第21話 猫、山に登る
列車が終点、河口湖へ到着すると、俺はカゴに入り、楓と美月は俺の入ったカゴと荷物を持つと列車を降りた。
「ご乗車、ありがとうございました。また急な申し出にかかわらず、ご対応頂き、誠にありがとうございました」
ホームを歩いて改札へ向かう途中で、列車の最後尾に立っていた車掌さんがやって来て、そう言った。
「いえ、私達も楽しかったです。許可して頂き、ありがとうございました」
美月はそう言って頭を下げ、楓も頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそありがとうございました……一時はどうなることかと……。あ、またのご利用をお待ちしております」
「はい。帰りも乗りますから」
楓が答えた。
「ありがとうございます。その際はお声がけ下さい」
楓がそう言うと、車掌さんは笑った。
「はい。あ、でも、撮影会になると、小鉄が疲れちゃうかも」
「あぁ、そうですねぇ……。個室とかがあれば良いんですが、あいにく当社の列車には……」
「いえ、いい経験になりました。ありがとうございました」
「はい。こちらこそありがとうございました」
楓と美月は会釈をすると、歩き出した。
「個室かぁ……。確かに個室なら、出してもバレないかも……」
「お母さん……」
「あ、冗談よ、冗談」
美月は笑った。
「もう、出しても良い?」
駅を出ると、楓は美月に聞いた。
「うん、いいよ」
「よーし、小鉄。おいでー」
楓はカゴを地面に置き、扉を開けた。
俺はゆっくり外に出た。
あ、外に出てたおかげで、それほど疲れていないかも……。
楓は俺のハーネスにリードを取り付けた。そのまま楓は鞄から俺の器を取り出し、水が入ったペットボトルを取り出した。
「飲む?」
少しくれ。俺は頷いた。
楓は俺の器に水を入れ、俺は半分くらい水を飲んだ。
「もういい。ありがとう」
「うん」
楓は残った水を道の側溝に流し、器の水気を拭き取るとペットボトルと器を鞄にしまった。そのまま鞄の中から抱っこひもを取り出して自分の肩にかけた。
「はい、おいで」
楓が少し膝を曲げて手を広げると、俺はダダッと楓の足踏み台にして胸元までジャンプした。
「ほい。お上手ー」
楓はそのまま俺を受け止めると、俺を抱っこひもの中に入れた。
この抱っこひもは、最近の俺のお気に入りだ。公共交通機関等で移動する時は決まりなのでカゴの中に入る。だがそれ以外、スタジオの中や、道路を歩いて移動する時はこうして楓の抱っこひもの中に入る。これがまた心地良い……。
カゴはどうしても手で持つので揺れる。それはこう、地面が揺れているかのような、硬い床全体が揺れる。それこそ地震が長く続くような、そんな感じだろうか……。最近は慣れたが、実はあまり心地よくない。ところがこの抱っこひもは心地いい。もちろん楓が歩く度に揺れる。だが、楓の体と密着して揺れるので、カゴほどは不快感がなく、体温を感じられて心地いいのだ。
「湖畔まで十分くらいだけど、歩く?」
「うん。疲れたらバスに乗ろう」
「そうね」
美月は空になった俺のカゴを持って歩き出した。
駅前の広場から伸びる、片側一車線の道をくねくねと歩いて下ると、歩道のある大きな道に出た。そのまま左に曲がり、大きな道にそって、またくねくねと下っていくと大きな三差路へ出た。
「こっちかな?」
「下ってるから、こっちっぽいわね」
二人共スマホを使わず、ただブラブラと歩く。
目の前に「歓迎 河口湖」という大きな看板が現れた。
「あ。あってるね」
楓は看板を指差した。
「うん、そうみたいね」
道は再び細くなり、そのまま歩道のない、緩やかな下り坂をくねくねと下る。
「それにしても、全然見えないわね……」
「うん……」
とても近くに居るはずなのに、河口湖は全く姿を見せなかった。
「だが、臭うぞ」
俺はつぶやいた。水の匂いがする。
「解るの?」
楓が俺を見た。
「ああ」
俺は頷いた。
「じゃ、このまま行けばあるね」
「そうね」
道はゆったりとした下り坂。歩くのは苦にならないだろう。
「あった!」
楓が河口湖を指差した。
「おぉ、これかぁ……」
コンビの駐車場の先に、湖が見えた。俺達はそのままコンビニの駐車場を突っ切り、道を横断すると、河口湖の駐車場に入った。そのまま駐車場を抜けると、すぐに湖畔だった。
「おっきいねー……」
楓は目の前の湖を見渡していた。
「うん。気持ちいぃーっ! ……はぁ。それにしても天気に恵まれたわよね」
美月は両手を挙げて背伸びをすると、そう言った。
「うん。あれ? 富士山は……?」
楓はおでこに手を当て、周囲を見渡した。
「あら? 見えないわね……ちょっとまって」
美月はスマホを取り出し、方向を確認した。
「あ、あっちね」
美月が指差す方向、俺達が歩いてきた道の向こうには、大きな山があった。
「あ、あの向こうなのかぁ……」
「そうみたいね。楓、お腹は?」
「少し空いてる」
「贅沢する? 軽く済ます?」
「軽く。時間がもったいない」
「そうね」
俺が再びカゴに入ると、楓は抱っこひもを肩からかけたままでカゴを持ち、近くの土産物屋の二階にあるレストランに入った。
楓も美月もラーメンを注文した。
「どうしてこう言うところに来ると、普通のものを頼んじゃうんだろうね……」
「案外、期待してない……ってのもあるのかもね……」
美月はスマホを取り出した。
「あ、そうかも……」
楓は納得していた。
「あら……バスが……」
美月はスマホを見ていた。
「どうしたの?」
「ほら……」
美月は楓にスマホを見せた。
「あ……一時間に三本しか無い……」
楓は河口湖を一周するバスの時刻表を見た。
「うん……。でも急がないし、近くのロープウェイでも乗ってみよっか?」
「うん!」
二人の食事が終わると店を出た。俺はカゴに入れられたままだった。
「すぐそこだからね。ロープウェイを降りたら出してあげるから」
楓は俺のカゴを覗き込んだ。
「おう」
レストランから三分と歩かない場所に、ロープウェイ乗り場があった。俺達はロープウェイに乗り、山頂の駅で降りると、楓はカゴの中から俺を出し、リードを繋ぐと抱っこひもに入れた。
「よし、行こう!」
楓が歩きだし、山頂駅の建物から出ると、右側に広大な風景が広がっていた。
「うわぁぁぁぁぁぁ……すごい……」
「はぁぁ……これは見事ね……あ、楓。あっちの方が見えそうよ」
「……うん」
二人は展望台の一番前、最も富士山に近い所へ立った。
「……ぁぁぁ……」
「……ぉぉぉ……」
楓と美月は言葉を失っていた。
ポカンと口を開けたまま、目の前の風景に見とれていた。
目の前には町並みが広がり、その向こうには青々とした樹海が広がり、その向こうに大きく両手を広げたような富士山が「ほらどうだ」と言わんばかりに、どっしりと構えていた。左右の裾野をゆったりと広げ、その姿を見せていた。ここからの景色は圧倒的だ……何しろ自分と富士山の間にも、視界の中のどこにも、富士山を遮るものがない。「これぞ富士!」と、そう言いたくなるような、素晴らしい景色だった。
これは見事としか言いようがない……俺も初めて見た……。
俺達は暫くその姿に見入っていた。
「それにしても見事ですねぇ……」
アリシアは俺達の十メートルくらい前、展望台の柵の向こう側の空中に浮かんでいた。俺と富士山の丁度間で、アリシアが邪魔で富士山が見えない……。
「おい、そんなに前に出たら見えないぞ!」
「いえ、綺麗に見えますよ! ここまで来ると足元の山が見えなくなって……ほら、こんなに綺麗に!」
アリシアは振り返って俺を見ると、そう言って右手をおでこにあてて富士山を見た。
「いや、お前が邪魔で見えん!」
「え……? あぁ、そういう事ですか……」
アリシアは少し呆けると、納得したように小さく何度も頷き、楓の上へ戻ってきた。
「こりゃ失敬……つい、吸い込まれるように……あはは」
アリシアは俺を見て笑った。
「しかし、本当に見事だな……」
俺はアリシアを見ると、富士山を見た。
「はい、これは崇拝せずにはいられませんね……」
「だよな……」
「あ、写真取ろう!」
美月が思い出したように言った。
「あ。うん」
美月のその言葉に、楓はやっと我に返って美月を見た。
「じゃ、最初は楓ね」
美月はそう言うと鞄からデジカメを取り出し、楓から離れて振り返った。
「うん」
「ん……? 縦かな? いや、横かな?」
美月はデジカメを構えると、縦に持ったり、横に持ったりを繰り返した。構図を決めかねているらしい……。
「お母さん、両方撮ったら?」
「え……あぁ、そうか。じゃ撮るよー!」
「うん」
美月がデジカメを横に構えると、楓は姿勢を正し、俺もカメラを見た。
「はい、チーズ!」
パシャッ。
「じゃ、もう一枚ね」
美月はカメラを縦に構えた。
「ん……? もうちょっと前かな? いや、上? あぁぁ、クレーンがほしい!」
美月はデジカメを構えたまま、前に行ったり後ろに行ったりし、しゃがんだかと思えば背伸びをしたりしていた。
「いや、流石にクレーンは無いよ……お母さん、凝りすぎ」
楓は少し呆れていた。
「うん、ここかな。撮るよー」
「うん」
美月が構図を決めたらしく立ち止まり、頭上高くデジカメを構えると、楓と俺はデジカメを見た。
「はい、チーズ!」
パシャッ。シャッター音がしてふと見ると、アリシアは楓の右上に浮かび、カメラに向かってピースサインを出していた。
いやいや、お前は写らないから……。
そう思うと同時に、アリシアも楽しんでくれている様で、嬉しかった。




