第一部 小説を書くのに才能は要らない
話の核心からついていきましょう。
小説に限らず、芸術というものは得てして『才能論』の餌食になることが多いものです。ピカソも、ビートルズも、東野圭吾も伊坂幸太郎も、皆才能があってその道を歩んだのです。しかしながら、運動という分野ではどうでしょうか。モリは極めて運動神経が悪いため、その道には明るくないのですが、イチローを見たときに、「彼は才能だけで野球選手になった」と思う方がいらっしゃるのでしょうか。その影に、少なからず『努力』があった、とは思うのではないでしょうか。これはなかなか、芸術分野では起こらない発想です。小説に限って言えば、売れている作家は皆アイデアを生み出す才能があり、まるで神が舞い降りたかのように一心不乱にキーボードを叩いて、一瞬のうちに作品を生み出すのです。そしてそれはドラマチックな過程を経て、出版、そしてベストセラーという道に進みます。
ほんとうにそうでしょうか。
モリは間違いだと思っています。そもそも、『才能』などというものは存在しないのです。存在するとしたら、身体能力の差です。小説家でいえば、集中力の差とか、キーボードを打つ速度の差とかです。物語を生み出す能力、または書く能力に、『才能』などという夢のようなコンポーネントは存在しません。誰でも『何らかの(そしてここを強調するわけですが)』物語を生み出し、書き、そしてエタらないことはできるのです。そう、それはこれをお読みのあなたにも可能なことなのです。
ではどうすればよいのか、さっさと教えたまえ、と思われることでしょうから、次の部では早速小説の書き方について見ていきたいと思います。