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第1話

約1万文字の話を全5話に分けて1日1話投稿します。

前作とは違う文体を意識しているのでまた違った味わいがあるかもしれません。

 ふと思い出したことがある。


 高校生の私は小説を書くのが趣味だった。自身の色眼鏡を以てしても見ても優れた物書きではなかったが、長く続けた甲斐あって様々な経験をした。

 経験というのは何も自分の脳の織りなす空想と紙やペン、文字の羅列の中ということではなく実際に見て触れて聞いて嗅いだ体験のことである。

 当時の私の行動原理は全てが執筆のアイデアの為であった。ノスタルジーを知るために電車の車窓から見える畑だらけの風景を眺めてみたり、または教室に漂う無数の会話の中を聖徳太子の如き聴力を発揮して学生の生態を学び、汚れを知らぬ少女の心情に触れたい時は近所の草花を慈しむように調べ尽くした。もっとも私に足りなかったのは文章の表現力で、それを学ぶには本を読むのが唯一であり最短の道なのだが、あの日観察した草のように青臭い私は気づけなかった。独創性のある作品を拵えるのだと、振り返れば頬も真っ青になる程に気恥ずかしくなるような、妄執の少年だったのである。

 これから話すのはそんな青く、とにかく未熟だが行動力はあった頃の私の話である。


 それは高校三年の冬休みであった。しかし休みなんてものは名ばかりで友人達は大学受験がどうたらと問題集の空欄を埋めるのに躍起になっていた。嬉々として白紙に文字を羅列していくのは自分だけだったに違いない。

 執筆には万全たるメンタル、フィジカルそしてコンセントレーションが必要となる。ピアノを弾くときに背筋を伸ばし肩から指先までの関節をそれぞれ九十度にするように、そして爪の長さも揃えるように、何事も姿勢は大事である。そして小説を書くとは見た目以上にその姿勢を問われるものだと当時の私は自惚れていた。よって朝早くに起き、十時には執筆可能な態勢を整えた。快適な朝だった。

 もう一つ、執筆に欠かせないものがある。それは環境作りだ。暗い場所で映画を見るように、閑静な場所で勉強をするように。執筆もまた同様である。

 私は財布を覗いて嘆息した。環境作りのために毎日喫茶店やファミレスに通っていたために中は見事に素寒貧、冬の風が吹いてきそうなくらい寂しげな光景が広がっていた。アイデア集めの旅も今思えば豪遊に等しい。

 書くためならばどんなことをも厭わない私といえども無銭飲食や親に無心などは唾棄すべき行為だという分別はあった。財布を投げ捨てた私は家族の不在をいいことに広い家中を徘徊し、ついには父の書斎に立ち入った。

 祖父の代に建てられた家は数度のリフォームを経ている。が、この書斎だけは手が入っていないらしくこの家において唯一和風のテイストを保っていた。古めかしさも相まってその異質さは一入で、父と亡き祖父以外その部屋には寄りつかなかった。尤も部屋を引き継いだ父も物置として使っていたようだが。

 元々は祖父の国だった書斎には彼の名残として数多くの古めかしい本が並んでいる。生前彼は相当の読書家であったそうだ。私が生まれる頃には既にこの世を去っていたから詳しくは知らない。知らないからこそ霊験あらたかなこの書斎の力を借りようと思った次第であった。

 中に入って改めて辺りをぐるりと見渡すが、執筆できるような場所はどうにも見つからない。畳はシミや虫食いばかりで胡座をかく気になれず、椅子も無ければ机もない。あるのは隙間無く本の詰められた本棚と隅に立てかけられた掃除機、あとは誰とも分からない親族と思しき人物のモノクロ写真が壁に飾られているくらいであった。備え付けの棚には物ひとつ置かれておらず、とにかく埃臭かったのを覚えている。

 誰も立ち入らない場所故に清掃が行き届いていないことさえこの時初めて知った。この書斎はしっかりと家の中に構えているのにまるでもっと遠くにあるような、例えるなら裏庭や離れといった認識であった。

 ここで私は興味を惹かれた。未知を探訪することこそが行動原理であったにも関わらず、自宅の一室のことさえ気にも留めなかったのだ。灯台もと暗しとは正にこのことであると面白がって、モノクロの人物写真を睨んでみたり掃除機を訳もなく横に倒したりした。それで何の欲が満たされるのだろうかと自分でも可笑しくなった。そしてやっと押し入れの存在に気がついた。

 極めてオーソドックスな二枚で引き戸のふすま。この部屋の例に漏れず年季が入った風に見えるが引っかかることもなくすんなりと開き、軽い木の擦れる音が気持ちよかった。押し入れは真ん中辺りで区切られており、上には使われなくなった布団が積まれ、下は物置として使われているだけあってあらゆる物が詰められるように置かれていた。さながら裕福な家庭の冷蔵庫のようだと私は思った。

 一番手前には時機を虎視眈々と待ち侘びる扇風機が堂々と佇んでいた。それを除けて奥に身を乗り出し、観察を続ける。一目見れば普遍的な押し入れの光景だと分かるのに私は目を離さずにはいられなかった。私が未知への探究心旺盛の少年だからか、或いは既に書斎と押し入れの放つ魔力に侵されていたのかもしれない。

 故に、こう思ったのだ。

 この中で小説を書きたいと。


 埃臭い押し入れとは、喫茶店やファミレスに比べて随分グレードダウンしたものである。ソファも机も照明も、ドリンクバーもない。それでも私の知識欲や探究心がそこを都にした。

 身体を屈めて、扇風機が置かれていた場所に腰を下ろす。天井は思ったよりも高く不用意に立ち上がったりしない限りは頭をぶつけることは無さそうだった。壁側に背を向けるようにし、襖を閉めると途端に闇が私を包んだ。しかし胡座をかく余裕もあるし、奥の座布団の山が背もたれになる。存外心地の良い空間なのかもしれないと私は思った。

 私はスマホを開き、執筆用のアプリを起動した。そしてこの静寂と闇を画用紙へ模写するかのように正確に表現してやろうと息巻いた。

ありがとうございました、また明日もよろしくお願いします。

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