逆再生の証言
『奇妙な逆転』
証言とは、記憶の化石だ。
発掘の仕方によっては、まったく別の形に見えるものだ。
私は“記憶”そのものを操作しようとは思わない。
だが、“語りの順序”を操作することで、人間の脳が勝手に補完する幻想に訴えかけるのだ。
被害者は裕福な慈善家。邸宅の地下書庫で刺殺された。
だが、使用人3名の証言には奇妙な逆転がある。
「先生は午後3時にはご在宅でした」
「いいえ、その頃にはすでに外出されていました」
「でも4時過ぎに紅茶をお出ししましたよ」
この“時間の逆行”。
それが、私が仕込んだ“逆再生の証言トリック”。
それぞれの証言は事実に基づいている。だが、私はこう言うように仕向けた――
“真実を語らせるが、順番を入れ替えて”。
記憶を微かに誘導する薬、そして言葉の誘導。
順序の混乱はやがてホームズの冷静な論理をも狂わせる。
だが、奴は油断ならぬ男だ。
この罠に、どこまで抗うだろうか?
『証言の順序』
証言は揃っていた。だが、辻褄が合わない。
「3時には在宅していた」
「いや、その時にはもう外出していた」
「そして4時過ぎに紅茶を出した――」
まるで、出来事が巻き戻しで語られているようだ。
私はふと、蝋燭立ての一本に注目した。
まだ蝋が流れ落ちていない。使用人の話では「先生は4時には執務室にいた」というが、蝋燭は灯されていなかった。
つまり――その部屋に先生がいたという“記憶”は、夜のものを昼にすり替えているのだ。
この家に蔓延する記憶の歪み、それは意図されたものか? それとも集団錯誤か?
ワトソンがぽつりと呟いた。
「まるで、誰かが“順序”を壊したみたいだな」
私は背筋が粟立つのを感じた。
まさか――モリアーティか?
『時間の断片』
ホームズは気づいたようだ。
“証言の順序”が意図的に壊されていることに。
それでも、すべてを見抜くにはあと一歩足りない。
私の手の者が一人、嘘を言ったわけではない。
「彼が紅茶を出したのは“前日”の4時」
「外出したのは“当日”の午後2時」
「戻ったのは3時、だがそれは“数日前”のことだ」
私が用意したのは“時間の断片”だ。
それを日付と結びつけないまま証言させることで、ホームズは“同じ日の出来事”と誤認する。
“事実”は揃っている。だが“脈絡”は私がねじ曲げた。
まるで、フィルムの切れ端をバラバラにして並べ直すように。
真実を反転させるこの美しき芸術に、ホームズがどう応えるのか――
それが楽しみで仕方がない。
『見え始めた真実』
解けた。いや、“解け始めた”が正しい。
それぞれの証言は、微妙に“日付”の指定が欠けている。
だから私は、自分の中で自動的に“すべて同じ日”と処理してしまっていた。
だが違う。
紅茶は“昨日”。外出は“今日”。在宅は“おととい”。
事実は全て正確だった。ただし――“時系列を破壊された状態で”。
私はようやく理解した。
これは“記憶”の操作ではなく、“証言の配列”の操作。
このトリックの背後にいるのは――奴しかいない。
「ワトソン。準備を整えよう。今回の敵は、“語られる順序”すら操作する」
『形の無い罠』
ホームズの眼差しは、確信に満ちていた。
やはり奴は、読み解いたのだ。
“真実はそのままに、語られる順だけを歪める”という、私の逆再生の罠を。
だが、次はどう出る?
私は既に新たな一手を打っている――
次なる舞台は、沈黙の中の鐘楼だ。
さて、次の一手といこうか。
“真実”など、我々の前ではいかようにも形を変えるのだから。