第49話 白衣
俺と楓はデコちゃんと今連れてきた二匹を空さんの所へ連れて行った。楓はそのまま「後はよろしくね」と言って、一階へ降りていった。
「(何? 何? 何が始まるの?)」
デコちゃんは不安そうな目で訴え、時々バタバタと暴れた。
「安心しろ、お前の健康状態をチェックするだけだ」
「(あなた、喋れるの? 痛いことしない? この服を来てる人は痛いことをするのよ)」
「お前、結構よく喋るのな……。チクッとすることはするが、それ以上のことはしない。でも、それはお前のためだ。ちょっとだけだから、我慢してくれ」
「(本当に? この服の人は嫌なのよ……痛いことするから)」
「ああ、白衣か……」
俺はデコちゃんを押さえつけながら空さんを見た。
「ん? なんだって?」
空さんは体の様々な箇所を手早くチェックしていく。
「白衣を着ている人が怖いそうです……」
「あぁ……もしかして、病院の雰囲気じゃなくて、白衣が怖いの?」
「多分……」
「そうなんだ……。じゃ、白衣やめるか……」
空さんはそう言うと、おもむろに白衣を脱ぎ、机の上に放り投げた。
「な……!」
俺は空さんに目が釘付けになった。正確には空さんの胸に釘付けになっていた。
空さんは白衣の下に、上はタンクトップ一枚、下は黒いジーンズを履いていた。細身でよく引き締まった綺麗な体には、予想もしていなかったそこそこ大きな胸が、そのタンクトップを押し上げ、主張していた。美しかった……。
「ん、何?」
空さんは俺の視線に気づいた。
「い、いえ……何か、着てもらえませんか?」
俺は空さんから目をそらした。
「え? 今、着ない方がいいって……」
「あ、デコちゃんは着ない方が良いらしんですけど、その……困るというか……」
「え? デコちゃんは落ち着いたみたいだけど?」
「え、ええ。デコちゃんは落ち着きました……でも」
デコちゃんは空さんが白衣を脱ぐとすぐに、慌てなくなった。
「でも……俺が……」
俺は振り返って空さんを見た。
「君が……? あ」
空さんは俺が空さんの目を見てすぐに胸に目線を落としたことに気づいた。気づくとそのまま右手を大きく振りかぶると、俺の頬に打ち付けた。
パン! といい音がした。
「ど、どこ見てんのよ! あっち向いてて!」
「はい……」
俺の顔はその勢いでそっぽを向いた。デコちゃんを抑えたままで。今回は「来る!」と思って踏ん張っていたので吹き飛ばされなかった。デコちゃんを離したらマズい、そう思っていたのだ。
「(わ、私も叩かれない?)」
デコちゃんは俺を見た。
「安心しろ、お前は叩かれない」
「今度は何?」
空さんの口調は怒っていた。
「私も叩かれないか? って……」
「あ……ごめん……」
空さんは謝った。
俺は黙っていた。俺に謝ったのではなく、デコちゃんに謝ったのだろう。
──
三匹の健康診断と、血液採取が終わると、俺は三匹を連れて五階へ戻り、三匹を空いているケージへ入れた。
「(痛そうだったわね)」
「大丈夫だ、ありがとな。てか、お前は痛くないのか?」
デコちゃんは俺の心配をしていた。それ以上に腫瘍が痛そうだ。
空さんの診断結果は思った通り。「血液検査の結果が出ないと正しいことは言えないけど、多分手の施しようがない」というものだった。
「(痛いけど、もう慣れちゃった)」
「そっか……」
トゥルル、トゥルル。トゥルル、トゥルル。と内線が鳴り、俺は急いで電話に出た。
「はい。五階です」
『櫻井くん? 橘だけど』
「あ、空さん」
『さっきはごめん……君は悪くなかった……』
「いえ、気にしてませんので、空さんも気になさらないでください」
『うん、ありがとう。それでさ、さっきの白衣の件なんだけど……』
空さんからの電話は、白衣の何が怖いのか聞いてくれ。という事だった。
「デコちゃん、デーコちゃん」
「(私の事?)」
デコちゃんは振り向いた。
「ああ。さっきさ、白衣の人が怖いって言ってたろ?」
「(……白衣? なんの事?)」
「あ……わかんないか……」
俺は二階に降りて、空さんから白衣を借りてきた。
「ほら、これ」
俺はデコちゃんに白衣を見せた。
「(なにそれ?)」
「あれ……?」
さっきまであれ程怖がっていたのに、白衣を見ても何も反応しない……? さっきは空さんが白衣を脱いだ途端に落ち着いていたのに……。なので、白衣が原因なのは間違いない。それなのに、白衣を見せても反応がない……。
これは一体……。
「あ、白衣を着た人か?」
俺はそう言うと白衣を着た。
あ、なんかいい匂いがする……これって空さんの匂いか?
「(あ……何? 何するの? 痛いことしないで!)」
デコちゃんが怖がり、騒ぎ始めた。
やっぱりそうか! 俺は白衣を脱いだ。
「(…………)」
デコちゃんは落ち着いた。
うん、俺の予想は当たっているらしい……よし、もう一回。
俺は白衣を着た……うーん、いい匂い。
「あーっ!」
後ろから大きな声がして、振り返ると空さんが立っていた。
「え……」
「ちょっと! 何やってんの!?」
「あ。い、いや、違うんです!」
「私の脱ぎたての白衣を持っていったと思ったら、自分で着るとか……! 楓が見たら泣くよ!?」
「いえ……ですから、これは……」
「櫻井くんにそういう趣味があるとは知らなかった……」
「いやいや、違うんです! 別に空さんの脱ぎたて白衣を着てムフフとかしてないですから!」
「え……。コスプレ趣味とかじゃなくて、匂いフェチ……?」
「両方違います!」
俺は空さんに説明した。
「ああ、そういう事」
「ええ。それで、俺が着たらやっぱり怖がるんですよ」
「じゃ、白衣を着た人が怖いのか……。それってさ、色は関係あるのかな?」
「色?」
「うん」
「……白衣って、白以外にもあるんですか?」
白衣は白いから白衣なんだと思ってた。
「あ、知らないか……じゃちょっと待ってて」
空さんは二階へ戻ると、白衣のカタログを持って戻ってきた。
「へー……色だけじゃなくて、いろいろな形もあるんですね」
カタログの中には白い普通の白衣の他に、薄緑色、濃い緑色、ピンク色に薄いブルーなど、様々な色があり、形も複数載っていた。
「うん。これは手術用。これはナース用。こっちは部署によって区別するためのものだね」
「ああ、色でどこの人だか分かるようにってことですか?」
「うん」
「手術用って、何が違うんですか? と言うか、白衣ってどうして着るんですか?」
「あ、そうか……。白衣はね。元々感染予防なんだよ」
「感染予防?」
「そう。交差感染と言って、患者から医者に、そして医者から他の患者に感染しないようにするためのもの。医者に患者の血液がとんでも、すぐに発見できるようにするために白いんだ」
「あ、そうなんですか! じゃ、手術用ってどうして濃い緑なんですか?」
空さんの指差した手術用は、濃い緑色の白衣だった。
「手術用は、基本的に血を浴びる。血に染まることを前提にして作られているもの。だから、手術中に血を受けた医師が外に出ると、全身真っ赤の血だらけになるじゃない? それこそ殺人鬼みたいなさ。それを見た家族が驚くから、そうならないように、緑なの」
「緑だと、驚かれないんですか?」
「血ってさ、赤いじゃない?」
「はい」
「加色の原理でさ、赤に緑を足すと、何色になる?」
「……ん? 黒……ですか?」
「うん。黒っぽくなるよね。だから、黒くなることで、血がついたことが分かる。そして、それを見ても怖がられないって事なんだ」
「あー、なるほど!」
よく考えられてるんだな……。
「なんか話が逸れちゃったけど、この中のどれが良いかわからないかな? 白衣を着ないっていうのも……そう言う医師もいるんだけど、私は怖いんだよね……ずぼらだし」
「そうですか?」
空さんはズボラには見えないし、むしろマメな良い医師だと思う。
「うん。この写真で判断つかないかな? 見ての通り、白衣って結構高いんだよ。色々買って試すのもちょっと……」
「あ……そうですよね……」
カタログの白衣は値段は様々だが、安くても四千円。高いものは二万円を超えていた。
写真でか……。
「デコちゃん、この人は怖い?」
俺はカタログをデコちゃんに見せ、写真を指差した。
「(怖い)」
「この人は?」
「(怖い)」
「この人は?」
「(怖い)」
「この人は?」
「(怖い)」
「あれ……?」
「どう?」
「ここからここまで、全部怖いです」
「うーん、写真だと判断つかないのかもね」
「そうでしょうか?」
「わかんないけどさ」
「ですよね……」
「この人は?」
「(怖い)」
「この人は?」
「(怖い)」
「この人は?」
「(怖くない)」
「え?」
「どうした?」
「これは、怖くないと……」
俺はデコちゃんが怖くないと言った写真を見せた。
「ほう……これなんだ……」
「らしいです……」
その後いろいろな写真で試していくうちに、ある程度の法則が見えてきた。
所謂、白衣らしい白衣、コートのようなタイプは怖い。でも、普段着のような白衣は怖くない。更に、色は関係ない。
その時、俺は思い出した。「動物は人間と同じ色感覚ではない」ことを。楓に五十音表を作ってもらった時、一部のものは俺には見えなかった。それは人間にとって綺麗な配色であっても、動物から見たら「判断できない色」だったという事だ。だとすれば、色は考えなくていい。問題は形だ。
「空さん、色は無視していいです」
「え?」
「動物によっては、色が判断つかないんです。だから、形を重視した方がいいです」
「あ、なるほど。すっかり忘れてた……って櫻井くん、よく知ってるね。それ、専門学校とかでも少しだけ触れる程度のものだよ」
「え……ええ、まぁ……」
さすがに実体験ですとはいえない。
「ふーん、あ、そうか。今、勉強してるんだっけね」
空さんは良いように解釈してくれた。
「はい。で、空さん。多分なんですけど、こっちのパジャマっぽいやつか、こっちの普段着っぽいやつが良いと思うんです」
「そうだね」
「好みはありますか? ロングが良いとか」
「ううん。どれでも良い。動物に怖がられなければ」
「じゃ、これはどうですか?」
俺はピンクのワンピースタイプのものを指差した。
「え……そ、それはちょっと……」
空さんは拒否した。今、どれでもいいと言ったばかりなのだが……。
「じゃ……これは?」
俺は別の色のワンピースタイプを指差した。
「え……櫻井くんって、そっちの趣味なの?」
「は?」
「いや、私にスカートを履かせたいの?」
「……あ、いえいえ! 違います。普段着っぽいものを、他の獣医師が着ていないものをと思って……」
「ああ、そういう事か……他の獣医師が着ていないもの……」
空さんはページをめくって言った。結局自分で探すのか……。
「これは?」
「医師ですね」
「これは?」
「医師です」
「これは?」
「医師です」
「これは?」
「医師です」
「って! 白衣なんだから当たり前じゃん!」
空さんがキレた……。
「……いえ、その中でも、より白衣らしくないものをって……ないですかね?」
「うーん……白衣らしくないものかぁ……」
空さんは更にページをめくる。
「あ! これは?」
空さんはグレーのジャージの上着のようなものを指差した。
「あ、良いですね! 空さん似合いそう」
「え、そ、そう?」
空さんは少し照れていた。いつもクールな空さんは、ニッコリと笑い、とても可愛らしかった。
「ええ、良いと思います。これなら血が飛んでもわかりやすそうだし……あ、ちょっと貸してください」
「うん」
俺はカタログを受け取ると、デコちゃんに見せた。
「デコちゃん、この人怖い?」
「(怖くない)」
「何だって?」
「怖くないそうです」
「よし、これにするか! ……でも、ちと高いな……最低でも三着は必要だし……」
上着だけなのに、六千円していた。
そうか……毎日変えないといけないんだろうからな……。
「そうですね……。あの……」
「ん?」
「これなら、白衣じゃなくても、良くないですか?」
「え? ……あ」
空さんは固まった。




