16. 少年は恋する
【アル視点】
──深い森をさ迷い、何日も飲まず食わずで、もう一歩も歩けなかった。草の上に倒れてからどれくらいの時間が経っただろう。
意識が朦朧として、もはや指一本すら動かせなかった。
もうすぐ死ぬんだろうな。
ぼんやりとそう思った。
その時、かさ、かさ、と何かが近づいてくる音がした。
何がやってくるのか。
恐怖でパニックに陥った。
狼や熊ならそいつに食われて人生終わる。そんな死に方は嫌だ、怖い……!
心は恐怖でいっぱいだが、逃げたくても手足は石のように重い。喉が苦しく、掠れた悲鳴さえ上げられなかった。
がさ、と草むらから何かが顔を出した。
「あら、こんな所に子どもが……」
──鈴を転がすような、綺麗な声。
誰かが自分を覗き込む。
その瞬間、暗闇にすっと光が射しこんだような気がした。
瞬きしながらこちらを見つめてたのは、絹糸のような白金の髪に、アイスブルーの大きな瞳をした、世にも美しい乙女だった。
ひと気のない山奥に、きれいな若い女。
あまりに非現実的で、その時は、「黄泉からお迎えが来たんだろうな」と思ったんだ。
「あんたは、女神の使い……?」
「いえ魔女です」
オレの勘違いを、女は即座に訂正した。
そうしてオレは魔女に拾われ、九死に一生を得た。
彼女の中身は、外見の清楚さを裏切って、チョロいにもほどがあるイケメン好きだったけど、オレはこの時からずっと彼女に心を奪われたまま……いや、どんどん好きになっていった。
アレス・ルクス・ラズダル、
わずか十歳で運命の恋に落ちた。
◇◇◇
オレは、ラズダル王国第二王子の息子としてこの世に生を受けた。
その頃のラズダル王家は、ドロッドロの泥沼。
王の長子である第一王子と、オレの父である第二王子が王位を巡って激しく争い、それに巻き込まれたオレは、両親ともども何度も命を狙われた。
玩具に毒蛇が仕込まれたりとかな。幼少期からハードモードすぎるだろ。
母はオレが六歳の頃、心労で倒れてそのまま儚くなった。その死についても黒い噂が飛び交った。
父と叔父の第一王子はそれまで以上に関係が悪化し、王宮はますます荒れた。
ここまで拗れてしまったのは、本来なら王位を継ぐはずの第一王子に難がありすぎたからだ。
あいつは気分屋かつ残虐な性格で、気に入らない部下の首を問答無用ではねる一方、甘言に弱く、おべっかを言ってすり寄る人間を重用した。
一方、オレの父である第二王子は、突出した才能はないが努力を惜しまない秀才で、何より公平を重んじる人だった。
どっちがマシかなんて、誰が見ても明らかだった。
祖父である国王がオレの父を後継に据えようとしたのも、当然すぎるくらい当然だった。
だが、御しやすい王を望む一部の貴族は、第一王子を推した。
彼らの圧力で、王太子の選定はなかなか進まず。
そうこうしている間に、第一王子派が政変を企て、無理やり王太子の座を奪おうとした。
いよいよ政変が起きる、という直前。
父は信頼できる護衛を集め、オレを王宮から脱出させた。
行先は母の実家がある公爵領。そこで保護してもらう予定になってた。
だが、オレ達はそこに辿りつけなかった。
途中、待ち伏せしていた第一王子派の刺客に襲われ、従者はオレを守る盾になって、みんな死んでいった。
命からがら森に逃げ込んだけど、行く当てもなく、オレはついに行き倒れた。
そんな自分を偶然拾ったのは────
この世の者とは思えない、美しい魔女。
彼女の愛称は、ロゼ。別名、"氷花の魔女"。
魔女は自分を森から連れ出し、回復するまで快く面倒を見てくれた。
ロゼは最初、オレを家族の元に帰そうとしていた。
だが、オレは王家の権力争いにすっかり嫌気がさしていた。
幼少期から何度も殺されかけたら誰でもそうなると思う。心労で倒れた母上だって、第一王子派に殺されたようなものだ。
だから、身元を聞かれても頑なに黙ってた。
ロゼは諦めたのか、無理に素性を聞こうとはせず、養い子という形でオレと一緒に暮らしはじめた。
それは、本当に幸せな日々だった。
一目見た瞬間から、自分はロゼの虜だった。この世にこんなに美しいひとはいない、と本気で思ってた。
なぜこんなに惹かれるのか自分でもよく分からない。とにかく彼女が好きだった。
でも、ロゼにとってのオレは、ただの拾ったガキでしかない。義務で育ててるだけ。
ロゼはやたら気の多い女で、地雷のような男に引っ掛かっては、人間関係を拗れさせて街から逃走する、という行為を繰り返してた。
オレを拾ったのも、それで街を移動する途中だったらしい。
オレは、ロゼに好かれる男どもに嫉妬した。ロゼが浮かれながらデートに出掛けるのを見ながら、胸が潰れそうになった。
ロゼがクズ男に騙されて落ち込んでたら、説教しつつ慰め、絶対にいい男になってロゼを幸せにすると誓った。
少しでも自分を見てほしくて、料理や家事を頑張った。おかげで料理はプロ顔負けになった。
ロゼには「いつでもお嫁に行けますね!」と言われた。
いやお前が嫁に来いよ。
そりゃオレみたいなガキ、三百歳を越える魔女が相手にするわけないのも分かってたけど、やっぱり子供扱いは辛かった。
なんでオレはガキなんだ、と。
そんな思いばかり募る。
ロゼと同じ視点に立ちたくて、魔法師の弟子入りもした。
修行は厳しかったけど、魔法が上手くできたらロゼは手放しで喜んでくれた。それが本当に嬉しかった。
ロゼのちょっと抜けた所も、魔獣には容赦ない所も、何もかも好きだった。
彼女の側にいられてこの上なく幸福だったし、こんな日々が続くんだと信じて疑わなかった。
だから「シュレーデンに行こう」と言われた時も、そんなに気にしていなかった。
──次の滞在先となったシュレーデンは、ラズダルの東の端。王都からはかなり遠い。
政変の首謀者だった第一王子は幽閉されたという。王国は、確実に安定を取り戻していた。
でも、ラズダルや父の事は心のどこかでずっと気になってた。結局、オレは母国を捨てきれなかったんだろう。
だから、一度、ラズダルを見に行くのもいいかと思った。それが甘かったと知るのは、ロゼが海の魔獣討伐から帰ってきたあとの事になる。
「アレス殿下ぁぁぁああぁぁ!!!」
咽び泣くセドリック。目を潤ませる騎士達。困惑するロゼ。
オレの所在は、あっという間にバレた。
ロゼは目に危険な光を浮かべ、「逃亡するならお手伝いしますよ」と言ってくれたが、そんなのさせられるかよ。ロゼがお尋ね者になっちゃうだろ。
号泣するセドリックを見て、オレは自分の立場をやっと思い出した。
──二年前、オレを逃がし、危険な王宮に残った父。自分を守るために、盾になって死んだ護衛達。
もう自分の責任から逃げるわけにはいかない、と腹を括った。父や死んでいった護衛達に報いるためにも、王宮に戻らなければ。
ロゼと離れるのは、死ぬほど辛かった。
だが、よく考えたら今一緒にいたって相手にされないんだ。
それならロゼの恋愛対象である二十歳まで待って、極上のいい男になってから再会したらいいだけじゃねえか。
万一彼女が誰かのものになってたとしても、そいつが太刀打ちできないくらい良い男になって奪い返せばいい。
幸い、オレの顔は悪くない。イケメン好きな彼女なら、きっと気に入るはずだ。
…………つうか、ロゼの倫理観をとやかく言えなくなってんな。何もかもロゼのせいだ。
別れ際。
「……オレはいつか必ず、あんたに会いに来るからな!それまで絶対に変な男に引っ掛かんじゃねえぞ!」
「えーと……それは約束できかねますね!」
「こういう時は、嘘でもハイとか言えよ!バカか!?」
ロゼは相変わらずロゼだった。
祈るように握った手に願いを込める。また会えるように。出来れば、他の男に引っ掛からないように。
祈りというより、もはや、怨念に近い。
ていうか…………十二歳の少年に、こんなクソデカ感情を抱かせるロゼってやっぱ、とんでもない魔性属性だよな。
そうだ。女神みたいなロゼが悪い。
そうしてオレはラズダルの王宮に戻った。
──目が回るような忙しさの中で、"黒紅の魔女"が復活し、エルハイム王国の支配下に入った、という噂を耳にしたのはそれから数年後の事だった。




