第7話 前夜祭
蟻塚の最下層――つまり地上階であるが、その西と東にはそれぞれ石枠で造られた門がある。西門は外に設けられた機械馬の厩舎に直結しており、分厚い木製の扉に内側から閂が掛けられている為、住民以外は出入りが出来ない。それ故蟻塚と外とを繋ぐ、謂わば開かれた門というのは、大門と呼ばれる東の門だけであった。
「どうだいお客さん。こいつはゲの海で採れた白珊瑚の粉末だ。堆肥に混ぜても家畜に食わせても、最高の代物だぜ」
「開拓市で今流行りのデバイスゴーグルだよー。かけるだけで3キロ先まで見通せる、手間要らずの逸品だよー」
「お嬢さんお嬢さん! 見てごらんよ、この輝き! エイベルデン産の首飾りだ。ここで買わなきゃ損するよ!」
夕暮れ前、大門の内側。アイオドの樹を囲む広場は、行商達の露店と買物に降りてきた住民達とで賑わっていた。
明日は4年に一度、諸々の国々で守り神の加護を祝う『感謝の日』であり、良く言えば日々平穏、悪く言えば刺激の無いこの蟻塚で、唯一皆が心躍らせるイベントなのであった。
その雑踏の中で、商売人の喧騒に負けじとツキノが声を上げる。
「おーい、エリオーン!」
彼女はリフトから降りてきたエリオンを目敏く見つけると、小さく飛び跳ねながら手を振った。
「こっちこっち!」
その声に振り返ったエリオンが、人混みの中で上下する白い頭に向かって、器用に人混みを擦り抜けてくる。
「ごめんツキノ、お待たせ」
「ううん、私もさっき来たところなの。ドトさんは?」
「あとから来るよ。フェルマン先生と話があるんだって」
「ふぅん……」
会話をしながらどこかそわそわした様子のツキノが、ちらりと上目遣いでエリオンを見る。そこでようやくエリオンは、彼女が頭に付けたカチューシャに気が付いた。
「あ――それ……付けてくれたんだ」
「気付いた? どう、似合うかしら?」
「うん、凄く。か――」
「? ……か?」
言葉に詰まらせたエリオンに、ツキノが小首を傾げる。
(可愛い――と思う)
という心の声が口から出せずに彼が思わず顔を背けると、ツキノはそれを昨日の出来事に対する憂いであろうと捉えた。
「まだ気にしてるの? 昨日のこと」
「え? あ、いや――うん……まあ少しは」
「落ち込むことないわよ。魔法が使えなくたって、代わりにその殊能?とかっていうのが使えるってことでしょ?」
「それは――そうなんだけど……」
楽観的にはなれない、といった様子でエリオンは頭を掻く。結局彼は昨日、初めての魔法の実践練習でそれを発動させることが出来なかったのである。そしてそれを見たフェルマンは彼に言ったのであった――。
***
「エリオン。……ひょっとしたら君は、殊能者なのかもしれない」とフェルマン。
その台詞に「え?」と目を丸くするエリオン。
「僕が――ですか?」
「そうだ。あくまで可能性の話でしかないが、今の私には他に思い当たる節がない」
「何故……? グレイターは魔法を使えないんですか?」
「ああ。私もそれほど詳しくはないので推測を交えた形になってしまうが」と、フェルマンは慎重に前置きをして。
「グレイターは自分の血液中にある魔素――彼らは『血中NgL』と呼んでいるようだが、それと常に繋がっているらしい。それ故、新たに魔素との回線を開くことが出来ず、また自身の能力が常に命令待機状態である為に、その命令に割り込んで魔法を発動することも出来ない、という仕組みだ。恐らくね」
「は、はぁ……」と、惚けたような返事を漏らすエリオン。
「とにかく殊能者であるならば、残念だが君は魔法を使うことは出来ない。その代わり、魔法の知識も古代語の詠唱も必要とせずに、独自の超能力――つまり殊能を使うことが出来るはずだ」
***
(僕がグレイター……そう言われてもな)
エリオンは俯きがちに歩く。いかに博識なフェルマンの言葉と云えど、そもそも彼は自分にそのような力があるなどと、今まで一度足りとも感じたことはないのであった。
(それに――)と彼が思索に耽る前に、立ち話をしている二人組のオークの会話が聴こえる。その内容に、エリオンは思わず歩速を緩めた。
「おい聞いたか? 北の山に棲んでた人狼族が、グレイターに皆殺しにされたって話」
「ああ。行商隊でも奴らの亜人狩りの話題で持ちきりだぜ。何つったかな、あの軍隊――」
「『モリド』だよ。グレイターの中でもとびきりの能力者が集められた精鋭部隊って話だ。それを率いてるゼスクスって男は、悪魔の化身なんじゃねえかって噂だぜ」
「その名前なら俺も聞いたことがある。『黒面の死神』なんて呼ばれてるらしいな。ドワーフの里も焼かれたって話だし、トンデモねえ連中だぜ、グレイターってのはよ――」
徐々に遅くなるエリオンの歩みが止まり、彼の一歩先でツキノが振り返る。
「エリオン……」
「…………」
「気にすることないわよ。アナタは彼らとは違うんだから」
「うん……」
幼い頃から耳にしてきた彼らの噂は、いつも剣呑で血生臭いものばかりであった。特に亜人種に対する迫害は酷いらしく、エルフやドワーフ、またドトのようなオークなどが多くいるこの蟻塚では、殊能者は忌避の対象でしかなかった。
(ドトは知っているんだろうか……? 僕がグレイターだということを)
無論エリオンがドトの実子でないことは明らかであるが、それでも長年育ててきた息子が、亜人達を害する者の仲間であると知っているのならば――。
(なんで僕を……)
エリオンが暗い顔で沈んでいると、彼の背中をツキノが思い切り平手で叩いた。
「っ?!」
「もう、いつまでそんな顔してるのよ。いつだって真っ直ぐ前を向いてることだけがアナタの取り柄でしょ?」
「だけって……そりゃないよ」
眉毛をへの字に曲げて不服を申し立てるエリオンと、わざとらしく怒ってみせるツキノの瞳が合う――。そして数瞬の間をおいてから、二人の顔は同時に笑顔に変わった。
「悩み事は置いといて、今は楽しみましょ! 明日は『感謝の日』、今日はその前夜祭なんだから! ほら!」
そう言ってエリオンの手を引くツキノ。
落ち始めた夕陽に代わって、蟻塚の所々に飾り付けられたデバイス石の欠片達が、更に賑わう広場を煌々と照らし始めていた。