この先、なにがあろうとも。
★
「くっそ……」
Cランク冒険者――ボドルス・グイーガは、己の不運を嘆いていた。
――こんなはずではなかった。
大猪グリモ。
Dランクに相当する魔物で、危険度はさして高くない。自分なら余裕でこなせる依頼だと踏んで、意気揚々とギルドを出た。
それが間違いだった。
グリモなどどこにもいない。
どこをどう探しても一向に見当たらない。
さすがに堪忍袋の緒が切れかけた頃、背後からの不意打ちに遭ったのだ。姿形までは確認できていないが、あれは間違いなく魔物。人間の姿はしていなかった。
最初から拉致が目的だったのか。
もしくは偶然事件に巻き込まれただけか。
どちらにしろ不運であることに変わりはない。
この依頼さえ受けなければ、こんなことには……
「ぐっ……くそ! 出せ! ここから解放しろ!」
精一杯もがくが、両手両足に縛りつく手錠はびくともしない。俺が暴れても微動だにしないとなると、特殊な細工でも施されているのだろう。どんなに足掻いても、俺は鉄のベッドから一センチたりとも動けなかった。
「ケッケッケ。いいねえ。ずいぶんと活きのいい人間だ」
老いたゴブリンが醜い笑みを浮かべる。一丁前に片目だけ眼鏡をかけていて、頭脳派でも気取っているのか。
「て、てめぇ……! いったい、なにが目的だ!」
ぎろりと睨みつけるが、しかしゴブリンはヘラヘラ笑うのみ。
「まぁまぁ。どうせおまえは死ぬんだ。だったらせめて安らかに逝ってはどうかね」
「ちっ……ふざけんなよ……!」
俺は死なない。
まだ死にたくない。
港町ルーネ。
そこに居を構えてから数年が経つ。子どもにも女房にも逃げられ、心機一転、新しい気持ちで越してきた。
喧嘩っ早い俺でも続くかどうか、当初は不安だった。
けれど――港町では、想像以上に平和な日々を過ごすことができた。こんな俺が、である。
そりゃちょっとしたトラブルはあったよ。
けど、片腕を失うとか、死にかけるとか、危ない目には一切遭わなかった。
最初は単なる幸運だと思っていた。あのクラージとかいう間抜けが仕事をミスったおかげで、不慮に出没した大型の魔物と鉢合わせることがなくなったんだ。それも一回どころではない。何回もだ。
当初はそれこそ単なる幸運だと思っていた。
だが――奴がいなくなってから、ギルド内は不思議と慌ただしくなった。異様に少なかった負傷者が、平均通りの数を叩き出すようになったのである。
……まさか俺、あいつに守られてたわけじゃねえよな。
そこまで考えて、ボドルスはふっと笑みをこぼす。
ありえない。ありえるわけがない。
死の恐怖で、きっと頭がいっちまったんだ。
俺の幸運も終わる。
せめて最期くらい、クソうぜえ女房に会いたかった……
「ケッケッケ。諦めたか、人間」
ゴブリンが棍棒を掲げながら、またも醜悪な笑みを浮かべる。
「うるせーな。やるならとっととやれよ。俺は逃げも隠れもしねえ」
「ケケ。そうかそうか。――では、喜んでそうしようかねぇ!」
さらばだ。
メルリル、ケシィ。
クソうぜえ女とガキだったが、おまえらと出会えて、ちったあ楽しかったぜ――
と。
それはあまりに突然だった。
甲高い鐘の音が、けたたましく響きわたったのである。
「な……! し、侵入者じゃと……!?」
棍棒を振りかぶっていたゴブリンがぴたりと動きを止める。
「くっ、この場所がバレたのか……!? ええい、こうしてはいられん!!」
そしてぶつぶつ独り言を呟きながら、別室へと去っていくではないか。
あとにはボドルスだけが残された。
「た、助かったのか……?」
目を瞬かせながら呟く。
――また幸運?
いや。
「まさかおまえじゃないよな……クラージ……」
★
「ほ、ほんとに良かったの? C」
戸惑いの表情を浮かべながら、アルルが聞いてくる。
「ああ。構わない。これで敵の集中は私たちに向けられただろう」
アストリア樹海。
そこに鬱蒼と生い茂る雑草。
これがカモフラージュになっていた。
近くにあった大樹の、ある四点を叩くことで、茂みのなかから階段が出現したのである。これならたしかに気づかれる心配はまずない。
そして出入り口付近にうろついている怪しげなコウモリを、僕は問答無用で排除するよう指示を出した。
アルルはちょっと怪訝そうだったものの、素直にコウモリを撃破し――
思惑通り、洞窟内に鐘の音が大きく鳴り響いた。侵入者の来襲を示す警報音だ。
「……なるほどね」
ネーシャはこの状況においても平然と腕を組みながら、きわめて冷静に口を開いた。
「これで敵は私たちの存在に気づいた。――そんな危険を犯してでも、やりたいことがあったのね?」
「ああ……。そういうことだ」
ボドルス。
未来予知の効果が届かない二日後以降、やっぱり危険な目に遭ってしまったようだ。
だけど……僕が来たからには。
決して、誰も死なせやしない……!
「すまない。二人には危険な目に遭わせてしまうが……」
「なに言ってんのよ。それくらい覚悟の上だわ」
とネーシャ。
「ま、Cの自己犠牲っぷりは昔からだしね」
アルルも覚悟を決めた表情で言う。
「頑張るわよ。この先、なにがあろうとも……!」