2 呪いの神髄
※虫が苦手な方には、少し嫌な描写があるかもしれません。
半信半疑な顔をしながらも少女が帰っていったのを確認すると、雷夜は地下にある自室へと降りた。
狭い空間の壁はほとんどすべてが棚になっており、古い魔術書、ノート、紙の束、護符、岩石や宝石、羽根や薬草の入った箱、液体の入った瓶、置物や魔具などが、ある部分はやけにきっちりと整理され、ある部分はひどく雑多な状態でひしめいている。
その棚に囲まれた真ん中に四角い椅子とサイドテーブルが一つ置いてあり、雷夜はその椅子に腰を下ろした。端末と呼ばれる媒介の石を手に取ると、情報空間にアクセスする。空中に浮かび上がる文字を読みながら、手をかざして必要な内容により深く入っていく。
呪術士のネットワークに入る際には認証を求められたが、魔道士資格で入ることができた。
(ふうん)
確認したかった情報を見つけしばらく熱心に読んでいたが、程なく空間を払うと、雷夜は立ち上がって本の並ぶ棚を目で追った。
「呪術大全」「呪い事例集」を手に取ると、一冊をサイドテーブルに置き、一冊をめくり始める。
しばらくすると、別方向の棚に行き、奥の方から箱を引っ張り出した。
豆粒大から卵大くらいのさまざまな色と形の石が、その中に入っている。
雷夜はしばし吟味してから、色の違う三つの石を選び出し、椅子に戻った。空中にそれらを放り投げ、魔術によってそれらを浮遊させたまま、もう片方の手で空中に手をかざし、弦楽器をつま弾くような指の動きをし始めた。
夜になり、帰ってきた妹の竜菜が晩ご飯を作り雷夜を呼んだ。
しかし雷夜は部屋を出なかった。三つの浮かんだ石はそれぞれの内部で渦をまくようにさまざまな色の変化を見せていたが、魔道士雷夜にはそれ以上のものが視えていた。
耳を澄まし、匂いを嗅ぎ、皮膚の表面、そしてそれ以外の感覚も総動員して、雷夜は「それ」を辿り、精査し、操作した。
一睡もせず、夜明けになっても、雷夜はそれを続けていた。
「一体どうなっているの?」
少女が怒鳴り込んできたのは、はじめに彼女が来てから三日後のことだった。
「芽夢は相変わらず男の子とも仲がよくて絶好調で変なことも何一つ起こってなさそうで、なのに私は鳥のフンが頭に落ちてきたり風で転がってきた空き缶で転びそうになったり夜眠れなかったり悪いことばかりよ。一体どうなってるのよ!」
少女はまくしたてたが、魔道士は平然としていた。
「それぐらいは想定内だ」
「なんでよ。相手よりもこっちの方が被害が大きいわ」
「呪いをかけようとすると呪いが呼び込まれやすくなると言っただろう」
「そんなの割に合わないわ」
「そういうものだ」
「呪いはちゃんとかけてくれたんでしょうね?」
「ああ」
「どんな呪いをかけたのよ?」
少女の問いに、魔道士は逆に訊ねた。
「『呪いの神髄』というのを知っているか?」
「しんずい?」
「相手の身体の一部や持ち物、相手に見立てた人形に力を加えて危害を加えるような直接的なのは、呪いとしては低級だそうだ」
「だそうだ・・・って」
「正直に言うと、俺は呪術については基礎的なことしか知らなかった。はっきり言って門外漢だ」
「そうなの!?」
「だが呪術は魔術の一種ではある。それなりに習得したから大丈夫だ」
「ほんとに?」
「ああ。それで『呪いの神髄』についてだが、究極の、最高の呪いというのは、誰にもそれが呪いのせいだとはわからないものだ」
「ちょっと意味がわからない」
「『風が吹けば桶屋が儲かる』と言うだろう。『呪術』というのは、物事の因果を見極めて、その因果に干渉する魔術のことだ。風を起こして桶屋を儲けさせたとしても、大半の人間からはその因果は見えない。術者がその因果に干渉したことを誰にも悟られない、それがよりハイレベルな術者のやり方だ」
「ハイレベルだろうと低レベルだろうとどっちでもいいけど、結果を出してくれないと困るわよ」
「もちろんだ。それより、さっき眠れないと言ったな」
「ええ。何でかわからないけれど、なかなか寝つけない」
「じゃあ眠りやすくなる術をかけてやろう。綺麗な青空を思い浮かべてみろ」
「なによ突然」
「いいから思い浮かべるんだ」
「・・・・・・うん」
「それで今度眠れないと思ったら、その青空の下で湖の上の小舟に乗ってゆらゆら揺れている想像をする」
「何なの?」
「そういう術だ。いいか、今度眠れなかったらそれを思い出して、眠れるまで続けること。うまく行かなかったら一度全身に力を入れてから息を吐いてやり直してみる。それから」
「まだあるの?」
「おまえには、腹違いの兄がいるだろう」
「え?・・・・・・うん」
「その兄に、これを渡せ」
そう言いながら魔道士雷夜が取り出したのは、皮のケースに入った高級そうな銀の鋏だった。少女はいぶかしげな顔をした。
「なにそれ」
「呪いのために必要なことだ」
「それ言ったら何でも言うこと聞くと思ってない?意味がわからないんだけど」
「因果に作用するために必要なことだ。一見無関係と思われることも因果に関わる。・・・・・・兄のことは嫌いか?」
「私は別に嫌いじゃないけど。けど」
「けど?」
「向こうが嫌ってると思う」
「おまえはどうなんだ?」
「どうって・・・・嫌われてるから、あんまり・・・・・・」
「鋏を渡す場合、刃先は自分に向ける。それは知ってるな?」
「馬鹿にしないでくれる?」
「この鋏は人を傷つけるためのものではない。人のためにあるものだ。これをある人に、渡せと頼まれた。そう言って渡せばいい」
「意味わかんないんだけど」
「ただ、そう言って渡せばいいんだ。わかったな?」
「どうしても?」
「ああ。これを渡せれば、呪いは成功も同然だ」
「わかった・・・・・・」
その晩、テーブルで向かい合ってシチューを口にしている時だった。
妹の竜菜は言った。
「お兄ちゃん、なんか疲れてる?」
一緒に暮らしている竜菜は、雷夜の変化に敏感であった。
「そう見えるか?」
「なんかまたキツい依頼受けてるの?」
「いや、そういうわけじゃない」
「・・・・・・なんでちょっと嬉しそうなの?」
「俺が疲れている。ように見える。それはうまくいっているということだ」
「・・・・・・どういうこと?」
その時部屋の明かりが点滅したかと思うと、突然消えた。
「ええっ。前に電球交換したのいつだっけ」
焦る竜菜の前で、雷夜はとりあえず「光球」の呪文を唱え、光の球を空中に放り投げた。それで部屋の明るさを保ち、そのまま二人とも食事を続ける。
が、ふいに何かが部屋に飛び込んできたかと思うと、ボシャン、と雷夜のシチューに落下した。
魔術の明かりに寄せられる虫・・・・・・厳密には魔物に分類される蛾の一種が、「光球」に突っ込もうとして弾かれて、雷夜の皿に浮かんでいる。
「いやあああっ。や、お兄ちゃん、それ」
竜菜は悲鳴を上げた。
蛾はまだ生きていたので、雷夜は匙の柄でシチューの中から取り出し、風の術で身体を払ってやってから外に逃がした。
さすがにその残りのシチューは捨て、皿と匙を洗ってから、鍋に残っていたシチューをよそう。
何事もなかったように席に戻り食べ始めた雷夜を、竜菜は気味悪そうな顔で見ていた。
「・・・・・・お兄ちゃん」
「ん?」
「落ち着いてるのはいいけど」
その時、外は雨が降ってきたらしかった。
これまでは大丈夫だったのだが、ちょうどその瞬間に屋根に限界が来たのか、雨漏りした滴が落下し、雷夜の顔をしたたった。
「・・・・・・なんでちょっと嬉しそうなの?」
竜菜に問われながら、雷夜は天井を見上げた。魔術を使ってとりあえずの修復をしながら言った。
「呪いが俺に向かっている」
「え?」
「うまくいってる。成功だ」
竜菜は顔をしかめた。