飲む
フェンス越しに見下ろした貯水池のなかで、制服の少女が一人寝転がっているのが見える。
水面を二分するように架けられた作業用の橋の中心付近、巨大な排水口へと水流が飲み込まれるまさに真上で彼女はのんきに寝そべっている。ネズミ色のスカートを見る限り、N中学の生徒だろうか。傍らには彼女のものと思わしき自転車が一台立てかけられ、前輪は彼女の姿を眺めるように少し傾いている。自転車が彼女の方へと伸ばす影が気にかかり、ふと時計を見ると午後四時を過ぎていた。昼間に比べると大分弱まった日差しが少女と自転車と貯水池を柔らかく照らしている。その橋の真下では今も獣の息づかいのような音を立てて排水作業が行われている。
耳を澄ますと、獰猛な排水音に紛れてかすかに虫の音が聞こえてくる。気の早い夕暮れの鳥たちが鳴き声を交わす。眼下の彼女は傾いた陽差しを遮るように両腕を頭の上に乗せ、少し首を傾けた。スカートから覗かせる太股や腕の白い肌に視線を奪われ、いつしかこちらも彼女の方へと飲み込まれていくような錯覚を覚えた。ふらふらと青白く揺れる足首が不安や好奇心を誘うようで、その下の黒く広がる排水口に彼女が食われるイメージが脳裏をよぎり、何かフェンスの向こうに危険を訴えなければならない気がした。だが排水を気にも留めず、まるで自分の部屋のように寝そべるその姿に、移動を促す言葉などかすれてしまったようだ。夕暮れ間近の貯水池は何を叫ぶにも安穏過ぎる。虚ろな穴が彼女の背中越しにこちらを見つめる。奈落の暗がりに見入られ、意識を吸い込まれそうになり、
はっ、と我に返る。
彼女の姿はそこになかった。
時計を見る。午後五時。貯水池の濡れた壁が、排水作業の終わりを知らせていた。
排水口の方をもう一度見やる。水は依然として流れ出しているものの先ほどの野蛮な音は消えていた。
ふと、想像が頭をよぎる。
「……いや、そんなまさかな」
無理やり笑い飛ばしてそらした視界の隅で、虚ろな穴に見入られた気がした。日が沈みきるまでに立ち去ろう、でないと食われてしまいそうだ。子供じみた空想をぬぐい去りきれないまま、僕はその場を後にした。