僕がいる限り、誰も死なせはしない。
★
アルルはパンを持ってきていた。
おそらく宿の売店で買ってきたのだろう。さまざまな種類のパンが、袋のなかに納められていた。
僕はベッドをアルルに譲り、自分はテーブル席に座る。
「……申し訳ないけど、僕はもう食べられないよ。居酒屋でけっこう食べたし」
「あら。そうなの」
アルルが目を丸くする。
まあ、僕は同年代と比べても小食だ。驚かれるのも仕方はないが。
ブォォォォオオオン……と。
窓の外から、魔導車の走行音が聞こえる。
街の喧噪。
たなびく風の音。
そして――昔とはかなり変わってしまったけれど、見覚えのある町並み。
この雰囲気が、僕は嫌いじゃなかった。
「やっぱりね」
「へ……?」
唐突に語り出したアルルに、僕はきょとんとする。
「だってクラージ、ときどき懐かしそうな顔するんだもの。昔なにかあったのかな……って」
「はは……そういうことか」
鋭い人だ。
さすがはSランク冒険者……いや、そこは関係ないか。
「だから気になったのよ。……か、彼女とかいるのかなぁって」
「いやいや。いないよそんな人」
僕は苦笑を浮かべつつ、窓の風景を見やりながら、ぼそりと呟く。
「この街にはよく遊びにきたんだ。――亡くなった親友が住んでいた街だからね」
「あ……」
アルルが切なそうに表情を引き締める。
その表情は、やはりいままで会った誰よりも優しくて。
だから僕は、自分の過去を話すことにいささかの抵抗もなかった。
――いまでも思い起こされる。
当時から魔術において才覚を表していた彼は、《ナーロット魔術学園》に通っていた。
……僕はまあ、なにもできなかったから、村の小さな《学び屋》で勉強していたけどね。
それでも、彼は唯一にして大好きな親友だった。
離れ離れになっても、僕への態度を変えることはなかったから。
「その、えっと……」
アルルは視線をさまよわせ、迷いつつも口を開く。
「聞いてもいいかしら……? その、昔のこと」
「うん……いいよ」
本当は好んでするような話じゃない。
けれど、アルルになら――特に抵抗もなく、話すことができそうだった。
「彼とは幼なじみだった。生まれ故郷が一緒で、家も近くて……だから、一緒に遊ぶことも多かったんだ」
ユージェス・レノア。
それが彼の名だった。
――はは、未来予知だって? すげえじゃねえか――
突然現れた《未来予知》というスキルを、彼だけは受け入れてくれて。
だから嬉しくて。
学び屋のみんなは僕を気味悪がっていたのに、彼だけは違ったんだ。
「そっか……」
アルルが目を伏せて言う。
「たったひとりの理解者……って感じだったのね」
「そう。かなりエロくて、女性には目がなくて、下ネタ大好きだったけど……いい人だったよ」
「そ、そう……」
アルルの目がちょっと引いた。
「そんなとき、僕はあるものを視てしまったんだ」
ユージェスは孤児だった。
身寄りはいない。
山奥で捨てられていた彼を、親切な老夫婦が拾ってくれたのだ。
事件当日、ユージェスはその老夫婦に会いにいく予定だった――
「僕だって信じたくなかった。その未来を否定したかった。けれど」
僕は目を伏せ、震える声で呟いた。両膝に置いた拳が、意図せぬうちに揺れてしまう。
「ユージェスは、拾ってくれた老夫婦に殺される……。そんな未来が、ありありと視えてしまったんだ」
「え……」
アルルが息を呑む。
「そんな……。どうして!」
「わからない。未来予知ではそこまで見通せなかった。聞いた話だと、なにか口論になったらしいけど……」
「口論……」
怒られるのはわかってた。
嫌われるのもわかってた。
彼は老夫婦にとても感謝していたから。
二人がいなければ、俺は今頃のたれ死んでいた――日頃からそんなふうに言っていたんだ。
――おいおい、馬鹿言うんじゃねえよ――
だから僕が彼の未来を告げたとき、ユージェスはなかば怒りながら言った。
――あの人たちが俺を殺すだって? さすがにねえだろ――
――で、でも、たしかに視えるんだ。僕のスキルで――
――はっ。ふざけんなよ――
あのとき、僕は殴ってでも彼を止めるべきだった。
その結果、もっと嫌われたなら仕方ない。
僕のどうでもいいプライドなんて、人命に比べれば安いもんだ。
「けど、僕はそれができなかった。結局は自分が可愛かったんだと思う。自分が傷ついてまで、誰かを助ける勇気がなかった……」
「そんな……」
「だから――決めたんだ。自分が傷ついてでも、せめて身近な誰かを守っていこうと……」
冒険者ギルドに就職したのはそのため。
僕には特化したステータスはない。
剣も魔法も扱えない。
だから、せめて。
ギルドの受付係となることで、死にゆく運命にある人を救うことができれば。
それならきっと、すこしは……天国にいるユージェスも喜んでくれると信じている。
たとえそれが、自分を傷つけることになろうとも……
「うん、できるよ」
そう微笑むアルルの笑顔は、やっぱり誰よりも綺麗で美しくて。
もし天使というものが存在するならば、きっと彼女のような人を指すのだろう。
「私も……できるだけ手伝うからさ。これからもどんどん頼ってよ」
「……ありがとう。僕なんかのために……」
「いいのよ、好きでやってるんだし」
「す、好きで……?」
「わ、わわわわ! いまのナシ!」
「いたっ!」
顔を真っ赤にしてビンタされた。
「な、なんて理不尽な……」
「ふんだ。クラージが悪いんです!」
ますますもって意味不明だ。
だが、そんなちょっとおてんばな彼女も、僕は嫌いじゃなかった。
窓から差し込む暖かな風が、僕たちを優しく包み込んだ。
★
翌日。
大樹の立ち並ぶ樹海を前に、僕らパーティーは立ち止まった。
「……本当に行くのね? クラージ……いえ、C」
「もちろんだ」
アルルの真剣きわまる表情に対し、僕はCを演じて答える。
「骸骨剣士、並びにゾンビたちは、遺体回収後、この樹海に入っていく予定だった。ここを叩けば、なにかしらの情報を掴めるだろう」
「へぇ……アストリア樹海。もう調べ尽くされた場所だと思うけど……未開の地があるというのね?」
「ああ……そういうことだ」
ネーシャの言葉に頷いた僕は、くるりと振り向き、二人のSランク冒険者を見渡す。
「間違いなく、かなりの激戦になることが予想される。いままでで一番きつい戦いになるだろう。それでも――絶対、生きて帰ろう」