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第2話

 まずスマホの懐中電灯の機能をオンにした。光源が欲しいのなら襖を開けろと詰る者がいるかもしれないが、それでは無粋極まないと当時の私は返すだろう。人は押し入れと聞いたら閉鎖的な闇を思い浮かべる、それは最も身近な闇だ。狭く暗く、孤独な場所であるにも関わらず人の暮らしの跡や思い出が安らかなる息を潜めているのだ。家の中で最もアンビバレントな場所、それが押し入れである。

 などと考えていると、自分が極めて特別な事をしているのではと面白くて仕方がなかった。今思い返せば呆れかえるほどに特殊で、気恥ずかしくなるほどに稚拙な少年だったのである。

 スマホの明かりを頼りに辺りを見回すと、右手に段ボールを見つけたのでそれをたぐり寄せた。重量と感触から何かが敷き詰められているのはすぐに分かった。期待に胸を膨らませて中を覗くとそれはやはりというべきか、押し入れの定番であるアルバムの山であった。

 表紙はすっかり変色しており、中のモノクロ写真を見る前から年季が伝わってきた。最初からページを捲っていくと白黒の私ばかりが写っていた。どこでこんな写真撮ったのだろうと勘ぐったが私は坊主頭にした覚えはない。つまりこの男は私そっくりな親族なのだろう。その時私はよく祖父に似ていると言われていたことを思い出した。その度にその祖父とやらの顔を見せてみろと思ったものである。

 自分に似た顔が知らない場所にいることに不思議な感慨はあったものの、かといってそれ以上の収穫はなかった。闇と静寂を肴にしながら、スマホのメモを開いて本題である執筆を始めることにした。

 が、昨晩の夜更かしが祟ったのか、あれという間にか睡魔に身を任せていた。いや、或いはこれも押し入れの持つ力の一端だったのかもしれない。

 目が覚めた時、辺りが暗闇一辺倒なことに私は驚き、背もたれにしていた布団を数回叩いてやっと自分の置かれている、というより自分で置いた状況を飲み込んだ。

 床に沿って手を滑らせスマホを見つける。使い慣れた道具の電源を指で探し当て起動するとまばゆい光が私を襲い、思わず顔をしかめた。

 そして周囲を照らした時、私は最初の異変に気がつくことになる。

 物が減っていたのだ、さっきより。

 アルバムを詰め込んでいた段ボールや、雑貨が押し込んであったプラスチックの抽斗が丸々無くなっていた。よく見れば背もたれにしていた布団も背が低くなっている。

 どういうことかと私は不思議に思った。有り体に言えば少しの恐怖も感じていた。

 私の寝ている間に誰かがこの押し入れを開けて物を抜き出したのか、いやそんなことはあり得ない。借りに極度の深い睡眠に陥ってたとしてもこれだけ物を動かされたら目が覚めるだろう。

 いやそもそも今は何時なのか、それ程長時間眠っていたわけでもあるまい、そう思ってスマホの光に仕方なく向き合ったのだが、

 時間は全く進んでいなかった。スマホが狂ったのか、はたまた私が寝た時間はわずか数秒だったというのか。

 どちらにせよ、不穏なことに変わりない。私には既に雰囲気だのムードだのを気にする余裕は無くなっていた。押し入れ襖に手を当て、横に滑らせるべく急いで力を込めた。

 そして光が私を包む。闇そのものであった押し入れに光が射す。それが私を襲う不安すら洗い流してくれるに違いないと、急いで狭き押し入れから這い出た。

 広がったのは見知らぬ部屋だった。

 しかし全く知らないというわけでもない。この間取りは間違いなく我が家の書斎だ。だがそこら中にあった埃も積もってなければ、シミだらけだった畳も新しくなっている。机や椅子等の家具も充実しているし机上には雑貨も見える。極めつけには机に向かって扇風機が元気よく稼働しており、すっかり人の生活の跡が見える。知ってる部屋なのに何もかもが違う。

 どういうことだと私は当惑し、立ち尽くすことしか出来なかった。

 突然、人の声がした。あっ、と驚くような声だった。

 振り向くと私とそう変わらないくらいの年齢の男が、まるで今の私を表す鏡のように立ち尽くしていた。

「なんだ、君は」

 男が声をかけてきた。おそるおそる、という緊張をふんだんに含んだ声色だった。

「あなたこそ、ここは俺の…家だけど」

 言い終わる前に私はすっかり自信を失っていた。荒唐無稽な話だとは思うが、見知らぬ部屋に呼ばれたのは私の方だと悟ったのだ。

 それからはお互いに沈黙し、凝視した。私によく似た目鼻立ちをしながら、真似しようとは思えぬ坊主頭。それにしてもこの男の服装はなんだ。年が明けて間もない冬真っ盛りに半袖のTシャツ一枚に短パン。おまけに扇風機まで稼働させて、まるで季節感と乖離していた。

 しかし、

 しかし暑いなここは。

 その時になってやっと気づいた。猛暑日のようなカラッとした熱気に。

「今、何月ですか?」

 私は羽織っていた上着を脱ぎながら目の前の男に尋ねてみた。私の質問に彼は尚更眉間の皺を深くした。

「八月。八月一日だ」

 私は唖然とした。

 これで私が寝ている間に誰かが知らない場所へと運んだという可能性はすっかり消えてしまったわけで、まさか私が半年以上押し入れの中で眠りこけていたなんてこともあるまい。それに目の前のこの男はどう説明する。

「西暦は?」

「1970年」

 ふざけるなと一蹴する余力など無く、倒れそうになるほどの目眩を私は覚えた。これが事実なら私は五十年も過去にタイムスリップしたということになる。私はへなへなと無様に、その場に座り込んだ。

 この時私に渦巻く感情全てが筆舌に尽くしがたいものだったと言える。恐怖と後悔と困惑と

がごちゃ混ぜになり、冷や汗があふれ全身に纏わり付く感覚が気持ち悪かった。

 だがその一方、前代未聞で驚天動地の危地に立たされていることに微かな喜びや探究心が芽生えていたことも否定できないだろう。恐らく、有史以来この方法で執筆のアイデアを得た作家は存在し得ないのだ。そう考えるとこれは私が常日頃求めていた希望そのものであり、千載一遇の機会に違いないのだ。

 そんなことで私は立ち上がり、目的を果たすための行動に早急に移ることができた。振り返れば我ながら歪曲した考え方だが、その行動力はどこまでも愚直で、気恥ずかしくなるほどに前向きな少年だった。

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