3 呪術士vs魔道士
「一体どうなっているの!?」
少女が怒鳴り込んできたのは、二度目に少女が訪れた日の五日後のことだった。
「芽夢は相変わらずいつもニコニコして人気者で幸せそうで、呪いを受けてる様子がまったくないんだけど!」
「おまえの調子はどうだ」
「私の調子って何よ!」
「前に来たときは悪いことがいろいろ起こっていると言ってただろう」
「それはこの頃は・・・・・・ないけど」
「夜は眠れているか」
「眠れる・・・・・・けど」
「呪いたい気持が弱まってるな」
「は?」
「呪いはあくまでもおまえの呪いたい気持を利用するものだ。強く呪いを願えば、その分おまえに呪いが呼び込まれておまえに悪いことが起こる。おまえの調子がいいということは、おまえの中で呪う気持が薄まっているということだ。だから呪いが発動しない」
何食わぬ顔で説明をする魔道士を、少女はまじまじと見た。
「芽夢に呪いがかからないのは私のせいだって言うの?」
「そうだ」
「はじめからあなたは何もしてない。何もする気がない。そういうことじゃないの?」
少女は訊ねた。
すると魔道士はその顔にうっすらと笑みを浮かべながら、
「どうだろうな」と曖昧に答えた。
そこでようやく少女も理解した。
自分はだまされていたのだ、と。
「芽夢のカバとか言わせたり、わけのわかんないことノートに書かせたり、眠れない時はどうとか、てきとうなことばっかり言って人のことからかってたのね」
「あれらはそれなりに有用なライフハックだ。俺はやったことがないが」
こどものような童顔のくせに。平気で嘘をつき開き直る、狡猾な大人。
それが魔道士雷夜の正体。
「ーーっ」
少女は思わず、出されていたお茶のグラスを掴んで魔道士に向かって投げつけた。が、グラスは魔道士にぶつかる前にぴたりと空中で動きを止め、まるで少女を嘲笑うかのような慇懃さでその中身を一滴もこぼすことなく、ことん、とテーブル上に戻った。
「・・・・・・お金、返しなさいよ」
やり場のない怒りに身を震わせながら少女は言った。
「あれは前金だ。気に入らない結果だとしても返す謂われはない」
魔道士はしゃあしゃあと言う。
「何もせずに三百万って・・・・・・大人として恥ずかしくないの?」
「さあな。悪いが俺も自転車操業なんで、実を言うと返したくても返せないんだ」
「最低ね」
「言っておくが俺だけじゃない。前に言っただろう。『究極の、最高の呪いというのは、誰にもそれが呪いのせいだとはわからないものだ』と。俺は呪術について門外漢だったが、調べてみてわかった。『呪術』は実態のないまやかしだ。『呪い』なんてものはない」
「じゃあ『呪術士』っていう職業が存在しているのはどういうことなのよ」
「信じたい奴は信じる。そうして金を払う。おまえのようにな」
「だけど実際に効いたって話も・・・・・・」
「それは偶然だ。呪いなんて存在しない」
「・・・・・・詐欺だわ」
「そうかもな」
「あなたのこと、『悪徳魔道士』って言われてるって聞いたけど、違ったみたいね」
「ん?」
「『悪徳魔道士』じゃない。単なる詐欺師よ。詐欺師雷夜!みんなに言いふらしてやる!役立たずの、恥知らずの、最低の、最悪の、詐欺師だって、言いまくってやるから!」
そうまくしたてると、少女は小屋を飛び出して行った。
魔道士雷夜はふう、と息をついた。
「ご苦労なことですね」
雷夜は顔を上げた。
にいっと笑った形の目がなぜか妙に不気味な印象の、灰色の服を着た痩せこけた男が、少女の去った室内にいつの間にか立っている。
「何もわかっていない愚かな娘。自分が救われたとも知らず」
「おまえは誰だ?」
「ああ、申し遅れました。私は是無良。呪術士是無良」
「・・・・・・何の用だ?」
「このところ、様子をうかがっていたのですよ。どうもおかしいと思って。自分で言うのもなんですが、私は業界でトップクラスの呪術士なんです。あなたこの前、あの娘に言ってましたね。究極の、最高の呪いというのは、誰にもそれが呪いのせいだとはわからないものだ、と。あれはまったくそのとおりですよ」
「『情報空間』におまえが書いていたことの受け売りだからな」
「おお、私の拙い記録を読んでくれたとは。まったくもって光栄の極みだ!」
「・・・・・・おまえはこうも書いていただろう。『小さな干渉を加えることで運命の道筋を誘導し、分岐点を次第に減らして思い通りの場所に追い込んでいく。ひとつひとつの干渉は、ほとんど罪のない、たわいないものだ。けれどもその積み重ねによって、最終的に標的は自ら死を選ばされる』」
「よく読んでくださっていますね!」
「あれは本当か?」
「もちろんですよ!呪術とは、魔力によって『因果の糸』を読み取り、他者の運命を操作する術です。精神操作、思念誘導、もちろん現実にちょっとした小細工を加えることもありますが、私は直接的なことは決してやらない。『死ね』という声を送り込むなんて三流のやることですよ。本人が自殺を選ぶように仕向ける、まるで精巧なパズルのようにそこまで持って行くのが私のやり方です。今回は特に念を入れていた。なのに」
「・・・・・・他の呪術士があの子の依頼を受けなかったのは、おまえの標的だと知っていたからか?」
「ええ。そもそもあの娘が『呪い』に興味を持つよう仕向けたのは私ですからね。あなたもご存知のように、『呪い』に興味を持つことは、自らに『呪い』を呼び込む強力な下地となる。だが実際に他の呪術士が依頼を受けてしまったら面倒だ。それを避けるために、今回はあらかじめここらの呪術士には『宣言』をしていました」
「『宣言』?」
「こういう依頼を受ける、と宣言することですよ。
呪いと呪い返しの応酬、呪い合戦はある意味この業界を支える収益源だが、案件によってはそれを避けたい場合もある。そういう場合は『宣言』をするんです。口止め料を支払った上で依頼情報を開示し、その代わりに制約を課す。
『標的』ーー今回で言えばあの娘、からの依頼を受けることの禁止。あの娘に呪術的に関わることの禁止。あの娘が呪いの標的とされていることの口外の禁止、など。『制約』を破るとかなり強力な呪いが行くんで、それを破ろうとする者はまずいない。
が、まさか、あなたのところに行くよう勧める呪術士がいるとはね。十三歳の女の子が自殺を選ばされるのが、どうしても見過ごせなかったんでしょうか。余計なことは言わずただあなたのところに行くよう勧めるだけなら、確かに『制約』を破ったことにはならない。あなたが何も気づかない可能性だって大いにあった。気づいたとしても何もしない、できない可能性もあった。しかしあなたは気づき、対処した」
「・・・・・・殺人は犯罪だ。死への直接関与が証明されたら、呪術士だって捕まるはずだが」
「直接関与が証明されれば、ですよ。『因果の糸』の感知方法も操作手段も呪術者によって千差万別、呪術においては誰が何をやったのか、滅多なことではわかりません。一流の技ならなおさらのこと」
「そういうものか」
「そういうものです。しらばっくれないでください。あなたも何かしたくせに。『因果の糸』を見出して、私の操作をねじ曲げた。私があの娘の精神に与えた影響を、ほとんど無効化してしまった。それどころか、依頼主まで突き止めて、呪いの元となる思念まで役に立たなくしてしまった」
「彼女の兄は依頼を取り下げたか?」
「取り下げましたよ。腹違いの恵まれた妹が死ねば金と両親の愛情がすべて自分のところに来る、数ヶ月かけて私がそう信じ込ませたというのに。『自分の道は自分で切り開く。俺はやっぱり理髪師になる』と言ってね。たかが鋏一本と妹のぎこちない言葉で・・・・・・。でも、まだ混乱の中にあると私は踏んでいますけどね」
「おまえはまだ諦めていないのか?」
「もちろんですよ。この案件にどれだけの時間と労力をかけたと思っているんですか。ここに来たのも他でもない、あなたに相談を持ちかけるためですよ魔道士雷夜」
「俺に?」
「制約違反すれすれであなたを紹介した見ず知らずの呪術士の思いを、あなたは汲み取った。娘自身は別の依頼のつもりだったが、ともかく金も支払われた。だからあなたは娘の呪いをそらしてやった。けれど、腹は立たなかったですか?役立たず、詐欺師だ、と罵られて。救ってやったのに、恩を仇で返すようなことを言われて。一流と名高い魔道士であるあなたが、なぜあんな小娘に見当違いな批判をされなければいけないのか?」
「・・・・・・『呪いを受けている』という情報自体が呪いになりえるし、『呪いを信じない』ことが呪いへの対処には一番効果的だ。本人は何も知らないのだから仕方がない」
「あなたはそうやって自分は間違っていないと自分に言い聞かせて、なんとか理不尽を飲み込もうとしていますね。けれどわだかまりはあるはずだ。『そもそもなぜ、自分にあの娘を救う必要があったのか?』あなたは三百万をすでに使い込んだと言っていたが、あなたにとっては三百万などはした金でしょう。だったら金を返してやる、そう言って、呪いを刻み返してやればよかったのに。なぜそうしなかったんですか?」
「なぜって・・・・・・」
「尊大で恩知らずな、甘やかされた金持ちのわがまま娘。・・・・・・知っていますよ?あなたが結構な苦労人であることは。そうして孤児や、貧しいこどもに心を砕いていることも。
・・・・・・あの子が浪費することになる金が、あの子の兄のものになれば、その方が社会にとっていい結果になるとは思いませんか?私は自分の利益だけを考えてこの案件に尽力したのではありませんよ。私は社会正義というものを常に考えている。呪術の世界は因果の世界。悪は報いを受ける、それが基本の理。この社会をいい方向に導きたいと、いつも考えて私は行動しているんです」
「つまりおまえは、あの娘への呪いをやり直す気でいるんだな」
「ええ。協力していただけるなら、成功報酬の一部をあなたに差し上げます。三百万とは桁が二つ違う額です。子どもだからかわいそう?いえいえ、数年経てばあの子はあのまま大人になる。何の苦労もなく、高慢で狭量で恩知らずのまま大人になる。ああいう人間が金と権力を持っているのは、社会にとって害悪です」
「・・・・・・相手に気づかれない程度に弱く思念誘導の魔術を発動しながら、標的の元々持っている感情をうまく利用し会話を通じて目的の方向に持って行く。それが一流の呪術士のやり方だ。おまえはそう書いていたな」
「ふふ。術をかけられることは、プライドが許しませんか?ですがあなたはさまざまなことをなさる魔道士で、私はこの道一筋の呪術士だ。思念誘導はこちらの方がプロなんですから、私の術にはまったからと言って、何らあなたの恥ではありませんよ。
それに私はただ、あなたの元々持っている感情をよりよい方向に導こうとしているだけ。
魔道士雷夜、感情を殺すのは心身にとってよくないことですよ。大人げない、なんて考えていてはストレスが溜まる一方だ。あなたはもっと素直になっていい。自分の感情を否定しなくていい。本当は腹が立っているのでしょう?あの娘が呪いで死ねば、今あなたが見て見ぬふりをしようとしている怒りは晴れる。その上金も手に入る。莫大な資産は社会にとってよりよく活用される。いいことしかない」
「俺は何をすればいいんだ?」
「とっても愉しいことですよ。あの悪の娘をぎゃふんと言わせるんです。まずはあの娘の当初の依頼どおり、芽夢・Aに小さな呪いをかける。何かわかりやすい結果を出して、あの娘にあなたの力を知らしめる。おそらく娘は驚いて、あなたの元を再び訪れるでしょう。そうしたらあなたは真実をすべて伝えてやるんです。本当はあの娘をおそろしい呪いから救ってやっていたこと。それなのにあの娘は恩知らずの言動をしたのだということ。だからあの娘は報いを受けるのだということ。今更何をしてももう遅いのだということ。すべてぶちまけ、絶望させる。泣いて謝っても許さない。それだけの下地を整えてもらえれば、仕上げは私がやります。悪い話じゃないでしょう?だってあなたは確かに腹を立てていた」
「そうだな。確かに俺は腹を立てていた」
「怒りを晴らす特効薬は、悪を叩きのめすことですよ」
「そうだな。そうすれば、すっきりするだろうな」
「はは!なら交渉成立ですね。どれ、ちょっとあの娘の現在の『因果の糸』を見てみましょう」
呪術士は自分の懐から黒い水晶を取り出すと、ふうっと息を吹きかけた。
しばらくして、もう一度同じことを繰り返す。眉をひそめると、呪符を取り出してくるりと筒状にして咥え、息を吹き込む。見る間にその顔色が変わる。
「何だこれは・・・・・・」
呪術士は焦ったように別の呪符を取り出して丸め、息を吹きかけた。枯れ木のようなその手が、ブルブルと震えている。
「なぜ。まさか、こんな」
「どうした?」
「ほとんど見えない。『触れる』ことができない。一体どうしたというんだ。『因果の糸』がこんな遠い・・・・・・なぜ。こんな」
呪術士は黒い水晶を撫で回し、ふうふうと息を吹く。
「おかしい。あの娘だけじゃない。そんな馬鹿な。私はどうなってしまったんだ。こんなことあるはずが」
「・・・・・・呪術というのは、なかなか興味深いものだな」
焦る呪術士を眺めながら、魔道士雷夜は言った。
「究極の、最高の呪いというのは、誰にもそれが呪いのせいだとはわからないものなのだろう?」
真っ青になっている呪術士は、はっと顔を上げた。
「まさか。魔道士雷夜。まさかあなたが、何かしたと言うんですか?」
「おまえはこれまでたくさんの標的を自殺に追い込んできたのだろう?」
「な、だから何だというのです。報いだと言いたいのですか?」
「おまえがそう思うならそうなんじゃないか?」
「馬鹿な。そんな。今さらですよ。私がこれまで何年呪術士をやってきたと思っているんですか。どれだけの呪いをはね返して来たと思っているんですか。最高の呪術士たる私が、そんな呪いに今さら引っかかるわけがありません!」
「標的を自殺に追い込む罪悪感が長年蓄積されて、その重みに耐えきれなくなったんじゃないか?」
「そ、そんなでっちあげで私を操ろうとしても無駄ですよ。私は正義のためにやってきたんだ。罪悪感などあろうはずが」
「良心の痛みをおまえは見て見ぬふりをしてきた。だが限界が来て、おまえの心はおまえの能力を封じたんだ」
「き、決めつけたことを言うな魔道士雷夜!この呪術士是無良に限って、そんなことはあるはずがないんだ。そんな」
呪術士は何枚も呪符を取り出して、次々に試す。
黒い水晶をこすりまわり、最後にはとうとう癇癪を起こして床に叩きつけた。
水晶は粉々になり、床に散らばった。
「長年使っていた水晶を砕いたことで、おまえがもう一生呪術士に戻れないことは決定的になったな」
「だまれ魔道士。水晶などまた買えばいい話。呪いのことばを私に吐くなど無駄なことだ。私を誰だと」
「さっきまではかすかに見えていた『因果の糸』も、もう完全に見えないだろう。おまえの能力は、完全に、永遠に失われた」
「だまれ。この私をそんな言葉で縛れると思うな。こんなのは一時的な不調だ。すぐに解決する問題だ」
「おまえは呪術士として終わりだ」
「だまれ。一体何を。何をどうやって。何をして」
「俺は何もしていない。おまえが生み出した呪いのエネルギーがおまえに返っただけの話だ。呪術の世界は因果の世界。悪は報いを受ける、のだろう?呪いのことは、おまえが一番よくわかっているはずだ」
「わ、私は悪ではない。私は社会のために、正義のために・・・・・・」
「正義を決めるのはおまえじゃない。それから・・・・・・そうだな。悪いが俺は、ちょっとすっきりした」
そう言うと、魔道士雷夜は部屋を出て行った。
呪術士は水晶のかけらと何枚もの呪符が散らばる床にうずくまったまま、なおもブツブツと何事かを呟き続けていた。
「珈琲でも飲むか?」
奥から魔道士は声をかけた。
呪術士は、返事をしなかった。