28. つかの間の休暇
「今日の特訓はお休みです!」
朝、顔を会わせた殿下に、私は高らかに宣言した。
「……は?"黒紅の魔女"の侵攻が間近に迫ってるっつうのに、そんな悠長な事出来るかよ」
アレス殿下は眉を寄せて反論した。
たしかに一理ある。一国を背負う王太子なら、その懸念と責任感は当然だろう。
でも、ここ最近の私のスパルタな特訓で、殿下の麗しいお顔には疲労の色が濃い。そろそろ休息が必要だ。
私は、殿下にニコリと笑いかけた。
「大丈夫です。というか、むしろ今のうちです。
エルハイムの動向を探ってる間者さんから、ラズダル侵攻の準備はまだ整ってない、という報告があったそうじゃないですか。
実際、侵攻が始まったら、ゆっくりお出かけなんてできませんからね!」
「それはそうだが……」
渋る殿下に、私は腰に手を当てて胸を張った。
「根を詰めすぎても良くないです!師匠権限で、四の五の言わずに出掛けます!セドリックさんにも、今日は一日自由に過ごしていいと許可をいただいてますし!」
「おい、いつの間にあいつとそんな話したんだ」
「ふふ、ちょっと驚かせようと思って内緒にしてました。びっくりしました?」
「……ふうん」
してやったりな私とは対照に、殿下は少し拗ねている。秘密にしてたのが面白くなかったようだ。難しいお年頃ですねえ。
面倒くさい男心に気づかないふりをして、強引に話を進める。
「というわけで、今日はこの私が、殿下のお好きな所にお連れします!海でも山でも街でも、何でもリクエストしてください!」
「……二人で出掛けるのか?」
「そうですね、あと聖獣さまもご一緒します。あっ、護衛の方もお連れした方がいいですか?」
「いやいい」
なぜか殿下は即答した。
そして少し考えてから、「東方の海に鯨の群れが来ていると聞いた。可能であれば、それが見たい」と呟いた。
「鯨ですかあ、いいですね!」
手を叩いて喜びながら、私は少しだけほっとしていた。鯨のいる海上に、イケメンがいるなんてことはないだろう。
──私にかけられた呪いは完全に消えたわけではない。いまだにイケメンに目移りしてしまうし、誰かに衝動的に声をかけないとも限らなかった。
それでせっかくの休日が台無しになったら悲しいし、どうせなら、人のいない自然豊かな場所の方がありがたかった。
これが、"黒紅の魔女"と戦う前の最後の自由時間になるかもしれない。だから殿下には楽しく過ごしていただきたい。
ちなみに私は、城の中でも男性仕官と接触しないようさりげなく隔離されている。仮初とはいえ、王太子妃が殿下以外の男とトラブルになったら、まずいどころじゃないからだ。
「承知しました。私めにお任せください」
わざとおどけながら恭しく礼をする。それから、私は長距離移動の魔方陣を展開した。
◇◇◇
やってきたラズダル東方の海は、以前、シーサーペントを討伐した場所の付近だった。
鯨達はあの魔獣を怖がって、一時期この辺りを避けて回遊していたらしい。でもシーサーペントがいなくなってからは、また姿を見せるようになったそうだ。
ぐるりと見渡せば、実に穏やかな大海原が広がっている。青い空と青い海に挟まれて、とても気持ちがいい。
『あたしも鯨は見たことないの、すごく楽しみなのー!』
私の肩に止まった聖獣さまも嬉しそうだ。純白の翼を広げたり畳んだりして、興奮気味なのが伝わってくる。
「聖獣さま、鯨の気配はわかりますか?」
『ちょっと待ってなの。いま探してみるの』
魔獣と違い、鯨は普通の生き物だ。私の魔力感知で探すことは出来ない。
というわけで、鯨探しは生き物の気配に敏感な聖獣さまにまるっとお任せした。
『むーん………あっ、多分あそこにいるの!』
「さすが聖獣さま。ありがとうございます!」
暫く集中してた聖獣さまは、パッと顔を上げ、南の方を翼で指し示す。
「あっちだそうです!行きましょう、殿下」
「ああ」
雷獣に股がった殿下と並んで、翔ぶように移動する。すると、海面から大きく潮が噴きだすのが見えた。
「あ、あれですね!もうちょっと近づいてみましょう!」
「おい待て、ロゼ!」
初めて目にする、巨大な海洋生物。
高揚していた私に、殿下の制止は聞こえていなかった。
ブシュウ、と再び大きく潮が噴き出す。
まるで海水の柱だ。水飛沫が明るい陽光を弾いて虹色に光る。
『鯨、でっかいのー!』
「すごいですねえ!」
うわあーうわあー、と聖獣さまと私は子供のように歓声を上げる。興奮しすぎた私達は、すぐ下の海中からせりあがるように顔を出す、群れで一番大きな鯨に気づくのが遅れた。
「わぁあっ!!」
『きゃあ!』
「ロゼ、聖獣さま!!」
私達は、鯨の大ジャンプに巻き込まれてしまったらしい。殿下の焦った声が聞こえた。
鯨が、体を捻るように海面に躍り出た。その大きなひれの端っこに私は引っ掛かってしまったらしい。
気がついたら海の中に飲みこまれていた。
──そこは深い青の世界だった。
何もかも青く染まった水中で、流線型をした巨大な鯨が悠々とすぐ横を通りすぎる。
一瞬その雄大さに見とれたけれど、すぐにそれどころではなくなった。
息ができない。ガボ、と思わず水を飲む。
あ、これはまずい、と思った瞬間、力強い腕に引き上げられた。
ザバ、と海面に顔を出すと同時に、呼吸が自由になる。私は殿下に抱えられ、雷獣の背中でゲホゲホと激しく噎せた。
「平気か?」
『ロゼ、大丈夫なの?』
見ると、アレス殿下とその肩に止まった聖獣さまが、心配そうに私を覗き込んでいる。
聖獣さまもびしょ濡れですね。しかし咄嗟に飛んで難を逃れたのか、海には落ちなかったようだ。
「大丈夫です。殿下にはご迷惑をおかけしました……」
「まったく、いい年してはしゃぎすぎなんだよ」
「私は永遠の十代です」
「相変わらずの減らず口だな……」
「いえ、でも本当に助かりました。ありがとうございます」
はあ、と一息ついて礼を言う。殿下は「無事で良かった」とそっぽを向いた。殿下も相変わらずのツンデレですね……
しかしこの体勢は……
「……あのう、もう平気なので、離して貰っても大丈夫ですよ……?」
「……っ!」
殿下は私の腰を抱えて、密着したままだ。指摘すると、彼はカーッと赤くなって慌てて手を離す。
この世の女性はみんなオレのもの、と言わんばかりの男前なくせに、殿下は案外純情だ。しかも、相手は三百歳を超えた魔女だというのに。
生温い目で微笑んでいた私ですが……ふとあることに気づいてしまいました。雷獣に乗ってると、風魔法を使わなくていいからすっごく楽……!
「……もう少し、ここで休んでてもいいですか?」
「好きにしろ」
ふてくされた横顔のまま、殿下は許可してくれた。雷獣の背に乗った私達は、ゆったりと泳ぐ鯨達を眺め、水平線に消え去るまで見送ったのだった。




