5.
神官たちの〈舟〉はエナメル質の卵のようなもので浮遊していた。
まったく継ぎ目切れ目のないつやつやした表面が静かに外側に開き、階段になった。
なかはマジックミラーのようになっていて、金髪の神官が待っていた。
白いワイシャツに黒いスラックスとシンプルな服装をしていたが、とても美しい容姿の持ち主で、プラチナブロンドの髪を後ろで結っていた。バーテンダーのブルースをなんとなく思い出させる男だったが、ブルースはしそうにない、屈託のない笑みで言った。
「初めまして。わたしたちの手紙は受け取っていただけましたね?」
「はい。これ、すごい乗り物ですね。涙色のモデルが売っていたらいいんですけど」
「ははっ。残念ながら非売品です。今日はわたしが案内役をいたします。そちらにお座りください」
勧められたのは白い球体だったが、殺し屋のキュートなお尻が触れると、殺し屋の体格にとって、最も快適な座り心地の椅子に変化した。
フィッシュ・マンはクズだが、それでもこのテクノロジーには憧れるのは理解ができた。
舟はそのまま飛行して、神殿の上空を飛んだ。白いピラミッドのまわりにはいっさいの瓦礫は寄せ付けられず、聖域化されていた。舟は螺旋状に飛びながら徐々に高度を下げ、白い道の上に着陸した(とはいっても、三十センチは浮いていたのだが)。その道はピラミッドの最下段に開かれたゲートにつながっていた。
「わたしどもの居住地域はこの神殿の内部にあるのです」
ゲートを抜けると、青い空の楽園が待っていた。
構造を考えると、ここはピラミッドのなかだから、あれは本物の青空ではない。だが、本物の青空以上の恵みを地に与えていて、居住区域は生き生きとした芝生や生垣、実をつけた樹が見通しを妨げない絶妙な密度で点在し、熱帯の植物と鳥を集めたガラス張りのバード・サンクチュアリもあった。その楽園では神官たちが散歩したり、木陰で何かを討論したりしていた。野外音楽堂からはクジラの鳴き声のような音楽が流れていた。
神官はこの金髪の神官同様、みな美しい人たちだった。
服装は男女や年齢に関係なく、一律だった。金髪の神官が着ているのと同じ、一番上のボタンまで閉じた白いワイシャツに皺のない黒いズボンだ。
幅の広い道は手入れをした灌木に挟まれて続き、この青空ドームの中央にあるという邸につながっている。生垣にはときどき奇妙な像があった。半魚人の石像だ。魚の頭をした人間が両手を胸の前でX字にしている姿の彫像で、どことなく宗教的な意味合いがありそうに思えた。よく見ると、この魚人像は、丘の上や果樹園、脇にそれた小径など、様々な場所に立っている。
「あれは何ですか?」
金髪の神官は困った顔をした。「わたしたちの信仰している、神――とはまた違いますが、……先駆者たちの像です」
「尊敬の対象?」
「それはもう」
舟は邸の前の噴水をまわり(その中心にも魚人像があった)、入口のある柱廊の前で停まった。
どこからともなくあらわれたプラスチックの透明の箱が金髪の神官の手に落ちてきた。
「申し訳ありませんが、武器はここで預けていただけますか?」
殺し屋は飛び出しナイフと四五口径のオートマティック、替えの弾倉を箱に置いた。
「大きな銃ですね」
「いつもは三二口径か九ミリを持ち歩くんですけど。たまにはいいかなと思って」
マジックミラーに突然、下り階段があらわれたので、降りてみる。
邸は白と灰色のシンプルな石造りで二階はなく、曲線もほとんどなかった。階段を上った先に柱廊がある造りなど見ていると、この邸は住居というよりは神殿に見える。
なかに入ると、ホールになっていて、神官たちが集まっていた。ひとりの女神官が話をしていて、聴衆たちはときどき質問をしたり、もう一度説明を求めたりして熱心にきいていた。ただ、殺し屋にはさっぱり分からない専門用語の羅列だったので、内容は分からなかった。右方には食堂の扉が開いている。ちらりと見えた限り、皿の上には小さな円いチーズが乗っているだけだった。
ホールの突き当たりには中庭があった。細長い庭園で中央に幅十メートル、長さ百メートル以上の浅い水路があり、白い石材が縁取っている。緑の低木と魚人像が縁石の上に三メートル間隔で置かれていて、庭園の左右は柱廊になっていた。水路の奥にはまた小さな邸が見える。
「あそこです。少し歩きますが」
右手の柱廊は涼しく、コツコツと軽快な音が鳴り、歩いているだけで気分が良かった。ときどきすれ違う美しい神官たちは金髪の神官と殺し屋に会釈して、ほのかな香を残していく。人の香水を嗅いで、公衆トイレを思い出さなかったのは久しぶりだった。
奥の邸。青い扉が開くと、灰色の髪をした四十代くらいの男が待っていた。
「やあ、やっとお会いできましたね」
握手を求められて、手を差し出すと、そっとソフトに握られた。
「わあ、すごくソフトな握手ですね。これだけソフトに握手ができる人間は汚職政治家の賄賂の回収係くらいですよ。彼らはとてもソフトに汚れたお金を集めます。尾籠なたとえになりますが、彼らはこの世界で一番排泄物に近い人間たちですが、彼らは自分たちの卑しさを隠すために見た目、話し方、そして、握手をソフトにするんです」
「そうですか。新たな知識に触れられるのは素晴らしいですね」
その男はシロアと名乗り、神官長だという話だった。邸のサロンにあるガラスとパイプ材からできた応接セットに殺し屋を誘った。
殺し屋は神官たちの資金はあの汚れたスラムからまき上げたものだというインターホンの言葉を思い出したが、有り金全部巻き上げても、この青空のひとかけらだって買えない気がしてきた。ただ、神官たちが見た目通り神聖な存在と信じるほどおめでたくもない。女たちが消えた噂があるし、この神官たちは殺し屋と連絡するのに、児童ポルノネクタイを結んだ密造酒業者を使っている。それにこの神官長はこれから殺し屋を雇おうとしている。これを言うと元も子もないが、殺し屋など雇う人間はそもそもろくでもないのだ。
ただ、これから仕事を貰う依頼人に「あんた、ろくでもない」と指を差していては個人事業主失格である。
「あなたの評判はあなたがここに来る前から存じていました」
神官長がそう言った。ただのお世辞かもしれないが、殺し屋をここに誘導するためにあのクズに密告をさせたのではないかとも思ってしまう。この業界、額面通りにとっていいのは銃の口径だけだ。
「じゃあ、仕事の話をしましょうか」
神官長はすぐ横のテーブルの上の写真を一枚手に取って、殺し屋に渡した。
眼鏡をかけた端整な顔立ちの男で、ワイシャツのボタンを上まで閉じている。何かの証明写真というよりは盗み撮りしたような写真で、男の左手前側から撮られていた。男は手に持った万年筆をじっと見つめていて、もう一方の手には機械鉛筆が握られていた。
「殺害していただきたいのはその人物です」
「名前は?」
「スツカ。苗字はありません。彼は我々と同じ神官ですが、殺害する前に、取り返してもらいたいものがあります。そういう任務もお願いできますか?」
「オプション料金が発生しますけど。どんなものですか?」
「キーです」
そう言って、神官長はポケットから薄い金属プレートを取り出した。ごく浅く溝が彫られていて、象形文字のなり損ないみたいな図形を描いていた。
「これはレプリカですが、極めて精巧にできています。これと同じものを持っているので、回収をお願いします」
こういうとき、それが何の鍵なのか教えてくれないのが依頼人という生き物である。ただ、これも難しいもので事情を知らされなかったためにとんでもない目に遭うことがあれば、事情を知っていたせいでとんでもない目に遭うこともある。この場合は事情を知るととんでもない目に遭う気がした。
「もう町を出てる可能性は?」
「それはありませんよ。詳しくは言えませんが、彼はここを出ていけない理由があるのです。ところで、支払いはどうしましょう? 希望の通貨はありますか? 火山国のラフラン? カドラ連邦のリシダラー? 金貨でもお支払いできますが」
「宝石は可能?」
「ええ。もちろんです」
「それと、ひとつ質問が。逃げてから三か月ってことですけど、前に誰かにこの仕事を依頼してませんか?」
「わたしたちが使っている代理人たちに。ですが、彼らは結果を上げることができないのですよ」
フィッシュ・マン。自分たちが三か月かかっても見つけられなかった人間を殺し屋が一日で見つけて殺したら、嫉妬に狂うことだろう。あの変態デブの神官への恋慕はゾッとするほどのものだ。