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母を看取るという事

作者: 初瀬 叶

私の母は美容師だった。


たばことお酒が大好きで、お喋りが大好きな母。


学生の頃は衝突する事も多かった。私が理屈っぽい人間だからだ。


母一人、子一人。喧嘩も多かったが仲の良い親子だったと思う。


私も仕事を始めると、お互い夕食の時ぐらいしか顔を合わせる事はない。

母は美容師、私は医療従事者。


ハッピーマンデーで月曜日がお休みの時には、必ず二人でランチを食べに行った。


私が運転手。母は昼からビールを飲む。

何故かレストランでは、私の前に置かれるビールに何度も苦笑いした。


そんな母が「どうにも最近腰が痛い」と言い出した時、私は職業病なのでは?と軽く考えていた。


今どきの美容師さんは椅子に腰掛けて仕事をするスタイルの方もいらっしゃる様だが、中腰で仕事をする母が腰痛になったって、そう不思議ではない。そう思っていた。


「整骨院に行っても、マッサージを受けても痛みがとれない」

と言う母に、整形外科の受診を勧めたりもした。


ある日の日曜日。


「今度はお腹も痛くなってきた。明日の休みに病院に行こうと思う」


いつもより二時間程早く、美容室を閉めて帰って来た母に私は驚いた。


母は我慢強い人だったから。そんな母が自ら病院に行くと言い出すなど、よっぽどの事だと思った。


「大丈夫?」と尋ねる私に、


「便秘が酷いから、そのせいだと思う」

と母は答えた。


翌日。自分の昼休みに母のスマホへ電話を入れる。

…出ない。まだ病院に居るのだろうか?

大きな病院だ。検査を含めると午前中いっぱいはかかるかもしれない。そう自分を納得させた。


何度か自分のスマホを確認するが、折り返しの連絡はない。


夕方。あと一時間程で私の仕事も終わるという時間に母から連絡が入っているのを確認した。

「電話出来る?」

そんな母のメッセージに少しだけ心がざわついた。


母の病名は「進行性膵臓癌」ステージ4。

膵臓癌は遠隔転移をしている場合は、手術適応外だ。

残された治療は抗がん剤のみ。


母は治療はしなくて良いと言った。


私はどうしても、それを受け入れられなかった。


医師だって、治療を勧める。前日まで仕事をしていた母だ。体力もあるだろうからという医師の説明だった。


私は母を説得した。まだ母と離れたくない。

母はまだ若い。私は母の生命力に賭けたかった。


結局、母は病名を告知されてから約二ヶ月半でこの世を去った。


抗がん剤の治療は思った以上に母の体力を奪った。

どんどんと弱っていく母に、医師もこれ以上の治療は無理だと判断した。


母は生前から、延命治療を拒否していたので、私は母の意志を尊重した。


ホスピスへ移る時間はないので、この病院で緩和治療をしましょうと言う医師の言葉に、私は仕事を休む決意をした。

個室に移った母に付き添えるように。


家には犬と猫がいたので、その世話と夜寝る時以外は母と病室にいた。


母が入院する前に「怖くないか」と私は尋ねた。

母は「死ぬのは怖くない。夜眠って、目が覚めないだけだ」と言った。

心残りはあるかと尋ねれば「最後にもう1度ディズニーランドへ行きたかった」と母は言った。

その時の私は完治はなくても、きっとまた元気になってくれると信じていたから、

「行けるよ。また一緒に行こう」と約束した。

その約束を果たす事が出来なかった事が、今でも私の心に澱のように沈んでいる。


母はいつも

「あなたに迷惑をかけたくない」

そう言っていた。

「認知になっても良い、寝たきりになっても良い、だから長生きして」と言う私に、

「それは嫌だ」

と言っていた。

母が亡くなった今、こんな時まで有言実行でなくても良いのに……と頑固な母に苦笑してしまう。


母が亡くなってから初めての春、仏壇に桜を飾った。

「今年の桜は見れるのかな?」

正月に一旦家に外泊した時の母の言葉。

大きな桜ではないけれど、少しでも喜んでくれたら良いと思った。亡くなった母に私が出来る事など限られている。

治療をした事が良かったのか、悪かったのか……。正直今でもわからない。

けど、どちらを選んでも、きっと後悔していただろう。

ドラえもんの『もしもボックス』がない限り、『もしもこうしていたら……』の世界を覗き見る事は出来ない。

一生、私には正解がわからないままだ。


母はシングルマザーで私を育ててくれた。物凄く苦労をしたと思う。

私はあまり親孝行な娘じゃなかった。


母は本を読むのが大好きだった。それは私にも受け継がれている。

私に「いつの日かミステリー小説を書いてみたい。実はもうトリックも考えてるあるの」

と少し恥ずかしそうに言った母を覚えている。

なんでも器用にこなす母の事だ、私は

「いつの日か小説家としてデビューしたりしてね」

と笑った。


私が本を出版した事を天国の母は喜んでくれているだろうか?

ミステリー……ではなく恋愛小説なのは予想外かもしれない。

「孝行したい時分に親はなし」

出来れば私の本を読んで貰いたかった。出版を一緒に祝いたかった。そして感想を聞きたかった。


私の本は母の仏壇に置いている。

これからも頑張るから、見守ってて欲しいとそう思う。


母が誇れる自分で居たい。

大好きな母に「自慢の娘だ」と思って貰える自分で居たい。


私はこれからも小説を書き続けようと思う。

しかし、なかなか筆が進まないのが目下の悩みだ。


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