事故
天国に来て分かったことが2つある。
もう死んでしまっていること
そして生きる道が残されていること。
山と田んぼに囲まれた静かな場所に
旭山病院はある。
この町で唯一、24時間患者を対応している大きな総合病院だ。
設立されて40年、周りから信頼を得ている7階立ての病院には内科、外科の他に22ほどの診療科が存在して、たくさんの患者がここを訪れる。
高校3年の笠原優真は、高校の卒業式を12時に終え、記念写真を撮り、友人や先生と話し、このままどこかへ遊びに行く流れをやんわりと断って、制服のまま自転車に乗り、この病院にやってきた。
病院には、高校1年の秋からこうして学校を終えては、通い続けていた。通っている理由は、優真が病気という理由ではない。
120台止められる立体駐車場の一部を抜け、自転車置き場に自転車を止めて、病院内に入り、迷うことなくいつものようにエレベーターに乗り、5階に到着すると、病院内の静かな廊下を歩き、502の病室の扉を開けた。そこに優真が病院に通う理由があった。
それは、優真の弟である笠原明人だ。
二つ離れた弟の明人は、一人部屋の窓際の
ベッドの上で、眠っている。明人には、首に一本の傷跡。目の下に、泣きほくろがある。
優真と明人は、他の人から見ても兄弟だと納得できるほど、顔がとても似ている。
目が大きく、二人とも体はやせ形で、髪は母の遺伝で軽く自然なくせ毛のパーマがかかっていてわずかに茶色なのか特徴だ。
少し違う所と言えば、明人のほくろと傷跡以外で言うと輪郭で、父親似の明人は、ふっくらしていて、母親似の優真がしゅっとしていることぐらいだ。
明人はベッドで寝ている。安らかでも、苦しそうでもない姿で、2年間、目を覚まさない。
栄養補給のため、鼻から胃に挿入したチューブは、今でも優真に痛々しく映る。事故前の明人はひたすらにバスケットボールを追いかけていて、よく笑っていたのに、今は、目を閉じ何も言わず無表情なままだ。
心電図モニターを見るといつも通り動いている。
優真は、もう一度明人の顔を見ると、近くにあった背もたれのない椅子に座った。
明人の顔は、両親をも巻き込んだあの交通事故から思うと、また、少し痩せたように思っていた。
小学校高学年の時、体育の授業が楽しかったからという理由でずっと続けていたバスケ部の頃が優真の中で過る。ついていた筋肉は今は、なくなってしまった。
「卒業式、終わったよ」
学校からそのまま病院に来た優真は
制服の姿で
持っている卒業証書の入った筒を
目を閉じた明人に軽く見せた。
「就職先も決まったし、お前も頑張れよ。病院のお金もちゃんと稼ぐから心配するな」
顔を見ながら、そう言った。
優真は、4月から建設設備の施工管理職に
就くことが決まっていた。生前、父の勤めていた会社だ。同じ職種にしようとは、父の背中を見て、昔から決めていた。が、同じ会社で働くとは全く頭になかった。ある人に紹介してもらったことがきっかけで、父と同じ職場も良い話だと思い、今に至る。
心配するなと優真が話しかけても
明人から返事が、返ってくるわけもなく
自分の声だけが、病室に響いた。
「もう、2年になるんだよな」
あの日を思い出す。
優真以外を乗せた車が、交差点で他の車と衝突した。衝突してきた車の運転者は逃げて、捕まっていない。両親も失い、明人の首に大きな傷ができ、痛々しく横たわる姿を見たとき、悲しくて悔しくて泣いた。
この日は、不運にも優真の誕生日だった。
学校を終えた明人は、家で両親と合流して、予約していたケーキを取りに行き、帰る途中だった。優真の夕方のバイトを終えたあと、お祝いしてくれようとしたのだろう。その日泣いた後、優真は、決意した。
たった一人の家族の顔を見て。
“明人は、これから絶対俺が守る”
遠くから小さな足音が聞こえて
ふと、扉の方をみた。
502号室の横開きの扉は入ると自動的に閉まるので
外は見えないが、その足跡はだんだん近づいてきて
そっと、扉の前で止まった。
扉を開けたのは、白髪混じりの、白衣を着た背の高い男だ。
名前は、旭山侑李といい、今年41才になるこの病院の設立者の息子にあたる医師だ。つまり、この病院の今の院長が彼である。
父にあたる旭山隆二は、他界している。彼はその時に別の病院で勤務していたが、3ヶ月前、後を継ぐために、ここに戻ってきた。
落ち着いた物腰と優しそうな性格は、父親に似ており、腕も前の病院に勤めていた頃から知って今でも彼を頼って訪れる人から、初めて訪れる人まで評判がよい先生だ。
「あ、優真くん。来てたんだね」
「こんにちは」
椅子からそっと立ちあいさつをすると、彼は優しく笑った。
近くに来て、明人の顔をみるとこう言った。
「看護士の仕事だって言われちゃうこともあるけど、明人くんのこと、気になってこうして見に来ちゃうんだよね」
「ありがとうございます」
「いえいえ
また、担当外だって怒られないようにしよう」
そんなやりとりをしている所に
眼鏡をかけた年配の看護士が慌ててやってきて、旭山を見た。
「あ、先生!担当外だって言ってるのに…!
やっぱりここに…!探してたんです!ちょっと来ていただけますか?」
年配の看護士は少し怒りを露にしているが
それでも、それを飲み込み冷静に旭山先生を呼ぶ。
急患だろうか。
「分かった。ごめんね優真くん。またね!」
そう言うと、早足で病室を出ていった。
面白いところもあるが
その背中を見ていると、彼は勇ましい。
数えきれないほどの命を救っている人だ。
何より、明人のことを心配し、優真のこともいつも励ましてくれている。
優真は、自分も頑張らなきゃいけない気持ちになった。明人が、きっといつか目を覚ましたら、彼の父も含め、旭山先生に助けてもらったことを話そうと思った。
旭山が病室を出てから、優真はさっきの椅子に座り、明人に
今日あった出来事を、いつものように話しかける。
高校が終わったら必ずこうして病院に来ていたはずなのに最近は、授業や家のことで忙しかったため、一週間ぶりとなった。
もうすぐ新しく入る会社で研修が入ると
前のように、毎日は来れる機会もなくなり、回数も減ってしまうのだろうと優真は、寂しく思っていた。
旭山がいなくなり、30分ほどして家に帰ろうと思い、優真は立ち上がった。
「またな」
病室を出て、家に帰るためろうかを歩くと、反対方向から、優真の方向に向かって歩いていた一人の看護士と目があった。
「あら、優真くん」
「さちさん!」
優真は、笑った。
ほっとしたというのが、あるからかもしれない。さちは笑って軽く手を降る。彼女は、優真の歳の離れた親友なのだ。
「偉いね、卒業式の日にもちゃんとお見舞い来て」
「ちょっと、いろいろあって
毎日来てたのに、お見舞いに来る日が週一になってしまいました」
「あら、そんなの気にしてるの?大丈夫よ。弟さん嬉しいと思うよ!あ、今日行くよね?」
この看護士の名前は山村さち。
今年30才になる人で結婚もしている。
優真は、看護士であるさちを親友と思ったきっかけは、実は病院ではない。最初に出会った場所も、病院でない。
それが、今日いく?と聞いている場所にある。
その場所というのは、この病院の近くにある小さな空手道場だ。二人で同じ日に、週一で通っている。
「行きます。さちさんは?」
「この前、休んじゃったけど、今日は行けると思う。これ片付ければ仕事も終わりそうだし、この前みたいに残業にならないようにする!…また後でね」
「はい、また後で」
さちは優真にそう言うと、急いで通りすぎていった。忙しそうである。
さちは、明るくさっぱりした性格をしていて
優真はとても話しやすかった。
5年前から通う空手道場に入った時期も曜日も
たまたま同じだったこともあって、よく話し
年は離れているが、優真は親友のように思っていた。
優真の両親が交通事故にあった日、病院に運ばれたことを知り真っ先に連絡したのもさちだった。
その日以来慰められるように、さちの家に招待してもらい優真は何度か訪れた。
今は普通に遊びに行き旦那さんとも仲良くしてもらっていた。
さちは、現在夫の山村伸晃と二人暮らしである。
結婚はさちが16才、伸晃が20才のとき。飲食店のバイト先で知り合い、半年という短期間で結婚を決めた。
子どもは、結婚して10年間作らなかった。
それが、16という若いさちを嫁に出すさちの両親が出した「10年は子供を産まない」という条件に沿ってのことだった。
さちの両親は、もちろん子ども好きであったが、すぐ子どもを作り離婚しては敵わないと思ったらしい。それだけ、さちのことを幸せにできるのかと伸晃を疑っていたようだが、今まで喧嘩という喧嘩はなく離婚の「り」の字もないほど、仲がよかった。
27才の時ようやく生まれた子は、体が弱く1才でこの世を去ってしまった。だが、さちは泣かなかった。隣で少し涙ぐむ伸晃に「泣いたらきっと心配して天国にいけなくなる。泣かないの」と言い慰めていた。芯のある強い女性に優真は、心から尊敬していた。
「あ、優真くん」
はっとして少し離れた場所から呼ぶ、さちの声に優真は、振りかえる。
「はい」
「今日、話したいことあるの
道場終わったあと、時間ある?」
「え…?はい、ありますけど…」
「空けといて!……また後でね…!」
忙しそうなさちに頷き、背中を見送り
優真は、病院を後にした。
病院を出ると、近くに救急車が何台か停まっていて急患を運んでいた。
田舎の街に唯一存在する大きな旭山病院で、救急車が止まっているのは、よく見かける光景だが、何台か一気に止まっているのは希で今日は患者が多いのかもしれないと優真は思った。
旭山が呼ばれすぐ、病室から出てった理由も頷ける。さちは、また残業になるかもしれない。そうしたら、話は聞けないかもしれない。
話って何だろう?と、頭の中で思考を巡らせながら優真は、自転車に乗り、立体駐車場を抜け、学校とは反対の道を少し真っ直ぐ行き、左に曲がりまた、真っ直ぐ走る。
少し行った先に規模の大きな旅館や飲食店があるなかで、さらに真っ直ぐいくと、優真の住む一戸建ての家がある。二階建てであり、築40年になるが、リノベーションされていてとても綺麗である。
この家は、家族で住んでいたときから購入物件ではなく、賃貸契約をしていて、田舎であることと、駅から離れてることもあり、家賃も格安である。
新しい職場での研修を控え、卒業式の一ヶ月前に退職しているが、週3回の深夜の工事現場のバイトで、高校生の優真一人の生活は、十分成り立っていた。
明人の入院費も両親の残してくれたお金で、やっていけている。
自転車を止めて、家の鍵を開けて中に入った。
空手道場に持っていくものは、昨日のうちに鞄に入れて用意していた。
二階の自分の部屋に置いておいたので、階段を上る。
まだ、時間にまだ余裕があり、優真は少しベッド横になり休むことにした。
疲れていたのか2時間ほど、眠ってしまった。それでも空手道場に行く19時には、まだまだ時間に余裕があり、洗濯や掃除など、家のことをしていた。行くまでに自転車で10分の道のりなので、家を30分前に出れば少し余裕をもって間に合うと思い、その時間に間に合うように着替えて、鞄を持ち一階に下りた。
行こうとしたところで優真は、ふと足を止めた。
そこから見える右の部屋には8畳ほどの和室がある。
そこは、優真の父の笠原文久の部屋になっていた場所だ。
すっきりとした部屋には、幾つものトロフィーが飾ってある。
そのトロフィーは、文久が空手の大会でとったものだ。
優真に空手を習わせようと母、笠原英子に言い出したのも文久だ。
昔、文久は空手が、自分を救ってくれたのだと優真に話した。
詳細は話さなかったが、力じゃなく、心の方だと父は言った。
そして、温厚である程度のことは、口を言わないし、自由にさせてくれていた文久が、優真が中学一年の時、優真の意思選択もなしに突然言い出した。
"空手を習え。そしてどんなことがあっても、やめないでくれ"
そんな文久の言葉をトロフィーを眺めながら思い出していた。
「行こう」
優真は家をでて、鞄を籠にいれ、また自転車に乗った。
空手道場までの道のりは
さきほどの旭山病院と家の真ん中辺りの距離だ。実は、家から徒歩5分の場所に、優真が通う道場とは、別の空手道場が存在している。
けれど、少し離れたそのを選んだきっかけは、もちろん、文久の薦めだ。
彼の名前が森重和哉。文久の元同僚で、趣味で始めた方が楽しくなり、仕事はやめて、今の仕事には優真が通う1年ほど前についていた。
森重は、文久と歳も39才で同じである。そう、父の就職先を優真に紹介したのは、彼である。
森重は愛嬌のよさからなのか、今でも父の職場の人とは繋がっていたため、優真が文久と同じ職種に就くと知った時に、かけあってくれたのだ。
「優真くん、いらっしゃい」
教室に着くと、森重は、優真を見て優しく笑った。穏やかで心が広いところは、文久に似て、何故か少し重ねてしまうことがある。
「先、中入っててね。ちょっと取りに行きたいものがあるから、外に行ってくるよ」
と森重は、靴を履く。
「何取りに行くんですか?」
「優真くんに見せたいものなんだ」
「俺に?」
「そう、持ってくるつもりで、忘れてしまって。中で待っててね」
「分かりました」
見せたいものとは、何だろうと思いつつも
時間がまだ、あいていたので優真は中に入り準備運動をして一人練習をして、森重を待つことにした。森重は、10分ほどで戻ってきた。
「ごめん。優真くん、持ってきたよ。これ」
「…これは、アルバム?」
青色の無地のアルバムを受けとる
中を開けると
桜をバックに森重と文久が写っていた。
花見の最中だと、思われる。
「昔のアルバムがでてきてね、
ぜひ優真くんに見てもらいたいと思って」
と森重は笑った。
アルバムは、会社の中でとった写っている写真があった。
だいたいが森重と文久が微笑んでいる写真だ。
とても仲が良かったことが読み取れる。
「ありがとうございます」
文久と過ごした色々な思いも頭によぎりながら、楽しそうに映る、写真を優真はゆっくりと見た。優真は、アルバムを読み終えると少し心が温かくなった。
「良かったら持っていく?」
と聞いてくれた。
「いいんですか?」
「もちろん」
と、森重は頷いてくれた。
優真は、文久の写真をあまり持っていなかったので、そう言われとても嬉しかった。
文久がこんな風に笑っている姿は、日常ではあっても写真では顔が強ばってしまい、写真でこんなにも残っていたことも、嬉しく感じた。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
そこへ優真の近くに、誰かやって来たのが分かった。
「さちさん」
「残業まぬがれた…何これ?」
顔をあげると、さちがアルバムを覗きこんでいた。
何故だろう。
元気がなさそうに、見えた。
そういえば、さっき病院ですれ違ったときも
旦那さんとご飯を一緒にしたときの
いつもの笑っているさちじゃなかったことを、この時に優真は思った。
今日は、病院から出るとき急患が多そうだったし、疲れているのかもしれないと、心配になった。
「…アルバムだ。優真くんの?」
それでも、声のトーンはいつも通りに聞こえる。
「あ…今、先生が持ってきてくれて
先生の家から出てきたみたいで…お父さんの写真があるアルバム」
「え…?みたい!え…?森重先生、優真くんのお父さんの知り合いなんですか?」
森重を見て、さちは話しかける
「はい。昔の同僚なんです」
「同僚…?ということは、先生も昔のお仕事は」
「施工管理の仕事をしていました」
「へぇ…!知らなかったな…」
森重はそこでふと、時計をみた。
「そろそろ時間ですね。始めましょうか」
「…さちさん、大丈夫ですか?」
「え…?何が…?」
「何か疲れてますよね?」
「…そうなの。でも体力的にじゃないよ。
後で愚痴るから」
「仕事で何かあったんですか?」
「よーし!やるぞー!やりましょう先生!」
「さちさん?」
「あはは。そうしましょう」
他の生徒も集まり、いつのまにか始まる時間になっていた。
いつものように稽古しているさちの姿は、さっきと変わり、楽しそうにやる姿に優真はほっとした。
でも、たまに少し考え込む姿があり、ずっとヤル気満々ないつものさちと今日は、違っていた。
そんなさちの姿を気にしながら、優真も稽古に集中するといつの間にか時間が過ぎてあっという間に終わった。
体を動かし暑くなって疲れたので、道場の縁に座って休んでいた。
それは、いつもの流れ。
優真は座って休むついでに今日の稽古を頭で振り返りながら、頑張った余韻にひたり、家に帰る。さちは、家庭のことがあり、稽古のあとで約束してない日は、だいたい優真にさらっとあいさつして、さっさと帰るのが流れではあるが、今日はさちは、さっさと帰らず優真の隣に座った。
そこへ森重が来て
「優真くん、戸締まりよろしく」
と、声をかけてきた。これは、いつもの流れ。
本当は、生徒なら道場の鍵を閉めるためにすぐに帰っていくのが、優真には特別に鍵を閉め、優真の帰り道にある森重の家のポストにそれを入れることを条件に残ることを許されていた。そのことは、さちも知っている。
「あれ?今日は、山村さんも残るの?」
「はい。たまには私にもここに残るの許可してください」
「あはは。そうだね。優真くんの友達なら、特別に」
「ありがとうございます」
他の生徒はみな、帰る支度をしている最中だ。
その生徒を全員見送った後
森重はそのまま鞄を持ち、玄関を出ていった。
生徒全員出ていくと、一気に静かになった。
二人きりになる。
さちは、少し黙っていた。
優真は、そっとさちの顔をみる。少し遠くを見るさちの顔は、道場が始まる前に戻ってしまっていた。
「さちさん。話って何でしたか?」
「………」
「さちさん」
「あ…ごめん」
長い呼吸をおいて、さちは、優真の顔を見て言った。
「優真くん」
「はい」
「言っておきたいことがあるの」
「…言っておきたいこと?」
「あの、旭山先生のことなんだけど」
「旭山先生?」
そう聞くと、さちは優真と目をそらし、少し黙りこんだ。旭山の名前が出てくるとは思わず、優真は、少し目を丸くする。
「旭山先生が…どうしたんですか?」
「…なんかね、様子がおかしいの」
さちが真剣な顔をしてこちらをみた。
「様子…?」
「旭山先生、最近、明人くんの病室行ってるの。よく、来るでしょ?」
「ああ…最近、よく会います。でも、それが何で様子がおかしいんですか?」
「…ひっかかるんだよね。やたら行ってるの。」
「それは、診察してくれてるとかじゃなくてですか?」
「んー違うと思うんだよね。
あいつの行動は。あ、先生あいつ呼ばわりしちゃった。何て説明したらいいんだろう?」
さちは、言葉を探し何かを伝えようとしているが、見つからなかったようで、困った顔をした。
「確証はないんだけど、とにかくすごく、やな予感がするの」
「嫌な予感?」
「やたら明人くんの病室に入ってるのがね、何かずっとひっかかってるの。そりゃ、診察することはあるけど数が多いような…?」
「うーん?」
「旭山先生が3ヶ月前に別の病院から来てから、気になってはいたのよね。明人くんの病室で一人で“笠原明人”って患者のフルネーム読んだりして。前から知ってたみたいな感じだった。」
「知り合い?…旭山先生とは、3ヶ月前、先生がこの病院で初めてだと、思いますよ。旭山先生が前、勤めていたところもここから、離れていて面識なんてないと…」
「今日言ってたの。”やっと終わる“って」
「終わる?」
「怪しいでしょ?私、やっぱり今日病院これから戻ろう。うん、決めた!」
「勤務終わったのに、ですか?」
「…優真くん行かない?病院に」
「病院って…面会…しにいくってことですか?だって、時間過ぎてますよ」
「こっそり行けば大丈夫よ」
「こっそり…?怒られますよ。俺また面会時間に会いに行きますから」
「だめなの。今日じゃないと…!あいつ何するか…!!」
「ええ?」
「あ、また先生あいつって言った。だめね。感情高ぶるとすぐ口が悪くなるのよね、私」
「…それは、知ってます」
「あ…言ったな?…じゃなくてとにかく、優真くんにもこの違和感をわかってほしいの……大丈夫。今の時間なら、今日のシフトの配置状況なら侵入できるはず!行こう!」
さちさんは、そういうと立ち上がった。
優真は、立ち上がらず座ったまま、話しかける。
「今の時間に俺なんていれたら、誰かに怒られますよ」
「いい、別に」
さちは、さらっとそう言い、頷く。
「本当に、どうしたんですか?文句言いながらもルールはいつもしっかり守る、さちさんらしくないですよ」
「文句いいながらは、余計よ。ねえお願い、優真くん!一生のお願いでいいから…行こう?」
さちは、優真の手を引っ張った。
優真は、訳もわからずに立ち上がる。
「一生のお願い…!ね?」
「…分かりました」
「本当…?よし!車に乗ろう!
あ、道場の鍵返すのよね。先に行こう」
いつもと様子の違うさちを不思議に思いながらも空手道場を後にして、さちについていくことにして、さちの車に乗った。
鍵を森重のポストに返し、夜の病院に着くと
優真はさちの運転する車から降りた。
優真の自転車は、空手道場に置いてきた。
病院の駐車場は、昼間と同じように救急車が止まっていた。
運び込まれたあとのようだ。
さちはつけていた腕時計をみた。
「…よし、優真くん、こっち。走って」
言われた通りにさちの後をついていき音をたてないように、走った。
エレベーターに乗りこむ。
扉がしまったところでほっと息をはき
さちは、明人のいる5階のボタンを押した。
ボタンを押したところで優真も息をはく。
「何もないといいけど」
「さちさん、本当に大丈夫なんですか?」
「あ、着いた。あ、渡した帽子被っててね!」
さちは、先に降りてはっとしたように向こう側をみた。
そして優真にそっと小声で話しかけた。
「自然に通りすぎて」
「え?」
「先いってて、すぐ追いかける」
向こうからやってきたのは
昼間にあった年配の看護士だ。
「あら、山村さん。どうしたの」
さちは、にこっとして
その看護士のもとへ走っていった。
「あ、主任。あの、忘れ物してしまって」
「そうなの?あれ…?」
と、主任は優真をみている。
優真は慌てて帽子を被った。
そして、その二人を会釈して何も言わずに通りすぎる。
「物わかりがよくてたすかるわ」
「え…?」
「いや、ええと。
あの人新しく入った掃除の人なんですよ。
今から勤務で、制服着替えるみたいですよ。
とても物わかりがいい人なんです。助かりますよね。
そうだ主任。明日の会議なんですけど…聞きたいことあって、いいですか?」
「え…?いいけど…」
主任は、優真の姿を少し追ったが、
前に、この時間帯に人が欲しいと嘆いていた清掃係を知っていたので、話にすぐ納得し怪しむことなく、さちのほうに目を向けた。
二人の話す声を背中にし、
気づかれないように優真は、早足を押さえ、怪しまれないようあえて、ゆっくりと歩き
曲がり角を曲がったとき、思わず座り込んだ。
いつもは聞こえない心臓の音がやたらにうるさく感じた。
「危ない…心臓がもたない
こんなに緊張するのか」
でも、明人の病室はすぐそこである。
静かな廊下は夜になるとさらに静まり返っていた。足音が響かないようそっと、明人の病室に近づいた。やっとの思いでたどり着き、辺りを見回し、意を決して扉をそっと開ける。
面会時間以外の明人に会うのは、もちろん初めてだ。静かに扉をしめると、誰もいるはずのない病室。部屋の電気はもちろん消えている。
明人のベッド付近は窓から入る外からの街灯に照らされていた。
明人の近くにある、あの背もたれのない椅子に、誰かいるのが分かってすぐに屈んで扉付近の光の入らない縁に息を潜めた。
こんな時間に誰だろう
ここからは、影になりよく見えない。
けど、椅子に座っている人物は、明人を見ていた。電気もつけずに、そこにいた。
じっと目を凝らしていると、その人物の着ている白衣がみえて、ようやく分かった。
暗闇のなかで、病室の違和感にも気づき、優真はそっと立ち上がる。なにかが違う。
でも、その正体は、はっきり分からない。いや、分かってはいたのだろうが、理解するのに時間がかかってしまっていた。
「優真くん…?」
いつも以上に静かな病室は夜のせいではなかった。
片方の手に何か握られている。
ふと、明人の心電図モニターが、完全に消えていた。
「明人……?」
思わず近寄った。
手を握ると、かなり冷たくなっていた。
優真の頭の中に一瞬、笑顔の明人がよぎった。
「つい、先ほど亡くなりました」
椅子に座っていた旭山は、落ち着いた口調で話した。
「亡くなった…?」
「はい」
「先生、その右手のは…?」
握られているのは明人の命を繋いでいた点滴のチューブだ。
「ああ、しまった握ってた」
「先生…?」
「優真くん、この病院にはね毎日たくさんの患者がくるんだよ
こんな田舎に病院を立てたせいで、みんながここを頼ってくる。
病室がたりないんだ。君の弟はもう、2年もここにいる。いい加減部屋を開けてくれてもいいだろ」
「何いってるんだ…?」
「ずっと気が気じゃなかったんだよね。明人くんに、会ったときから。だって、一緒に死んでると思ったから。いつか目を覚ましたら、覚えてるかもしれない。あの事件の犯人の顔」
「…え?」
「こうしたって、いっしょだ。
こいつが生きたければ、あの世で命を奪ってくるだろ。青い光の人物が現れるまで、待って。そして、あのルートを通ってこれば元に戻れる」
旭山が何をいっているのか理解できなかった。
優真は慌ててナースコールを押した。
「無駄だよ。死んでるっていっただろ
そして、それを僕がやったという証拠もみつからない」
「お前…!」
優真は旭山の胸ぐらを掴んだ。
その時、どくんと心臓の音がした。
その音ははっきりと聞こえ、優真は急に立てなくなった。
旭山の手に、ナイフが握られていた。
「また、金を積んで事件を帳消しにしてもらわなきゃならないな」
朦朧とする意識のなかで、旭山の声がする。
「さよなら、優真くん」
そこでふっと、優真の意識はなくなった。
少し寒さを感じて、声が遠くのほうでしている。
「…ちゃん!」
上手く聞き取れず、耳を済ます。
真っ白な景色の中で声だけする。
「起きて…!起きて…!」
声はやがて、大きくはっきり聞こえた。
「お兄ちゃん…!」
その声ではっと目が覚める。
「え…?」
さっきまで夜だったはずなのに、雲に太陽が覆われてはいるが、明るくて周りがよく見え不信感を抱く。
起き上がると、病院はなく、みたことない景色が広がる。
「痛っ…」
地面を見ると枯れ果てていて、建物の破片らしきもの、大きめの石が、ごろごろ転がっている。道は塗装されていない。
辺りは広く、閑散としている。遠くには山がみえるが、土砂災害の後のように感じる。
広い道の両側には、一階建ての古びた同じような家がいくつも道に沿って並んでいた。
家の扉は、鉄製で不気味な緑色だ。
何故か一軒一軒の入り口の近くには束になった薪が置いてある。
家は連なっているが、その隙間には、僅かに細い道があるのも分かった。
「どこ…?何なんだ…?」
建物はあるが、戦争でも起きたような、その風景に、優真は不安を感じる。
辺りをもう一度見回して、優真はある一点を見つめ、固まった。
そこには、明人がいる。
鼻からチューブをつけ、無表情で話さないはずの明人が、何もつけず普通に立っている。
「明人…?」
名前を呼ぶと明人は、胸を手で少し押さえるようにしてため息をつく。
「良かった…!見つからないと思った…
初めはここにくるって噂は本当だったんだ…」
「噂…?ところで明人、ここどこなの?病院は…?お前、大丈夫なの?」
そう聞くと、明人は優真の手を握り、言った。
「兄ちゃん、よく聞いてね」
「え…?」
「ここは天国なんだよ」
「て…?天国…?」
「そう。さっき、病院で旭山に殺されかかったけど、あの後、さちさんが来てくれて、助けてくれたんだ。俺と兄ちゃんのこと」
「え…?」
「俺は、もうすぐ2年ぶりに目を覚ませることになった。2年間、俺はこの世界と現実をさ迷ってた。けど、何があったか知ってる。兄ちゃん、俺に話してくれてたし、見えないところでさちさんのことや、旭山の話も、聞いてた」
「明人、何言ってるんだ?」
「兄ちゃん、旭山先生は、犯人なんだ
あの日、兄ちゃんの誕生日に起きた事故は、旭山なんだ。俺、顔見たんだ。でも、あいつは俺もあの事故で死んだと思ってたみたいで。だから、3か月前、あいつが赴任してきたときマークされて…」
「明人、何言ってるんだ?」
「兄ちゃん、自分の腕、見て」
「腕…?」
ふと、地面を見たそのときに自分の腕をみた。
腕の内側の中央部に五百円玉ほどの青い光がある。あきらかにそこにあり剥がそうと触ってみるが、触れられず普通に腕をさわっている感覚と同じだ。
「何なんだ…これ?」
「兄ちゃん、兄ちゃんは生存者なんだ」
「せいぞんしゃ…?」
「そう。その光が証拠。兄ちゃんが天国に来たのは、間違いだったってこと。神様の間違いで
まだ、寿命があったのにもかかわらず、天国にきたんだ。さっき生存者が現れたって聞いて、兄ちゃんの名前が出てきたから、慌てて探したよ」
「はぁ…?もう全然わかんないよ」
混乱する優真に、明人は少し苦しそうな表情を浮かべ、何度も頷く。
「分かってる。でも、聞いて兄ちゃん。俺には、もう時間がなくて先に戻らなきゃならない。生存者は、ルートを辿らないと元の世界には戻れない。兄ちゃんは、これから腕の青い光を奪われないようにルートを辿って、現実世界に戻ってくるんだ。兄ちゃんの腕の青い光は一度兄ちゃんが、この世界、つまり天国で心停止すると、相手のものになって二度と光も戻らないし、元の世界にも戻れない。旭山はとんでもないやつだから、あの事件を金で解決しようとしてる。俺は現実で待ってるから」
「はぁ…?どういうことだよ?!」
「案内人が、兄ちゃんのとこにくる。
向こうは記憶がないけど、兄ちゃんも知ってる人だよ。必ず、戻ってきて。待ってるからね」
そう言うと、突然優真の目の前から明人の姿は消えた。
「明人…?明人…!…どこいったんだよ」
辺りを見回しながら
優真は、ふと、自分の腹部を見る。
「俺…刺されなかったっけ。旭山に」
何もなっていない。
「大丈夫かい?」
ふと、声がして振り向くと高校生くらいの青年が、にこやかにたっていた。
「え…?」
「君、今搬送されてきたんだ?」
「搬送?」
「死んで天国に来たって、話だよ」
「はぁ…?」
「まあ、分からないよね。
でも、そんなことはどうでもいいんだ」
ふと風が吹いた。
「その青い光り…生存者だね?」
「生存者?」
すると、青年の周りに突然竜巻のような風が起きた。
その竜巻は青年の合図と共に優真の方へきた。
体が浮きあっという間に遠くに飛ばされて地面に叩き打った。
「うっ…」
かなりの痛みが走って動けずにいると
青年は優真の前までやってきた。
「なんだ。死ぬかと思ったのに
まあ、でも次で終わりかな」
また青年の周りに竜巻がきた。
あれほどの竜巻なのに青年はびくともせずに立っている。
「生存者にあえるなんて、ラッキー
これで生き返れる」
青年はそういい、また合図を送ると
また優真は遠くに飛ばされ、地面に強く体を打ち付けた。
「はぁ…はぁ…なんなんだよ…」
息がしにくい。
「あれ、意外にしぶといんだな」
一体、何が起きているのだろう。
あの青年は…?
これは…何だと、優真は頭の中が混乱していた。
「次で、本当に終わり」
そう青年が言ったタイミングを逃さなかった。
竜巻がくるタイミングで、必死の思いで立ち上がって
優真は建物の細道へ走って、その一角に入った。大きな竜巻により相手にはそれが見えてなかったようだ。
「どこいきやがった」
青年は優真を見失い、慌てて違う道へと走っていった。
「なに…一体」
優真はお腹を押さえて、呼吸をしていた。
上手く息が入ってこない。
「竜巻…?」
しばらく辺りを見回して
人がいないことを確認すると
下を向いた。
この方が呼吸がしやすい。
「どうなってるんだ…?」
遠くの方になったが、さっきの竜巻のような音がする。よく状況は分からないが、見つかったら、殺されるのだろうかと優真は思う。
何とか座っていられたのに、だんだんとそれも出来なくなってきて、横になる。
逃げなきゃいけないのに、動けない。
何が起きた…?
明人はどこへ…?さちさんや旭山先生を探さないと、と思うけど動けない。
その中ですぐに誰かが優真の目の前にたっていることに気づいた。
優真は苦しそうに横たわりながら、恐る恐る目線だけなんとかあげた。
「見つけた」
そう言われ、驚いたが声はさきほどの青年ではなかった。
髪の長いきれいな顔の女性がそこにいた。
「誰…?」
怪我をして横たわる優真の前にたち
彼女は無表情だった。
「私はハル。あなたが笠原優真、ね?」
「…何で、名前知ってるんだ?」
優真は、苦しそうにそう訪ねた。けど、ハルと名乗る彼女は安堵のため息をついた。
「…大分探したの。よかった。あの子、時間ないって慌てて先にいっちゃうから」
ハルは優真のお腹に手を当てた。
今度こそ、殺されるのだろうと優真は思った。
抵抗できないため、ただハルを見る。
ハルの手からオレンジ色の光がでてきて、急に優真の体が暖かくなった。
最初はかなり痛かったが徐々に痛みが感じなくなった。傷もなくなった。呼吸も楽になる。不思議な力だった。
「どうなってるんだ…?」
「これで、大丈夫」
ハルは続ける。
「明人から話は聞いたわ」
「明人…?」
突然のことで、頭が混乱した。
いや、さっきから混乱しているが、理解できず優真はもう言葉が出なかった。
オレンジの光が消えると
ハルは、無表情のまま立ち上がった。
「生存者、笠原優真」
「え…?」
「私が必ずあなたを元の世界に戻します」
それを聞き、さらに混乱する優真と違い
ハルの表情は変わらなかった。