第103話 痛みの特効薬
「会場って結構うるさいんだな……」
俺とクラウディアはパソコンで去年のフリスビードッグ大会の動画を見ていた。
大会会場ではリズミカルな音楽が大きな音で鳴り響き、MCと呼ばれる会場を盛り上げる為の司会者の声がこれまた大きな音で聞こえていた。動画の中では歓声などは殆ど聞こえない。
「(そうね、その中での集中が必要なのね……この子、集中できなくなってるわ。動きが緩慢……)」
「やっぱりうるさいとやりにくいのか?」
「(どうかしら……? やったことが無いからよく解らないけど、大丈夫だと思うわ)」
「そうか?」
「(ええ、あなたが投げたら途端にそれしか見えなくなると思う。……でも、声は届きづらそうね……)」
「ああ、声で指示しないほうが良いのかもな……。と言っても、お前には指示なんて必要ないけどな」
「(そうかも知れないけど……)」
「ん? なんか不安か?」
「(あなたが投げるのを失敗した時、教えてほしいわ……)」
「……な、なるほど……」
「(ねぇ、最高得点って何点なの?)」
「ん? 歴代最高得点って事か?」
「(ええ。できればそれを超えたいわ)」
「なるほど……どれどれ……」
俺はパソコンでフリスビードッグの最高得点を調べた。
「百二十五点!? これ……何回投げてるんだ!?」
俺達が参加するディスタンス競技では、一投で得られる最高得点は十一点。距離得点の最高点の十点にプラスして、ジャンプキャッチの加点が一点だ。普通に考えれば十一回以上投げていることになる……。だが、競技時間の一分間で普通に投げられる回数は多くて四回。ぎりぎり投げて五回。どう考えても無理な数字だ。
「(六投が二回かしら……)」
「二回……? 六投が、二回!?」
俺はクラウディアを見た。
「(ええ、二回とも六回投げて、一回だけ失敗したんだわ……すごいわね……)」
「いや、ちょっと待て……二回ってどういう意味だ?」
「(え? 何が疑問なのかしら?)」
クラウディアは俺を見た。
「六投は可能っちゃ可能かもしれないが、それが二回ってどういう意味だ?」
「(……あなた、一緒にルールブック読んだわよね?)」
「ああ、読んだな」
「(じゃ、どうして知らないのよ……?)」
「え……? 書いてあったのか?」
「(もう……ルールブック開いて……)」
「お、おう……」
俺はパソコンでルールブックを開いた。
「(ほら、ここに書いてあるでしょ?)」
クラウディアの指差す場所を読むと……。
『ワンラウンドマッチゲームを除き、スローイング方向は第一ラウンドと第二ラウンドは逆方向から行う』
と書いてある。いつもながら読みづらい文章だ……。
「え、これって……。一ゲームの中で、二ラウンドあるってことか?」
「(あとこっち)」
『予選2ラウンド+決勝1ラウンドにて行う』
「え、全部で三ラウンドって事か……。じゃ、この百二十五点って……」
「(ええ。私も間違っていたけど、三ラウンドの合計ね。だから、平均四十二点)」
「ってことは……。四投全部が満点なら勝てると」
「(勝てるわね。でも、出来れば五回は投げたいところ。あと、これを見て)」
「あ、三十八点なら優勝の可能性があるのか……」
クラウディアの指差すルールブックの中の表には、公式シリーズでの順位ごとの得点が書かれていた。
「なぁ、これ……勝てそうな気がしないか?」
「(間違いなく勝てそうね)」
そう思える程に、俺達は何度も繰り返す練習の中で、手応えを掴んでいた。
「だよな、じゃ……俺達が目指さないといけないのは……」
「記録の更新……か」
「(そういう事ね)」
俺達は決意を新たにした。
──
そしてフリスビードッグの会員登録を行い、俺は名前のところに「片桐蒼汰」と書き、愛犬名のところに「クラウディア」と記入した。そして犬種の欄には「雑種」と書いた。俺の中では胸を張って言える、それこそ個人的には最高の犬種だった。
「あれ? お前、生年月日は?」
会員登録欄に、犬の生年月日を記入する場所があった。
「(わからないわ……。三歳って事くらいしか……)」
「じゃ、年は二年前にして……。月もわからないか?」
「(うーん……。サマンサ、分かる……?)」
クラウディアはサマンサが居るらしき方を見た。
「(ええ、私の誕生日……。あ、そうなのね、ありがとう。二年前の、三月十五日だそうよ)」
クラウディアは俺を見た。
「三月十五日っと……。一応聞くけど、メスだよな?」
愛犬の記入欄に性別という欄があった。
「(……セクハラ?)」
「いやいや、登録するのに必要なんだ」
「(……メスよ)」
「……メスと。よし、できた……あ」
「(まだ何か?)」
「お前、狂犬病の予防注射ってやったか?」
「(間違いなくやっていると思うけど……)」
「……証明書がないな……」
「(え……?)」
──
「(ちょ、ちょっと……。ほ、本当にするの? これって何度もしても良いものなの!?)」
「毎年するものだから大丈夫だ。ってお前、注射嫌いなのか?」
俺とクラウディアは二階の空さんの所に狂犬病の予防注射を受けに来た。
「(え……ええ……。って、注射が好きな子なんか居ないわよ!)」
「まぁ、注射が好きなやつは居ないだろうな……。しかし意外だな……」
「(なに……? なじるんなら好きなだけなじりなさいよ)」
「なじったりするものか……。ほら、力を抜け」
俺がそう言うと、クラウディアは少し力を抜いた。それでもまだ身体に力が入っている。
「緊張が半端ないねぇ……。よっぽど注射が嫌いと見た……」
空さんは注射を用意しながら言った。
「空さん、準備できたらカウントダウンでお願いします」
「あ、あれやるの?」
「試してみます」
「わかった」
「(な、なに……? 何をするの?)」
クラウディアは不安そうに、自分を押さえつけている俺を見た。
「安心しろ、お前が嫌がることはしない」
「(…………)」
「じゃ、いくよ?」
「はい。お願いします」
俺は両手でクラウディアの頭を持ち、俺に向けた。
「(な……なに?)」
「さん、にー、いち」
空さんがカウントダウンし、ゼロになるそのタイミングで……。
チュッ。と、俺はクラウディアの鼻にキスをした。おでこをコツンとぶつけ、そのままクラウディアの鼻の上にキスをしたのだ。
「(…………)」
クラウディアはそのまま固まった。
「……ハイ終わり。いい子だったね」
空さんは注射を抜き、患部を撫でた。
「ありがとうございます」
「じゃ、証明書出してあげるから、外で待ってて」
「はい。お願いします」
俺はクラウディアを抱きかかえ、床におろすと、クラウディアはそのまま床にぺたんと座り込んだ。
「あれ? おい、どうした!? 調子悪いのか!?」
「え!? まさか、アレルギー!?」
俺が叫び、それを見た空さんが焦った。狂犬病注射でまれにアレルギーを発症し、アナフィラキシーショックを受ける子もいる。
「(……あ、大丈夫……。身体がフワフワしてるだけよ……)」
クラウディアはそのままボーッとしていた。
「身体が、フワフワ……?」
「蒼汰くん、タッチで調べて!」
「あ、はい!(アリシア、エンパシーON!)」
「はい!」
ピッ。とアリシアがスマホのボタンを押すと、俺の体の感覚が研ぎ澄まされた。そのままクラウディアの身体にトンと瞬間的に触れ、すぐに離す……。痛くもないし、苦しくもない。そのままクラウディアの体に触れる……。
「あれ……なんともない……。むしろ心地良い……?」
「心地良い……? 注射されて心地いいの? なにそれ?」
「さぁ……」
「苦しいとか、呼吸が困難とかは?」
「いえ、ありません。全く何ともない……少しドキドキしてる」
「それって、心臓が苦しいとかじゃないの?」
「いえ……そういうのでは……」
「そう……良かった……」
空さんは胸をなでおろした。
何故かクラウディアが立てないので、俺はクラウディアを抱えて待ち合い室へ出た。
十分くらいして、クラウディアが立ち上がった。
「お、大丈夫か?」
「(ええ……あなた、いつもああいう事するの?)」
「ああいう事……? なんの事だ?」
「(鼻にキスするとか……)」
「あ、あれか。あれは前にここに来た飼い主さんがやってたんだ。それを真似た。その時注射をした犬が全く声を上げなかったから、有効なのかと疑問だった。だからお前が怖そうなのを見て、思い出してやってみた。痛くなかったか?」
「(痛く、なかったわ……ドキドキしたけど……)」
「そっか。なら良かった……やっぱ効くんだな、あれ……」
その後、空さんから狂犬病予防注射の証明書を受け取ると、事務所でコピーをとり、それを添付してフリスビードッグ協会へ登録用紙を送付した。




