3、「たぶんこういうことだったのだろう」という視点
前段まで読んで頂いた人の中に、今一つ意味が分からなかったという人もいると思うんですよ。そういう人は、「ああ、歴史的事実っていうのは、結構あやふやなものなんだなあ」くらいに思っておいてください。実は、さっきまでの段では「歴史的事実っていうのはあやふやなものなんだ」ということを、手を変え品を変え言っているにすぎません。
そんなあやふやな世界の中で、歴史学はどうやって論理を積み上げているのでしょうか。
そのキーワードとなるのが、「蓋然性」です。
蓋然性……。あんまり聞き慣れない言葉かと思いますが、「そうであった可能性」くらいの意味だと思ってください。
さきほどの「関ヶ原の戦い非実在説」を例にとって説明しましょう。
関ヶ原の戦いはなかった! とします。けれど、実際には関ヶ原の戦いがあったとされるたくさんの史料があります。この史料をすべて偽物と判断したのが先の「非実在説」ですが、果たしてそんなことができるのか、またやる意味があるのか、と考えるのがスタートラインです。そうやってつらつら考えていくと、「敵味方さらには中立の立場、さらには日本中の人々が関ヶ原の戦いについて記しているわけで、日本中の皆さんがこの事件をでっち上げる理由はあるのか?」といった疑問や、「情報化社会から程遠かった時代、日本全国を股にかけるような大きな捏造を起こすことは難しかろう」といった推論が可能です。そういった色々な疑問や推論を積み重ねていって、「関ヶ原の戦い非実在説は、限りなく可能性が低い」と判断することができ、「関ヶ原の戦いは実際に起こったとしたほうが適当だ」という結論になります。
ちょっとここで頭の隅に置いてほしいのは、あくまでこれは、「関ヶ原の戦いがあった」可能性と「なかった」可能性を天秤にかけて、「あった」説の方が可能性が高い、と判断したに過ぎないということです。関ヶ原の戦いがなかった可能性だって(コンマ0.000000……というような低確率とはいえ)あるということを意味しているわけですね。
結局、歴史には「100%確かなこと」は存在しません。なので、確率の高い可能性を積み上げていって、「比較的実像に近いであろう歴史像」を提示するような形になっているということです。
つまり、歴史学というのは、蓋然性の高い説を「歴史的事実」として認めて、その上に色々な「歴史的事実」を積み上げていく、という形を取っているのです。ほぼ正しいものを並べて乗せているのだから、間違いはほとんどあるまい、ということですね。
でもこれ、案外理解されない概念です。というのは……。