01 Called by the Blue Eaves / 青屋根に招かれて(1)
親愛なる友へ
どの雲にも銀の裏地がついているという。
きみのまなざしの中に思い起こしたのは、まさにこの言葉だった。
◇
ハムステッドから南西へ向かう。地下鉄を乗り継ぎ、まずはパディントン駅に降り立つ。コンコースは忙しさに満ち、カートを押す家族連れ、時刻表を睨む若者、そして落ち着いた足取りの老紳士たちが、それぞれの行き先へと急いでいる。
サマーホリデーに浮き足立つ人びとに混じって高速列車のチケットを買う。思いのほか時間にゆとりがあったので、売店に立ち寄っていくことにした。こぢんまりとしたラックに、新聞やペーパーバック、手軽な軽食類が所狭しと並んでいる。僕はベンダーに声をかけ、ハムとチーズのサンドイッチ、それから目についたペーパーバックを一冊買い求めた。
プラットホームへ向かうと、少しして列車が訪れた。運ばれてきた夏の空気が肌にまとわりつき、ブレーキの匂いが鼻をつく。チケットを握りしめて乗り込むと、やがて発車のベルが鳴り、列車はしなやかにその巨体を動かし始める。窓外を流れていく景色は幼い頃からほとんど変わらず、目新しいものは何もない。だが、そんな道のりは退屈ではなく、むしろ安心感があって好ましいとさえ思う。
トッドネスで降りると、つぎはローカルバスでキンブリッジまで揺られる。車体は古び、座席のクッションはすっかりへたっていた。乗客はまばらで、後ろの席の老人たちが親しげに談笑している。訛りのある言葉が耳に心地よかった。
いつもなら、バスを降りたところに叔父さんが待っている。だが今年は事情が違った。叔父さんが夫婦で旅行に出るあいだの留守をあずかる役目を引き受けて、僕はホープコーヴへと向かっている。だから、ここからはタクシーに頼るほかなかった。
バスを降りて近くの公衆電話まで歩いて行き、ボックスに入って受話器を持ち上げる。そのとき、ふと通り沿いに目をやると、ちょうど向かいにタクシーが停まり、老婦が降車するのが見えたので、僕は慌ててボストンバッグを抱え、急ぎ足でタクシーを呼び止めに向かった。
「ホープコーヴまでお願いできますか」
「もちろんさ。どこで降りたい?」
「グランド・ビュー・ロード沿いにある、青い屋根の家で」
汗でへばりついたポロシャツを引きはがし、肩で息をしながら行き先を告げる。ここまでの旅路は乗り継ぎがすべて順調にいっても六時間ほどかかるので、正直言って体はとうに疲れきっていた。それでも苦に思わないのは、この道の先にあの家が待っているからだろう。
ホープコーヴの海沿いの道に入ると、視界がぱっとひらけ、小さな入り江の先に、ひっそりと丘に身をあずける家々が見えてくる。そこに、ひときわ目を引く家がある。
「お客さん、あそこに見えてる青い屋根のがそうだね?」
ルームミラー越しに運転手と目が合った。ヒットチャートを流すラジオの音量が下げられ、波が寄せる音がかすかに届く。僕は「ええ」と答えて、ブルー・イーヴスに目を向ける。よく晴れた夏の空を切り取ったみたいな、青い屋根の家。僕はこの夏をあそこで過ごす。夏の前に起きたことは、何もかもハムステッドに置き去りにしてきたつもりで。
「ありがとうございました」
「どうも。よい夏を!」
タクシーが砂利を巻き上げて遠ざかる。砂埃が潮風にさらわれていくと、さわさわと揺れるハーブのささやきや、背にした海から届く遠い波音だけがあとに残った。
ツタの絡まる背の低い門扉を押し開けてブルー・イーヴスの庭に入ると、肩の力がふっと抜ける。いつ来てもそうだ。約六時間の旅を終えて体は疲れきっているはずなのに、ここに着けばすっかりそれを忘れてしまう。サントリナやローズマリーのみずみずしい芳香に満ちた庭の空気を肺いっぱいに吸い込んで、一歩また一歩とステップストーンの上を行く。
ここに来るたびに思うことがある。この家は、どんな者にも等しく安らぎを与えてくれる。何かを求めることも、責めることもしない。ただそこに在って、訪れる者をみな拒まず迎え入れる、慈悲深い家──。
だから引き寄せられてしまうのだ。安らぎを求める者たちはみな、このブルー・イーヴスに。都会の喧騒に倦んだ勤め人、創作に行き詰まった画家、将来の不安に押しつぶされそうな学生たち。ひと夏の隠れ家としてブルー・イーヴスを訪ねるそんな人々と、僕も何度かこの屋根の下で日々を共にしたことがある。
だが、めずらしいことに、この夏をここで過ごすのは僕ただ一人なのだ。
「この夏は旅行に行こうと思うの」
きっかけは叔母さんのそんな一言だった。
「へえ、いいじゃない。どこに行くかはもう決めた?」
「スコットランドよ。エディンバラとハイランドを回ろうかと話しているの。あなたも一緒に行く?」
「叔母さんたちがブルー・イーヴスを離れるなんて滅多にないだろ。せっかくなんだから夫婦水入らずで楽しんできてよ」
「じゃあ、いつも通りうちで夏を過ごすのね?」
「そうしてもいい?」
「もちろんよ。あなたに留守をあずかってもらえるなら安心ね。お友達も連れて来るといいわ。賑やかなほうが楽しいでしょう」
「予定を聞いてみるよ」
「そうしなさい」
二人が家を空けるとなれば、留守をあずかることができるのは僕くらいのものだった。両親と下の姉は各々仕事で忙しくしているし、上の姉には家庭がある。それに、僕はほとんど毎年、夏をこの家で過ごしているのだ。だから突然の訪問者にも驚かず、快く招き入れることができる。そうとなれば僕以上の適任はいなかった。
けれど、この夏だけは、どうしても一人になりたかった。留守をあずかる役目を引き受けたのは、そうした思いがあったからでもある。叔母さんたちには悪いが、いつも通り訪問者を受け入れる気にはなれなかったし、友達の予定を聞くつもりも一切なかった。
「えっ?」
だから、想定外だったのだ。
扉を開いた先に、人の姿があるだなんていうのは。