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湯屋の若旦那

短編です。三話で終わります。


 私の名前はハート。ある変わった飲食店の、住み込み従業員である。


店は夕方から深夜過ぎまで営業の、ちょっと怪しげな雰囲気。従業員は若い男性が多く、客は年齢を問わず女性が多い。


その女性客の話し相手をするのが私の仕事だ。


「ハート、来てやったぞー」


男性客もいることはいる。


「若旦那、いらっしゃいませ」


「どうせお前には客など付かないから暇だろう」


だから来てやったぞと言われて苦笑いを返す。




 私がこの店に入って約一年が経つ。この町に流れ着いたのが二年前で、最初は言葉もわからず苦労した。


下働きとして店に入り、いろいろと教えてもらって、やっと慣れてきたところで少し前から接客に回されている。


 接客担当の従業員は、まずは一階にある椅子のないスタンド型の丸い小さなテーブルで、お客様と立ち話程度の顔合わせをする。


そこで気に入ってもらえれば、壁際のボックス席に移り、食事やお酒を楽しむ。もちろん、普通の飲食店よりは高く、お支払いはすべてお客様負担だ。


さらに高額を支払えば、二階にある従業員の個室へといざなわれる。その間、客はその従業員を独占出来るのだ。



 

 目の前の小柄な男性はユールさんという、うちの店の裏にある湯屋の若旦那だ。


この界隈は飲食店が多く、接客を生業なりわいとする者が頻繁に湯屋を使うので繁盛している。


そこの主はすでに半分隠居しており、まだ若いがこの若旦那がほとんどを取り仕切っているそうだ。


 うちの店の従業員たちも、営業日はほとんど開店前に湯屋へ行く。


身綺麗にしてお客様をもてなすためだ。


「いらっしゃい、今日もがんばれよ」


私が新入りであることを知っている若旦那は、下働きのころからいつも声をかけてくれた。




 下働きから接客担当になれる従業員はごく一部だ。


容姿、教養、愛想、そういったものがオーナーの判断基準を越えなければならない。


 しかし、私が選ばれたのは、この町では珍しい『人型』だからだ。


目の前の若旦那と呼ばれる男性には、細く長い尻尾と、尖った三角の耳がある。他の従業員も、お客様にも、獣耳や尻尾や、羽がある。


そう。この町の住人のほとんどが、彼らのような『獣人』なのである。




「この間の件だがなー」


丸いスタンド型テーブルで、まずは軽い酒で唇を湿らす。


「あ、その話はここでは」


私は慌てて若旦那を小声で制する。


「おお、そうだな」


若旦那が給仕係の従業員を呼ぶ。まだ少年である犬の獣人がすぐに近寄って来る。


「部屋へ上がる。酒と適当に料理を持って来てくれ」


そう言ってぽんっと先払いの料金を払う。


「ありがとうございます!」


給仕係が大きな声でお礼を述べるのは、他の客の注目を集めるためと、ライバルである他の従業員達を煽るためだ。


「こんな早くから部屋にしけ込むのかよ」


嘲笑を含む、耳に届くかどうかくらいのヤジが聞こえるが、気にせず若旦那を連れて二階に上がる。


嫉妬や妬みはこの仕事には付きものだから気にするな、と接客担当に回された時にオーナーに言い聞かされている。


「あなたはあなたの仕事をすればいいのよ」


確かに、ヤジるひまがあるなら仕事しろと言いたい。




 若旦那の後ろには、小柄な彼よりもさらに小さな、女性というよりまだ若い女の子が付いて来る。


もちろん妹などではなく、彼の身辺を世話するために雇われている少女らしい。


「どうぞ」


二階の端にある自分の部屋にふたりを入れると、すぐに給仕係が料理や酒を運んで来る。

 



「しかし、ユールの旦那も物好きですね。きれいなお姉さんがいる店の方がお好きでしょうに」


「あー?。まあ、嫌いじゃないが。仕事の話してる方が落ち着くんでな」


そう、この若旦那の目当ては私個人ではなく、仕事の話なのだ。


お付きの少女が小さな手下げ鞄から、色々な形の小さな石鹸を取り出す。


「お前さんがこの間言ってたやつを試作したんだ。見てくれ」


「おお、いいですね。きれいです」


透き通るような飴色の石鹸を持ち上げ、光にかざしてみる。


「それにとってもいい匂いです」


「そりゃ上等な蜂蜜を使ってるからな」


若旦那は金の匂いに微笑む。




 私は先日湯屋へ行った際に、いつものように若旦那と世間話をしていた。その中で、石鹸の話になった。


「ここの石鹸は、その、あまり匂いとかしないんですね」


この町の湯屋はここを含めて三軒ある。


一般家庭には風呂場があってもせいぜいが水瓶がおいてある程度で、そこから水を桶に汲んでかぶる。本当に汗を流すだけだ。


しかしこの土地には温泉が沸く。お金持ちなら自宅の庭を掘って作ればいいが、庶民はこうして湯屋を利用する方が安くあがる。


男女に分かれた広い湯船に浸かることができ、髪や身体を洗う石鹸も、使いっきりの小さな袋で買うことが出来る。湯屋はちょっとした贅沢なのだ。




「あったり前だ。うちの石鹸は上等だから、獣脂や灰の匂いがしねえだろ?」


それが材料らしく、自慢げに話すその言葉に私は首を傾げた。


「え?、石鹸ってもっと甘い香りや、ミルクとか花の香りとかしませんでしたっけ?」


若旦那に、何言ってんだこいつって顔で見られた。




「あ、なんでもありません」


また常識外れなことを言ってしまったようだ。


私は二年前、この町の海岸に瓦礫と一緒に打ち上げられた。拾われ、一命は取り留めたが、それ以前の記憶がさっぱり無い。


どうやら違う常識の国から来たらしく、時折、こうして首を傾げられたり、笑われたりする。


うん、またやってしまったみたい。


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