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2、歴史的事実とはなんなのか

 となると、こんな疑問が湧いてきます。

「じゃあ、『歴史的事実』とはなんなのか」

 と。

 この話をする前に、皆さんに飲み込んでいただきたいのは、歴史という学問の持っている宿命的な“不確実さ”です。

 たとえば、ですが、わたしがこんな主張をしたとします。

「関ヶ原の戦いというのは後世の捏造である。残っている文献史料や考古学的史料は当時の人たちが関ヶ原の戦いを捏造するためにあえて残したものである」

 では、みなさんに質問です。このわたしの主張を論理的に否定することはできますか?

 ……実はこれ、論理的な反論は不可能なんです。

 たとえば、「そんなことありえない!」というような非論理的な反論は可能ですが、論理の世界のルールを適用するとまったく歯が立たないことにお気づきになるのではないでしょうか。

 そう、これが歴史学という学問の限界なのです。

 歴史学が研究対象としている“過去”は現代社会にいるほとんどの人は体験していないことです。なので、何があったのかを全て知っている人はいません。そのため、その時代に生きた人々の証言を集めてパッチワーク的に積み上げて事実に迫ろうとします。また、現代史の分野であってある出来事に出会った人がその出来事を歴史として記すことがあったとしても、そこには勘違いや記憶違い、また無意識の潤色が入り込みます。さらには、「出来事」というのはよっぽど小さなことでもない限りその人の視界の範囲で収まるものではありません。色々な人の視点から出来事を組み上げていくうちに、その事実は少し形を変えてしまいます。

 なので、さきほど提示したような設問に対して、歴史学は正面から対決することはできません。

 おっと、ここで「なんだ、歴史学ってちょろい学問だな!」と思ったあなた、それは早計というものです。歴史学は、こういう無茶振りのために、ある方法を用意しています。

 その方法とは……。


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