりと消えていたらしい。確かにスマホを確認すると一日日付が進んでいた。私が一晩押し入れで寝ていたのか、はたまた過去に身体を飛ばされてしまったのかは定かではなかったが、ただ事では無いことは確かだろう。私にとっても家族にとっても。
心配性の母を、冬休みの最中だったので学業に影響は無いだろうと宥めたら激昂された。
「ちゃんと勉強してから言いなさい。将来がかかってるんだから」
私とて将来を考えてる暇など無き窮地に立たされていたというのだから些か不本意だったが、まさか押し入れの中で眠ったら過去に言っていたなどと言えず、更に追求されれば執筆の事も白日の下に晒すことになりかねないので私は適当に言い訳を作った。
それきり段々と、そして自然に、私は執筆から距離を置くようになった。母に諭されてようやく私は白紙に文字を埋めるのを辞め、問題集の空欄を埋めることにしたのだ。
そうこうしているうちに大学生になり、他に打ち込むべきものができ、段々と私にとっての執筆とは若く恥ずべき記憶に成り下がってしまった。人生は目まぐるしく巡っていて、今ではそんな過去を振り返る余裕も無い。