倉庫のおまじない
とある場所の倉庫の中。
一人の青年と一人の少女が、手と足を縛られた状態で隅の方に座っていた。
突然、四人の男達に捕まり、車に乗せられてここまで連れて来られていた。つまり「誘拐」。
「何でこんなことに・・・」
高坂サイキはそう言って今の状況を悲観していた。
その出来事は、数時間前に起こった。
―――少し寒くなってきたな
大学から駅までの道のりを歩くサイキは、勉強で長時間座り続けてクタクタになっていた。
辺りは少し薄暗く、自習のために図書館に残っていたサイキ以外の生徒達は、既に帰宅しており、同じ道を歩く人影は見られなかった。
―――春って過ごしやすそうな季節だと思ったけど、暖かくなったり、寒くなったりと、結構過ごし難い季節だなぁ・・・
ふと神社へ続くはずの道のりから、一人の少女が走って出てきた。
少女は相当走っていたようで、膝に手をついて荒い呼吸をしている。その両手には、怪我人のごとく包帯が巻かれていた。
どうやらこちらの存在に気が付いたようで、顔を向けるが、サイキからは影っていて少女の顔がよく見えない。
―――何だ?
サイキは一瞬立ち止まるが、気にせず少女を通り過ぎて駅への道を歩き始めた。
少し心が痛むような気もしたが、最近のこういうものには関わらないほうがいいと彼は考えていた。事案にされてはたまったものではない。しかし、足音が後ろから聞こえてくる。それも走っているような感じだ。
サイキが振り返ろうとすると、先ほどの少女が走ってサイキを追い抜かしていく姿が映った。
だが後ろからの足音はそれだけで終わらない。三人の男達が少女を追いかけて行った。
そしてサイキの視界から誰も居なくなるが、彼の頭の中は、嫌な予感が巡っていた。
居ても立っても居られず、サイキは少女と男達の去って行った方向へと向かう。
―――あれは!
サイキが見たのは、少女が男達に無理やり車へと押し込まれる様子だった。
「何やってんだ!」
叫び声を上げたサイキの頭の中は真っ白になり、男の一人に体当たりをする。男が倒れ込むが、他の男達がサイキに襲い掛かった。
一人の男の拳がサイキ目掛けて飛んでくる。紙一重で拳を躱し、教科書の詰まった重いカバンで男の顔を殴りつけた。しかし別の男に背後へ回り込まれ、振り向いたときは既に遅かった。
「手間かけやがって! 馬鹿が!」
重い衝撃がサイキを襲い、やがてゆっくりと意識が薄れていった。
そして今に至る。
「いってぇ・・・」
頭に再び痛みが走る。
―――クソッ! あいつら、思い切り殴りやがって・・・
痛む頭を摩ろうと手を動かそうにも、両手両足縛られていて、動くことさえ出来なかった。
もがいていると隣の少女の肩にぶつかる。
「あ、ごめん・・・」
「・・・」
―――やっぱりこの子も捕まったのか・・・
「少し訊きたいことがあるんだけどいいかな?」
「・・・」
少女は何も答えない。こちらの声が聞こえているのかも怪しいほど、微動だにしなかった。
「どうして君はあいつらに狙われていたの?」
「・・・」
「あいつらのこと知っているの?」
「・・・」
「てか、ここどこなの?」
「・・・」
「あのー、助けにきたんだけどさ、助けてくれない?」
「・・・」
やはり少女は何も答えない。もはや口が利けるのかも怪しくなってきた。
「これからどうすっかなぁ・・・」
「・・・どうしてわたしを助けたの?」
少女は小さくそう答えた。
「何だ、ちゃんと口あるじゃん。ていうか、どうしてって言われてもなぁ」
「理由もないのに私を助けたの?」
「助ける前に一々理由なんか考えてられるか。助けた後に考えればいいんだよ」
暗くてあまり顔は見えないが、少女がクスッと笑ったような声が聞こえた。
「それにまだ、理由を考えるには早過ぎる」
「そうだね」
―――なんかこの子、余裕そうに見えるのは気のせいか?
少女が少し楽しそうな声で言う。
「さっき助けてほしいって言ったよね?」
「え、うん」
「お兄さんを助けてあげるよ」
―――は?
「そ、そりゃ助けてほしいって言ったけどさ・・・」
「わたしの名前はノゾミ。お兄さんの名前は何て言うの? 苗字じゃなくて、名前を教えて」
「僕? 僕はサイキ」
「サイキ。わたしがあなたを助けたら、今度はわたしがあなたを助けた理由を聞いてくれる?」
―――へ?
ノゾミという少女は、縄をいつの間にか解いていて、どこからか携帯を取り出す。それを少し操作した後、「よし」と一言呟いた。
「何をしたんだ?」
サイキが訊くと、ノゾミは一言だけ言う。
「おまじない」
直後、倉庫の扉が荒々しく開く。倉庫の中に入って来たのは、サイキとノゾミを誘拐した男達の一人だった。
男が二人に近づくと、その場にしゃがみ込む。
「全く、お前は依頼の対象外だっていうのに、どうしてくれんだよ。処理に困るじゃねえか」
男はサイキにそう言うとタバコに火をつける。
「依頼って誰からなんだ?」
サイキは男にそう訊くと、男は鼻で笑った。
「知ってどうするんだ? 折角生きて帰れるかもしれないのに、わざわざ藪から蛇を出すこともないだろ」
『生きて帰れる』という言葉に、サイキは無意識にも、心が少し落ち着いたように感じた。しかし、すぐさま罪悪感がサイキの中に渦巻いた。
―――いや、違うだろ! 僕は何のためにこの子を助けようとしたんだ! ここまで来たらこの子も無事じゃないと意味がない!
「この子はどうなる?」
そう声に出てしまっていた。男がギロッとサイキを睨み付ける。
「あ? お前、このガキの知り合いか?」
「違う」
「じゃあ別にいいじゃねえか! このガキがどうなろうがお前には関係ねえだろ? お前は生かして帰してやるからよ。大人しくそこでジッとしてろ」
サイキは俯いたまま言う。
「質問に答えろ! この子はどうなるって聞いてんだ!」
ピクっと男の動きが一瞬止まった。
「そんなに死にてえのか」
男はサイキの腹を蹴り飛ばす。
「うぐっ・・・」
サイキはうずくまり、痛みと強烈な吐き気を感じるが、何とか嘔吐せずに我慢する。だが直後、こみ上がってきた内容物が気管の付近で渦巻き、咳き込んだ。
そんなサイキの胸倉を掴んで、男は顔を数発殴りつけた。
「調子に乗るんじゃねえ! 生きて帰れるって聞いてテンション上がっちまったか? 別に今ここでお前を殺しても構わねえんだよ!」
殴られ続け、意識が朦朧としているサイキを無理やり起こして男は続けた。
「そんなに知りたきゃ教えてやるよ。こういう依頼ってのはな、依頼主がとんでもない下衆野郎で、売られたガキは死ぬか壊れるまで遊ばれるに決まってんだろ! だが俺たちには関係ねえんだよ! 大金さえ手に入ればな!」
サイキは黙って聞くしかなかったが、その目は男を鋭く睨み付けていた。
「何だよ? まだ何か言いたいことでもあんのか? ほら、言ってみろよ!」
男の足や拳がサイキの体へ目掛けて飛んでくる。
暫く殴打され、サイキは呻き声すら上げられなかった。
突然、倉庫の外から大きな物音がした。倉庫の中の三人はそれに気が付き、倉庫の扉へと目をやった。
「依頼人か?」
男が倉庫の扉へ向かおうとすると、突然扉が乱暴に開けられる。
そこには、もう一人の誘拐犯の男が立っていた。だが様子がおかしい。千鳥足のように、フラフラとこちらに歩いて来るが、すぐに力尽きたように倒れてしまった。
「おい! どうした! 何があった!」
男は倒れた仲間に駆け寄るが、既に気絶してしまっていた。
「クソッ! 何なんだよ! うぐっ・・・」
そう言った男も、何か衝撃を受けたかのように倒れ込む。
「よお。まさかお前が攫われるとはな。ノゾミ」
「オレのこの拳で、必ず助け出してやります!」
「というかもう終わりでしょ」
「手間をかけさせるな」
「大丈夫? ノゾミちゃん」
「た、助けに、き、きたよ」
そこには六人の人影が立っていた。
その中の一人がノゾミに近づいて来る。
「あれ? この人誰?」
サイキが声の方に目を向けると、髪は白く、肌の色は黒い青年が目の前に立っている。
青年はニッと笑いながらノゾミにそう尋ねると、彼女は何の躊躇いもなく言った。
「私達の新入りさん」
―――え?
「っぷ!」
青年は腹を抱えて笑い出す。
すると、後ろの方からもう一人、眼鏡をかけた青年が近づいてきた。
「何してる! さっさと引き上げるぞ! アクド!」
彼はイラついたようにそう怒鳴った。
「ちょっと待てよ! 聞いたかタツヒロ! この人、新入りだってさ!」
「またアクドはそうやって人を揶揄おうとする!」
「違うって・・・ププッ! 本当だって!」
「どういうことだ!」
「分かんないけど、こんな新人との出会い方は初めてだよ! あー可笑しい!」
「ノゾミ! 何を言っているか分かっているのか!」
そんな三人が揉めているうちに、サイキの縄を一人の女の子が解いてくれた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。ねえ。君、新入りって本当なの?」
「いや、僕にも何がなんだか・・・」
「そっか。でもノゾミちゃんが言うんだから、何かあるのかもね」
彼女は濡れたハンカチで、サイキの腫れた顔を冷やしてくれた。
「ありがとね。私達の仲間を助けてくれて。私はミモリって言うの」
「あ、僕はサイキ」
「サイキ・・・ね。いい名前だね!」
「え? ああ、ありがとう」
「君は勇気があるんだね」
「い、いや、僕は何も出来なくて・・・」
「私には分かるよ。だって君だけ傷ついているのに、ノゾミちゃんには傷がないもん。それって君が彼女を守ってくれたからだよね」
こんな綺麗な子に見つめられて、サイキは思わず目を少し逸らしてしまった。すると、視線を逸らした方向であることに気が付く。
ミモリの背後で誘拐犯の男が立ち上がっていた。
「て、てめえ・・・」
気絶したと思い込んでいた男はいつの間にか立ち上がり、彼の手にはナイフが握られていた。その先端は明らかにミモリの方へ向けられている。
―――ヤバい! 危ない!
サイキが体を動かそうとするが、痛みが動きに枷をかけている。
ミモリが振り向くと同時に、男はナイフを彼女へと突き立てた。
一瞬、時が止まったような感覚に陥る。
そして倒れるミモリをサイキが下敷きとなって受け止める。
彼の頭は真っ白になっていた。
「ミモリ⁉ ミモリ!」
―――刺された⁉ 僕の目の前で⁉ 僕がもう少し早ければ・・・!
目の前が歪んでいくような気がする。自分の目の前で起きた悲劇に、サイキは何かが崩れていくような気がした。
「大丈夫?」
ふとそんな声が聞こえた。それは間違いなくミモリの声だった。
「え?」
倒れていたサイキを先ほど刺されたはずのミモリが支えている。
「ごめんね。下敷きにしちゃって」
「え? あれ? 君、さっき・・・」
傷がない。どこにも。
「お、お前! 何だよ⁉ 何なんだよ⁉ 何でナイフが折れてんだよ⁉」
後ろで男が喚いている。彼が手にしていたナイフは、ポッキリと折れてしまっていた。
人を刺したナイフが折れるなんて想像できない。いや、防弾チョッキでも着ていれば納得もいくだろうが、ミモリの破けた服の下には、紛れもない人の肌だけが見えていた。
―――な、何で⁉ 何でこの子は無事なんだ⁉ 何でナイフが⁉
サイキも言葉を失うが、それ以上に男は座り込んで戦意を喪失していた。
「はいはーい。取りあえず、一件落着」
アクドがパンパンと手を叩くと、時間の止まったような空間が、一気に動き出したような感覚になる。
「はい撤収ー。ノゾミも普通に元気だから歩けるだろ? さっさと帰ろうぜー」
ノゾミはコクリと頷き、倉庫の外へと向かう。
同じように、他の青年達も倉庫の外へと歩き出した。
―――なんだか分からないけど、僕も帰るか・・・
サイキは立ち上がるが、男達に痛めつけられた体が悲鳴を上げてふらついてしまう。それを一人の青年が支えてくれた。
「大丈夫? 肩貸すから、ほら摑まって」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。君も一応手当のために、安全な所へ運ぶから。訊きたいこともあるしね」
―――それはこっちの台詞だ・・・
サイキは歩きだそうとするが、目の前がクラクラする。
肩を貸してくれている青年がサイキに尋ねる。
「そうだ。君名前は?」
「サイ・・・キ・・・・・」
その言葉を最後に、サイキの意識はフッと沈んでいった。
第1話「倉庫のおまじない」完
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
この小説は予め書いたものをそのまま投稿しております。
そのため、ある程度まで、この作品は話が書き終わっております。
投稿は1週間に一回(水曜日か日曜日)に行ってまいりますので、もしあなた様の興味の引かれるものでしたら、またよろしくお願いいたします。
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