第5話 創元素
「それでは――」と二人の前に立ったフェルマンは、柔和な顔に笑みを浮かべたまま、軽く咳払いをしてから始めた。
「まず魔法を教える前に、君達はデバイスについて、もっと詳しく知っておくべきでしょう。――ツキノ、デバイス石とは何ですか?」
講師よろしくフェルマンが、教鞭代わりの短い杖で早速ツキノを指すと、彼女は姿勢良く座ったまま答える。
「はい。デバイス石は、世界の神であるルーラーが私達人間に創り与え給うた万物の素――つまり創元素が、無垢のまま塊になった物です。それは操作権限を使うことによって、いかなる物にでも変化させることが出来ます」
教科書を諳んじるようなツキノの淀みない回答に、フェルマンは満足そうに頷いてから小さな拍手を送った。
「流石はツキノだ、よく勉強しているね。でもその知識には、いくつか追加しておかなくてはならないことがあるね」
「――?」
「確かにデバイス石は、操作権限を持つ者であれば自由に変形させたり変質させたりすることが出来る。でもそれにはいくつかの制限がある」
「制限……。それって登録の儀の時に聴こえた声の――?」
「そうだね。君達はアイオドからこう言われたはずだ。『アクセス制限を一部解除』――と」
うんうんと頷くツキノの隣で、しかしエリオンは僅かに首を捻っていた。
(一部解除……? そうだったっけ?)
「その制限の1つ目は、石の持つ質量やエネルギーを上回る物は作れないということ。慣れずとも感覚的に解るとは思うが、小さな石から大きな壁を作ることは出来ない。そして2つ目は、一度作り上げた物を元の無垢な状態に戻すことは出来ない、ということ」
「だから貴重なんだ」とツキノ。
「そういうことだね。エリオンはよく知っているだろうが、元々デバイス石の採掘量はそれほど多くない。便利だからといって、無闇に使っていいものではないんだ。それに石は市の収入源でもある」
――乾燥地帯が多く農作物が育ち難い鉱山市ティルニヤでは、それを他の市国からの輸入によって賄っている。専らその交易に用いられるのが鉱山で採れるデバイス石であり、ティルニヤ唯一の優良資源物でもあった。
「そして最後に3つ目。これは君達には無縁の話かもしれないが――デバイス石で兵器を作ることは出来ない」
「兵器……」
そう呟いたツキノもこの情報は初耳であった。
「それは剣や槍のような物のことでしょうか?」とエリオン。
「いや。刃物や矢じりであれば作れる。そういうのは生活でも使うからね」
「じゃあ大砲や爆薬?」
「それも違う――私が云う兵器とは、もっと遥かに危険なものだ。街や国を滅ぼしてしまうような、人が持つべきでない強力な破壊兵器だよ」
「国を――? そんなものが存在するんですか?」
国家を滅ぼす武器など俄には想像し難いといった様子で、エリオンが驚きつつも興味を示した。
「あるとも。核爆弾やビーム砲、そして機甲巨人といった忌まわしい兵器がね。200年前の戦争では、実際にそれらが使われていたんだ」
「恐ろしいですね……」
エリオンとツキノは、それが行使される光景を思い描いて無意識に息を呑む。するとフェルマンがその空気を和ませるように、穏やかに微笑んでみせた。
「しかし心配することはない。今言った通り、デバイス石で新たに兵器を作ることは出来ないし、かつて存在していた物も回収されたからね」
するとその言葉に、ツキノが首を傾げて尋ねる。
「回収って、誰がですか?」
「インヴェルの民だよ」
「インヴェルの民……。それって、星を渡る種族のことですよね?」
「そうだね。君達は星船を見たことがあるかな? 彼らインヴェルの民は独自の技術を持っていて、その船で惑星を巡る旅をしているらしい。異種族との交流がほとんど無いため、私にも詳しいことは分からないが」
「そうなんだ……」と、感慨深く頷くエリオン。
彼は過去に何度かそれを見たことがあった。紙を折って作ったような巨大な船が、広大な空を悠然と進んでいく様は、遠目にも神々しく、そして世界の広さを感じさせるものであった。
(魔法、デバイス、機甲巨人、星の船――。世界はまだまだ、僕の知らないことばかりなんだな)
その事実は己の無知と無力さを痛感させると同時に、溢れ出る好奇心を一層掻き立てた。ツキノのご機嫌取りのつもりで来たエリオンであったが、いつの間にか彼の目と耳と心は、フェルマンの話に釘付けになっていたのであった。
「少し話が逸れてしまったね。では本題に入ろう」とフェルマン。
「――デバイスにはもう一つ、知るべき特徴がある。それは無垢のデバイスが石以外の状態でも存在している、ということだ。視えもしないし、触れもしない状態でね」
「??」と、揃って二人の頭に疑問符が浮かぶ。
「だが実は、デバイスというのはその状態で存在しているものの方が圧倒的に多いんだ。それこそどこにでも在る。――今私達がいるこの部屋にもね」
そう言われて辺りを見回すエリオンとツキノ。それを見てフェルマンが笑った。
「今言った通り、目で視えるものではないよ。――その状態のデバイスは『ダークマター』や『殊能量子』などとも呼ばれるが、私達魔法使いはそれを『魔素』と呼ぶ。そして特定の手続きに基づいて、魔素を物体やエネルギーに変える方法のことを『魔法』というんだ」
魔法をただ不思議な力としか捉えていなかったエリオンは、その説明で得心がいった様子で「へぇ」と頷いた。しかしそこでふと浮かんだ疑問を投げ掛ける。
「魔素を――その視えないデバイスを操作できるのは、魔法使いだけなんですか?」
するとフェルマンは首を横に振った。
「いや。魔法とは違う手段で、手続きを必要とせず、生まれながらにしてそれを操作出来る者もいる――超能力という特殊な権限を持った『殊能者』と呼ばれる者達が」
***
高速で回転するタイヤ。ホイールは剥き出しの骨。エンジン音に似た嘶きと砂煙を上げながら、乾いてひび割れた地面を疾走する機械馬の集団。それを駆るのは、鎧の様な黒いプロテクターと全身スーツを纏った兵士達である。
20人程の彼らは一様に、口元まで覆うバイザー付のヘッドギアを被り、背中には長方形の黒い銃を担いでいる。――ただ一人、先頭を走る者だけは、鷲の嘴の様な形をした真っ黒の仮面を付けており、銃の代わりに一振りの刀を背負っていた。
その仮面の男の耳元に、若い女性の通信音声が入る。
『ゼスクス大佐、間もなくティルニヤの国境を越えます』
「解った。東から森を抜ける。エイレ、貴様は先行してドローンを出せ」
『了解しました。住民が抵抗した場合はいかがなさいますか?』
「ターゲットは拘束しろ。それ以外は殺せ」
『……了解しました』
仮面の男が会話を終えると数騎の兵士が速度を上げ、集団から離脱して横に逸れていく。その彼らが向かう森の先には、天高く聳える高層集落――ぼんやりと空気の薄膜がかかった蟻塚の姿があった。