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私の女

作者: いーさん

私たち夫婦についてお話をしようかと思います。

私たち夫婦は結婚してから2年目になります。

子供はおらず、毎日、我々の常識から言えば普通に生活をしています。

と言いますのも、世間の夫婦というものは、休みの日にはどこか一緒に出かけたり、夜にはその日にあったことなどを話し合ったりし、特別な日には交わったりなどすると聞いています。しかしながら、私たち夫婦は今話した事柄全て当てはまりません。

休みの日は、お互いに好きなことをするというようにしています。ですが、私たち2人とも休みの日は極力動かないので、一日中食事の時以外は本をずっと読んでいます。そして、そんな1日を送るわけですから、夜に話すことも明日の予定ぐらいしかないのです。それに、私は肌でお互いを感じ合うことを求めません。一応、結婚して1週間はそういったことを数回した覚えがありますが、それからというもの、1度も私は彼女の裸を見たことはありません。

ですから、周りの勧めで買った大きなベッドもほとんど使わずに、私たちはそれぞれの部屋に置いてあるシングルベッドで寝起きをしています。

これが私たちの常識なのです。


私たちの出会いについてもお話をしておきましょう。

私たちが出会ったのは、私がまだ大学生の頃でした。

元来、人付き合いが苦手で本ばかりを読んでいた私は、大学3年の頃に見つけた本屋と喫茶店が1つになっている店に、それから卒業までの間入り浸るようになっていました。なにせ、客が少なかったものですから、人間が苦手だった私にとって自宅の次にくつろげる場所でした。そこでアルバイトをしていたのが、今の私の妻であります。

彼女もまた、世間に馴染もうとしないタチでありまして、私が店に行くときには必ず店のカウンターにちょこんと体育座りのように小さくなりながら、小さめの顔にはバランスの悪い大きめのメガネをかけて、時折ショートの柔らかそうな髪を左手で弄りながら、注文を受けたときと品を運ぶとき以外はずっと読書をしていました。

私たちは、そのときは別段、客と店員の関係でしかありませんでしたし、お互いに人が苦手なもんでしたから、1年間ほどは挨拶すら交わさない期間が続きました。

しかし、私が大学4年生となり、桜の花が散り始めたころに、彼女の方から話しかけてきたのです。

彼女は私が読んでいる本の傾向をチェックしていて、新しく入荷した文庫本の中から私が好みそうな本を私に勧めてきたのでした。

私自身はと言いますと、今まで置物の猫と変わらないような彼女から突然話しかけられたものですから、引いたとかそういうのではなく、ただただ、喋った…だかなんだかは詳しく覚えていませんが、とても驚いたのを覚えています。

それからというものの、私は彼女に見せに行くたびに、新しく入った本を勧められ、読んだ感想を彼女に語るという関係になっていったのでした。

それだけの関係からなぜ結婚することになったかと言いますのは、私が大学を卒業するときのことでした。

私は、就職活動を運良く大学を卒業するまでにクリアすることができ、会社との地理的関係上、今住んでいるところから少し離れたところに引っ越さなければならなくなり、加えて社会人となることから、あの店には当分行けなくなることになりました。

そのことを彼女に伝えたところ、別にこの店でしか会えないことなどない。定期的にまた会おうではないか、と彼女から思いもよらぬ言葉を聞くことになり、私たちはそれまでの関係から、仲のいい本繋がりの男女の友達にまで発展をしました。

そのころの彼女と言いますと、肩ほどまでに髪を伸ばし、整った小さな顔にはアンバランスな丸メガネをまだかけて、しかしながら、大人の女性の雰囲気を、本人は意識していなかったのでしょうが、醸し出すようになっていました。私は仕事に追われる毎日の中で、そんな彼女と過ごすひと時がかけがえのないものになっていました。正直に言いましょう。私はいつの間にか彼女に恋をしていたのです。

私の人生の中で、女というのを経験したことは一度もありませんでした。恋人というものがいなかったのです。別段作ろうともせず、友達から聞く女の話にも、本から学んだイメージで無理矢理相づちを打つ始末でした。

そんな私ですから、当然どういう風にすればいいのかわかりません。私が彼女に好意を寄せていたとしても、彼女が私に恋愛的好意を持っているとは到底思えなかったのです。そこが童貞の悲しいところと言いますが、深く考えすぎて、彼女の一挙一動が気になって仕方がありません。終いには彼女の話す本の内容さえ上の空で相づちをしてしまう有様でした。

そんな私に転機が訪れたのは、社会人になって2年目の秋のことでした。

いつも通りに本の話をして、私が彼女から本を貸してもらい、お互いの家路につくため、すっかり黄色くなったイチョウ並木の間を歩いているときのことでした。

あのときは、地面が見えないほど落葉したイチョウの葉がその前日に降った雨のせいで湿り、路面が滑りやすくなっていました。話したいことを話した後の私たちでしたから、世間話もせずにただ黙々と駅に向かって歩いていました。その途中、彼女が突然足を滑らせたのです。私はとっさに転びそうになった彼女の腰を抱き抱えました。そして今までになかったほど彼女と顔が近くなりました。そのころの彼女はゆるめの、シルエットが大きくなるような服を着ていました。しかしながら、私の腕は彼女の華奢で細い身体を感じていました。私はその時に思わず、好きです、と言ってしまったのです。そしてその瞬間、しまった、と思いました。私は思いを打ち明けた暁にはもう今までのような関係を続けられるとは思っていなかったのです。もちろんのことながら私の願いが叶わなければ、彼女との関係は一気に変わることになるでしょう。そうなれば今までのように好きな本について話したりする機会も減っていくに違いありません。

私の告白を受けた後、彼女はすぐに私から二、三歩離れて、顔を俯け、私は今のままの関係を望みますと言いました。私は失敗したと思いました。しかし、彼女は次に顔を上げ、その薄く透き通った白い頬を少しばかり赤くして、でも私もあなたが好きみたいなんです、と言ったのです。それからのことは舞い上がっていたのかなにかは知りませんが、私自身記憶にありません。ですが、そこから私たちは恋人同士となり、その2年後、デートの帰りに私から結婚を申し込み、彼女がそれを受け入れて、現在に至っています。


ここまでお読みになった方であれば、なぜ現在の私たちがこのような夫婦になっているかについて疑問を持つであろうと思います。しかし、これは実は簡単なことなのです。

私たちのような人嫌いがあのようにしていられたかと言えば、それは私たちが恋愛をしていたからです。

私たちは結婚してから、元来の自分主義を2人の生活の中にじわじわと出し始めていきました。お互いに気持ちの探り合いをしていたあの恋愛時代とは違って、もう探り合う必要などありませんから、素の自分を出すようになります。そうすると自然にお互いのことに干渉しなくなり、終いには1日一言も話すことなく終わる日も出てくるようになりました。しかし、何度も言いますが、もともと1人が好きな人間同士でしたから、別段苦痛に感じることなく、我々は夫婦生活を送れました。それが幸せかと言われればそうであると思います。


そんな日々を送っていた私たちでしたが、ある日突然妻が私に、新しい季節の服を買いに行きたいから、ついて来てくれ、と言い出したのです。私は彼女がどこで服を買っているのか全く知りませんでした。お互いに服やグッズは1人で買いに行ってましたし、基本的に私服で一緒に外に出る機会もなかったものですから、私は大変不思議に思いました。

私なんかよりも友達と買いに行った方がいいのでは、と言うと、こんな性格だから友達は多くない。それに、なぜ旦那がいるのにわざわざ友達を誘い自分の服を買いに行かなければならないのか、と言われてしまいました。他に言い返す言葉もなかったので、その週末に久しぶりに夫婦で外出することになりました。


ここまでで、私たちは仲のあまり良くない夫婦、と思われてしまったかもしれません。しかしながら、私自身は彼女のことを愛してますし、彼女も僕を愛していると思ってます。

私たちは結婚してからある1つルールを自然に作りました。それは、料理は2人で作る、です。食材調達から調理、後片付けはすべて2人でやることになっています。別にこうと決めたわけではなく、自然にそうなりました。そうなった理由は私が思うに、私たちの味の好き嫌いが合わないからではないか、と思っています。私が味が濃いのが好きなのに対し、彼女はかなり薄い味を好みます。また、私が甘いものが苦手であるのに、彼女は大の甘いもの好きです。お互いに味についてああだこうだ言うのも面倒くさいと感じ、であれば自分で作ればいいのではないか、そう感じたからこうなったと思っていますが、彼女が本当にこの理由で一緒に料理をしているのかはわかりません。

というように、一応、協力する場面も生活の中にはあるので、仲が悪いとは言えないと思います。しかし、これは世間の結婚生活の情報に乏しい私の考えですから、世間からは仲がいいとは言えない、と言われるかもしれませんが、実際こんなでやってきました。


さて、彼女を連れ立って久しぶりに都心に出て、服を探すことにしました。もちろん、私は女性の服の選び方など知りませんでしたから、彼女の選んできた服に対して適当に、似合う似合わないを言うだけでした。しかし、そんな中でも彼女は自分に似合うコーディネートを作り、購入したのです。

彼女自身も、私が思うに、服を選ぶのに慣れていなかったので時間がかかり帰るときには夕方になっていました。うちに帰って食事を作るのも大変だと感じたので、結婚してから数えるほどしかない外食をして、家路につきました。

冬に近づき少し寒くなった街を2人で歩きます。結婚する前はこんな状況、楽しくて仕方がなかったのですが、今は、妻が私の腕に片手を絡め、少し頭をよりかけながら歩いていてもなんとも思わないのです。

不意に彼女が、子供がいたらどんなだろう、と言いました。私は、どうだろうね、と言いました。それ以外に言葉が見つからなかったのです。

少し目線を下げ彼女の顔を見ると、彼女は私をじっと見つめていました。なにか物欲しげな、なにかを求める顔をしていました。

私はその視線に気付かないフリを家に着くまでし続けました。なんとも言葉が出てこなかったのです。

私は怖かったのです。子供が出来た後の私たちはどうなるのか。結局、今の生活が一番心地よかったのです。

家に着き、上着を脱いだそのときに、妻が私にいきなり抱きつきました。そして私に接吻をしたのです。しばらく、妻のぬくもりを感じた後、唇をそっと離し妻の顔を見ると今までに見たことない、下品な物言いをすれば、メスの顔とでも言うのでしょう、とにかく可愛い顔をしていました。でも、私は彼女と肌を重ねようとはしませんでした。先ほど申した通り、今の生活が一番心地よく、今更彼女のメスの部分など見たくなかったのです。その夜はキスだけで私は自分のベッドに潜りました。

それからというものの、妻は毎晩私が寝る前に私に抱きついてきます。そして、物足りなさそうな顔をするのです。甘えるのです。しかし私はそれが苦痛でした。結婚していると言っても彼女を抱いたことなど数えるほどしかありません。しかも、私は女の感触、味、柔らかさは妻のものしか知りません。ですから、どういうふうにすれば彼女を悦ばせるかなど知りもしなかったのです。そして、それを知らない私を軽蔑されたくなかったのです。

寝る間際、妻は自分の部屋に向かおうとする私の袖をそっと掴みます。私はその手を毎回柔らかく握ってごまかします。彼女はそれで納得するのか我慢するのか知りませんが、小さくコクリとうなずきそれからは何もしません。そして、次の日の朝、あの喫茶店に出勤していくのです。

今、私たちはそんなことを毎日繰り返しています。

私は別に性障害を持っているわけではありません。モノは正常に機能を果たしています。しかしそれを使うとなると一歩勇気が出ないのです。


私は妻が今更ながら恋愛時代に戻っているのではないかと思っています。何も刺激のない日々の中で彼女の中に本能的に持っている制欲が溜まり続け、今、徐々に出てきているのです。

もちろんその性欲を発散してやるのが夫の役目であることは重々承知しているのですが、私自身の気持ちは恋愛時代ではありませんから、そもそもの気持ちの持ちようが違うのです。どのようにすればあの頃に戻れるのか、全く思いつかないのです。

しかし私はある自慢があります。それはこれまで一度も彼女に傷をつけたことがないことです。滑りやすい雪の日も、強く手を握りながら歩きます。彼女が滑り転びそうになればその腰を支えます。そうしてガラスの脆い品を扱うかのように大事にしているつもりなのです。

もしかすると、そのように完全無欠で、傷のない純白の肌に不潔な私を重ねることが怖いだけなのかもしれません。この手で彼女を汚すことが何より私は嫌なのです。


私たちは結婚してから今までで2年になりお互い26歳になります。今まで私たちは喧嘩もなく仲良くやってきました。私は今までで話した恐怖を彼女に知られるのが嫌で嫌で仕方がありません。しかしながら、文学を愛する者として、文字に起こさなければ、誰かに伝えるように書かなくては気持ちに整理がつかないのです。

ついに私は彼女が哀れに思えるようになってきました。ついこの間、彼女の部屋のドアが少し空いていたとき、隙間から彼女がベッドの上で自慰行為をしている姿を見てしまったのです。そしてそんな姿に私自身も興奮していました。しかし、私の中のなにかがそれを一気に冷めさせます。そしてまた自己嫌悪に陥るのです。

繰り返しますが私は私のこの恐怖を妻に知られることを好みません。私があなたに話したこのこと全てはあなたにしか打ち明けていない秘密として、できることなら、命尽きるまで決して明かさずにいてください。




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