第5話 猫、考える
数日後。
「あぁぁぁぁぁぁっ! つまらない、つまらない、つまらない、つまらない、つまらないっ!」
アリシアは宙に浮いたまま、バタバタと手足をばたつかせ、暴れていた。ちょうど小さな子供が母親におもちゃをねだり、デパートの床で駄々をこねているような感じ。それが俺の頭上、空中で起きていた。
「……おい、うるさいぞ」
俺は自分のベッドで丸くなって寝たまま、頭も動かさず、薄目を開けてアリシアを見た。
「つまらない! つまらないですよ、小鉄! 毎日毎日寝てばかりじゃないですか!」
アリシアは俺の前に降りてくると、俺の顔を覗き込んだ。
「そんなこと言ったって、仕方ないだろ……」
俺は猫。寝るのが仕事。猫の語源は諸説あるが、「寝子」であると言う説が最も有力だとされている。読んで字のごとく、寝る子。寝てばかりいるからそういう名前がついた。事実、猫は一日に平均して十六時間程寝ているというデータもある。つまり、毎日八時間。お役所仕事の定時のような時間しか起きていないのだ。
「小鉄、猫だからっていつまでも寝てて良いと思ってるんですか!?」
「ああ」
俺は目を閉じた。
「……ぐぬぬ……あなたは寝るために生まれてきたのですか!?」
「そうかもな」
「……わかりました。小鉄がそのつもりなら、ルシア様に報告します!」
「好きにしろ」
「…………小鉄ぅー……少しはかまってくださいよぉー……。私はあなたと違って人間なのですよ? そんな毎日何十時間も寝ていられませんよぉ!」
「お前……人間なのか?」
俺は目を開いてアリシアを見た。
「んー……どうなんでしょうね……。天界人……ではあるんですけど、人間かと聞かれると……」
アリシアは体を起こし、右手を顎に当てて考え始めた。
俺はそのまま目をつむった。
「って、ちょっと! 勝手に寝ないでくださいよ!」
アリシアは俺の脇の下を掴んで抱き上げ、俺をフルフルと揺すった。
「うおっ! おぉぉぉぉぉっ!」
「ほら、何かして遊びましょうよ」
「おぉぉぉおい! ちょ、ちょっと!」
「遊んでくれないと、このままフルフルの刑にしますよーっ!」
なんだその刑罰は。てか、すでにしているこれは違うのか!?
「こら、待て! 一旦止めろ!」
「じゃ、遊びますか?」
「わかった! 遊ぶ、遊ぶから!」
俺がそう言うと、アリシアはフルフルの刑を止め、俺を床においた。
「じゃ、何します!? 何します!?」
アリシアはしゃがみ込んで嬉しそうに俺を見た。
「いや、何がしたいんだ?」
猫と人で出来ることなんて、たかが知れてる。俺はそのままウーンと伸びをした。
「じゃぁ、テレビゲームでもしますか!?」
「いや、そんなものはない」
「無いんですか!?」
「見たらわかると思うが、片桐家は裕福な家じゃない。そんなものは存在しない」
俺は手を舐めると顔をなでた。
「……確かに……」
アリシアはあたりを見渡した。
「片桐家って、貧乏なんですか?」
「んー、そうなんだろうな。記憶が戻るまではそんな意識はなかったんだが」
アリシアから記憶を戻されるまでは、そんな裕福だとか貧乏だとか、そんな思いは全く無かった。記憶が戻り、他のことを知って初めて「ああ、うちって貧乏なんだ」と気付かされた。
「じゃ、小鉄はこの家をお金持ちにするために生まれたんですかね?」
「俺が……?」
ってか、猫が?
「はい」
「どうだろうな……。てか、猫が家を金持ちにするって……看板猫的なアレか?」
猫といえば、招き猫。
「ああ、それもありますね。でも、それだと何か商売をしていないと出来ませんけど……。あ、美月って何のお仕事をしてるんですか?」
美月とは楓の母親の名前だ。
「知らん」
これまでの家での行動や、会話からはそれを推測できるものはない。時間的にパートっぽくはあるんだが、職種まではわからない。
「じゃ、どうやって看板猫になるんですか?」
「ノープランだ……ってか、看板猫になること前提なのか?」
「いえ……。でもそうでもしないと普通の猫と同じで、ご飯食べて寝るだけの穀潰しに」
「穀潰しって言うな」
全国のペットに謝れ。
「ってか、猫だぞ? そんな普通の猫に家を盛り上げる的なことは出来なくないか?」
「いえ、あなたは普通の猫じゃないじゃないですか」
「は……?」
「いや、は? とか言われても……」
「普通の……猫じゃない?」
「はい」
「……どういう意味だ?」
「いえ、あなたは運パラ全開のお馬鹿さんで、でも知能は人並みのスーパー猫ですよ? 自分の立場、忘れていませんか?」
「おぅいえー(Oh、Yeah)……」
そう言えば俺、普通の猫じゃなかった……。
なんか「お馬鹿さんで知能は人並み」ってのが引っかかるが、まぁ、そこは猫だったらという前提で話しているんだろうからスルーしておこう。
「と言うか、私が! このスーパー美少女メイド天使、アリシアちゃんがつきっきりで一緒にいるのに、どうしてそれを忘れるんですか!?」
「ちょっと待て! 美少女は良しとして、スーパーでメイドで天使って、そうなのか?」
「え……何が疑問なんですか? って言うか、その疑問は愚問ですね……」
アリシアは首を傾げると立ち上がり、人差し指を立ててそう言った。
「私は、スーパーで!」
アリシアは両手を挙げるとフンと右膝を曲げ、斜めの姿勢を取ると、左手をピンと斜め上に伸ばした。なんだこれ……砲丸投げ?
「メイドでっ!」
アリシアはメイド服のスカートの裾を掴み、クルッと回った。もちろん、少し首を傾げるのも忘れない。
「天使な!」
アリシアは両手を斜め下に出して両足を曲げ、可愛らしいポーズを取った。
空中で静止できる、浮くことが出来るので、まるでジャンプ中にシャッターを切った様なポーズが可能だ。
「美少女です!」
アリシアはもう一回クルッと回ると、両足を開いて体を少し曲げ、左手を腰に当てて右手を顔の前に握って横に動かすと、横ピースを右目にあてて斜に構えた状態でピタリと静止した……。これ以上無いドヤ顔だった。
「…………」
俺はどこに突っ込んだら良いのか困った。
やっぱりそれが最後に来るのか……。てか、なんだそのドヤ顔は。しかも天使の意味が、「天使のように可愛い」と言いたいらしい……。だとすると、天使と美少女がダブってるぞ。
「って言うか、そこを疑問に思うっておかしくないですかぁー?」
「いや、お前のおかしいおかしくないの基準は知らん」
俺は座ったまま、薄目でアリシアを見た。
だが、俺がスーパー猫……というのは確かにそう、疑いようのない事実だ。ルシアの意図なのか、はたまた偶然なのか……。
だとすれば。理由がどうであれ、俺にもすべき事が、出来ることがある。