04. 引っ越し
幾重にも重なった魔法の円環。その隙間が魔法文字で埋め尽くされていく。
完成した魔方陣がいっそう強く輝いた。そして光の粒となって消え去るのと同時に、目の前に木の扉が現れる。
私はそれを勢いよく開け放った。
カランカラン、とドアベルが激しく鳴る。でも気にしていられない。
「おう、お帰り。早かっ……」
自宅兼店舗の一軒家に駆けこむ。そして店番をしていた少年に向かって、あらん限りの声で叫んだ。
「アル、引っ越しましょう!今すぐに!!」
「はぁ!?またかよ、ふっざけんな!!」
弟子の少年──アルは、即座にキレた。
でも仕方ないのだ。
修羅場になった以上、引っ越しは必須だ。最優先だ。
万が一私の身に何かあって、アルが路頭に迷うような事があってはならない。
──我が弟子、アルと出会ったのは二年前。森で倒れていたのを拾ったのがそもそもの始まりだ。
彼はその当時から、十歳とは思えないくらいしっかりした子だった。
頭の回転が早く、手先も器用で、ついでに顔もたいへん良い、という女神に二物も三物も与えられたような少年だった。ちなみに態度も大人並に大きい。
だけど。
どれほど彼の態度がデカくても、うっかり「お母さん」呼びしたくなるような家事スキルの持ち主でも、アルは保護者が必要な年齢だ。
かなりのポンコツ師匠である私も、弟子の面倒を見る責任があるのは自覚している。私が刺されて困るのは自分だけではない。
「私だって、ここが気に入ってるんです。でも仕方ありません」
しゅん、と私は肩を落とした。
本当は私だって引っ越しとかしたくない。でも修羅場を舐めたら痛い目にあう。
……あ、でもちょっと待って。
引っ越しの理由は、アルに正直に伝えるべきでしょうか。迷いますね……
だけど、彼に包み隠さず伝えたら、どちゃくそ怒られるのは間違いない。可能なら黙っていたい。
うーんと唸って躊躇っていると、弟子は藍色の髪をくしゃりと掻き上げ、軽くため息をついた。それから紫水晶のような瞳をジト目にして、私を睨む。
「あんた、また二股かけて修羅場になったんだろ」
「えっ、どうして分かったんですか!?」
「二年の間に同じこと五回もやらかしたら、誰だってわかるわ!!!」
秒でバレた。
「ええと、はい。実はそうなんです。それで、今すぐ街を出た方が良いと思いまして。そういうわけで、可及的速やかに荷造りしましょう!」
「ほんっとバカだよな、あんた」
舌打ちした弟子は、呆れたと言わんばかりに深々と息を吐いた。彼は「しょうがねえな」とブツブツ文句を言いながらも、カタンと椅子から立ち上がって、店の奥の居住空間に向かう。
「ったく、準備すればいいんだろ、すれば!」
「本当にごめんなさい!」
「悪いと思ってんなら、その悪癖をどうにかしろ…………ケガはないか?」
「ケガはありませんよ。彼らには申し訳なかったのですが、揉めてる間に逃げてきました。
なんか、一人は私のことを"金ヅル"だとか言ってて、もう一人は身分が偽りだと指摘されてましたけど」
「はァ!?あんたが騙されてんじゃねえか!!」
キッと振り向いた弟子が、またキレた。
「やっぱりそうなんですかね?」と私は暢気に首を傾げる。
私は、魔法という力業で物事を解決するのは得意だが、ひとの細やかな機微には疎い。
かといって、一般人を魔法で脅したり傷つけたり、強引に従わせたいとも思わない。
なるべくお気楽に天寿を全うしたいと考えている、ただの魔女だ。
だから修羅場になった時は、深く考えずに「全部放り出して逃げる」という対応で難を逃れてきた。
ぶっちゃけ、自分一人ならそれで全然問題なかったんですけどね……
まあ──自分の二股に弟子を巻き込むなんて、我ながらどうかと思う。
こんなダメ魔女ではなく、まともな師匠に弟子入りした方が良い、とアルに勧めた時期もあったけど、即座に却下されて今に至る。
「ほんっと、あんたは危なっかしいな!」
少年の足音はドスドスと荒々しい。怒りが収まらないらしい。
「ごめんなさい」
「別に……あんたがケガしてないなら良い」
先を行くアルを追いかけながら、眉を下げて謝ると、ぶっきらぼうに返された。
それから二人で必要なものだけをまとめ、早々に出立の準備を整えた。
荷造りは速やかに終わった。
元々荷物はそんなに多くないし、引っ越し五回目ともなると、アルの手際もかなり良くなっている。
成長は有り難いが、理由が理由だけに少々複雑だ。
迷惑かけてばかりで申し訳ないとは思うけれど、彼はなんだかんだ言いつつも、ダメ師匠をフォローしてくれる良い子なのだ。
「引っ越し準備、もう終わっちゃいましたね!ありがとうございます!!」
「くっつくな!離れろ!!」
ぎゅうっとアルに抱きついたら、嫌そうな顔で勢いよくベリッと剥がされた。
その顔を見て、あれ、と私は首をかしげた。
「……あの、顔が赤いんですけど、熱とかあります?」
「ねえよ!うるせえほっとけ!」
またキレた。
血圧高めなのでしょうか。
彼はとにかく怒りっぽい。万年反抗期だ。
出会った頃からこんな調子で、かわいく甘えてくれたことなんてほとんどない。
でも、私にとっては、家族のように大事な一番弟子。いつか仲良し師弟になりたい、という壮大な野望を密かに持ち続けている。今に見てろ。
「では出発しましょうか!」
「おう」
ぞんざいな弟子の返事を聞きながら、魔力を練り上げる。ふわりと風が起こり、私たちの足元で、魔方陣が青白い光を放ち始めた。
そうして私は、弟子の少年を連れ、数ヶ月だけ住んだ街を後にしたのだった。