1、真実≠歴史的事実
「真実はいつも一つ!」
これは某名探偵の決め台詞ですが、歴史についてこう思っている方も結構多いのでは?
つまり、
「歴史の真実はいつも一つ!」
と。
まあ、真実、という言葉自体が割とあやふやなので歴史家はいつもこういうとき、真実、ではなく「歴史的事実」という言葉を使います。
でも。
真実は一つかもしれませんが、歴史的事実は一つとは限りません。
どういうことか。
ここで参考になるのが、最初に紹介した「鎌倉幕府の開府時期」問題です。
鎌倉幕府の開府時期については、1185、1192年以外にもいくつかの説があります。「鎌倉幕府が開府した」というのは確かに事実ですが、ではいつ開いたのか、となると、途端にいくつも説が乱立する状況になっています。それどころか、昔は1192年で教えていたのに、気づけば1185年で教えるまでになっています。
ここで大事なことは、この変化は過去が変化したことによって起こったわけではないということです。そりゃそうですよね。タイムマシンでもない限り、過去を変えることなんてできないわけですから。では、1192年から1185年の開府時期変更には、一体何が作用しているのでしょうか。
それは、「現代人の解釈」です。
この鎌倉幕府開府時期の論争を見ていると、「何を以て鎌倉幕府が開府された」とみなすべきなのか、という問題が争点となっています。マニアックなことを言うと、「守護地頭を置くことを許された段階」、「関東一円の支配権を手に入れた段階」、「鎌倉幕府の母体となる組織の完成」、「源頼朝の征夷大将軍任命」などのタイミングで学者たちが説をぶつけ合っているのです。でも、この論争は、新しい発見によってかつて信じられていたことがひっくり返ったという性質のものではなく、「いつ幕府が成立したとみなすのが適当か」という解釈の問題が争われていたのです。
真実、とか、事実、といわれるものは、どんな解釈も恣意も入り込むことなく、とにかく絶対的に正しいこと、というイメージがあります。そのイメージに引きずられて、「歴史的事実」という言葉にもそんなイメージがついています。けれど、実際にその内容を検討してみると、「歴史的事実」は必ずしも絶対的なものではありません。むしろ、今回例に挙げた「鎌倉幕府開府時期論争」なんかで明らかのように、実はかなり相対的なものなんだということが分かります。
もっと分かりやすく言えば、ある学者さんは1192年が鎌倉幕府開府の年である、という『歴史的事実』を主張し、ある学者さんは1185年であろう、と『歴史的事実』を主張していた、ともいえます。
そう、歴史的事実とは、いくつも存在するものなのです。