03. 逃走
…………あ、これはまずい。
青年を見て、私は思わず食べかけのレセプをポトリと落とした。足元にコロコロと転がるレセプ。
勿体ない。いやそんなの気にしてる場合じゃない。
この人見覚えがある。いや、思いっ切り知ってる。
立ちふさがる青年は、優しげな草食系男子だった。
隣のちょいワル男子とは完全に対角線上にいる、正真正銘、真逆のタイプ。
だが、彼らには重要な共通点があった。この草食系彼も非常に──イケメンであったのだ!
状況を忘れて一瞬見とれてしまった私は、真性のアホだろう。
(でも、めちゃくちゃ怒ってますね……!)
問題はそこだ。草食系彼の顔に浮かんでるのは、優しげな面立ちに似合わぬ、強い失望と怒りだ。
…………分かる。気持ちは痛いほど分かる。
何故なら、心当たりがものすごくあるから。
そう、こちらの草食系彼は────つい一週間前、私自身がお散歩デートに誘った相手だったのだ……!
──そう、あの日もよく晴れてました。
川縁でのお散歩デート、すごく楽しかったです……
穏やかに頬を撫でるそよ風……
優しく微笑む草食系の彼……
──とか、回想してる場合ではない。
今の私は、「最低最悪のくそビッチ」と罵倒されても文句が言えない。
後先考えずに、イケメンにコナをかけた私が全面的に悪いんだけど。
ていうかこれ何回目だ。私ってほんとバカ……!
……だけど、と思う。
やっちゃったもんは仕方ないのだ。
過去を変えるなんて不可能だ。時間は不可逆である。後悔するより、これからどうするかを考えた方が建設的というものだ。
常に前向きな性格が、私の最大の取り柄である。けして開き直りではない。
私は、即決した。──逃げよう!
くそビッチと呼ぶにふさわしい経歴を持つ私は、「こういう時は逃げるに限る」と学習していた。
──決意を固め、隣のちょいワル男子をそうっと窺う。そして見なければ良かった……と後悔した。
突然の邪魔者の登場によって、彼は剣呑に目を眇め、相手を睨んでいた。
ビシバシ殺気が放たれて空気がピリピリする。威嚇モード全開だ。こわ。
そして前方も不穏だ。おそるおそる前に目を向けると、草食系彼も同じくらいキレていた。険しい顔でこちらを睨めつけている。怒りのボルテージはMAX。
まさに一触即発の事態である。
────張りつめた空気の中、先に動いたのは草食系彼だった。
デートの時はけして見せなかった険しい表情で、ちょいワル男子にビシイッと指を突きつけたのだ。
「お前、横恋慕など許さないぞ!ロゼは僕のものだっ!!」
「……てめえ、何様だ?」
ちょいワル男子が、地を這うような声を出す。
まずい。完全にキレてる。
思わず天を仰ぐ。あぁ……お空がきれいです……
(でも幸いというか何というか……ここに至っても、私の不貞は疑われてないんですよねえ……)
おそらく彼らにとって、この事態は青天の霹靂だったのだろう。
私って、見た目だけは清楚系ですからね……
私が二股してるなんて、二人はこれっぽっちも思ってなかったに違いない。
本当に申し訳ない。でも真実は二股だ。
心のなかで土下座する。
何となく罪悪感が湧いて、逃げる前に何でもいいから言い訳すべきでしょうか……なんて考えがよぎる。
よし、と拳をぐっと握ってみたものの──機転の利いた言い訳なんて、パッとは出てこない。何十回と修羅場を経験してもこれだ。
私がもたもたしてる間に──ちょいワル男子がキレた。
「どけ、邪魔だ。大体お前はこいつの何なんだよ」
「彼女は僕の金ヅル……いや運命の恋人だ!」
──ん??
今何か、不穏な言葉が挟まったような?
気のせいかな?と首をかしげる。
しかしその疑問は、右隣で荒れ狂う黒いオーラによって吹き飛んだ。
ちょいワル男子は冷やかに相手を見据えた。
「こいつは今、俺とつきあってるんだが?」
「嘘だ!」
「嘘じゃねえよ!」
「いや、調べはついてるぞ。お前のような都市警備隊員など存在しない、とな!貴様は身分を偽って、ロゼを騙すつもりじゃないのか!?」
「っ、てめえ、デタラメぬかしてんじゃねえよ!!」
あれ?またしても不穏な情報出てきました?
ちょいワル男子、すごく焦った顔してません??
火花を散らしながら激しく睨みあう二人。修羅場を演じる私達の周囲に、軽く人垣が出来はじめる。視線が刺さりまくりだ。
原因は間違いなく私だが、出来ることなら無関係なふりをしていたい……!
(あ、でもよく考えたらこれって絶好のチャンスでは……?)
彼らは互いの敵意に気を取られ、私の存在を忘れかけている。
逃げるなら今のうちだ。
二人には申し訳ないが、私は当事者としての責任を天高く放り投げる事にした。
「てめぇふざけんなよ!?」
「お前こそ!!」
二人が喧嘩している隙に、私は静かに逃走の機会を窺った。
ジリジリ高まりゆく緊張。
一歩も譲らぬ男達。
二人は互いに牽制し、視線を激しく交差させ、火花を散らして威嚇しあう。
それは、二人の注意が、完全に私から逸れた瞬間だった。
気配を消し、そろり、と一歩下がる。
──よし今だ!
私はそっと野次馬に紛れた。そこからするすると抜け出して人垣の外に出る。慎重に数歩後退して、人垣から離れる。
それから、さっと踵を返し、全力で駆け出した。
「…………ロゼ、お前の恋人はオレだよな?」
「僕だろ!?」
人垣の向こうから私への問いかけが聞こえた。わぁ間一髪!
「…………………え?」
「あいつどこいった?」
戸惑う二人の声がした。
本っ当にごめんなさい!
内心で平謝りしたけど…………いやでも待って。
この場合、謝る必要はない気もする。二人とも何だか怪しかったし。
……まぁいいや、逃げよう!
私はさっと物陰に引っこんで、転移魔法を展開させると、修羅場からきれいさっぱり姿を消した。